Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第420夜

地理的観点



日本語学』誌の 12 月号。
 今年は、これと『言語』を取り上げることが多いな。
「地理学と日本語研究」という特集。

 最初の「文化地理学と日本語」。
 第 2 節のタイトルが「卒論で方言をテーマとするのを薦めない理由」でギョっとするが、これは、地理学から見た方言なので、等語線とか言語地図とか言う話である。ここに書かれている通り、学生が卒論にかけるくらいの労力では、実のある内容にはなりにくいだろう。
 そういえば、俺の卒論の公開も第 1 回で止まっているな。文章が打ち込みやり直しなのと、アンケート調査を元にした文章なので、それの再集計なりグラフ化なりもやり直さなければならない。当時は大学にあったコンピュータ (TSS*1 だ!) を使わせてもらったので、集計済みデータは俺のもとにないのである。
 第 6 節「文化地理学の革新」で、「文化とは人間の思想や行動によって日々新たに作り出され作り変えられてゆくものであり」とある。紹介されている論文は 1995 年のもので、何を今更、という印象をもつが、この中俣 均氏が「思い切って簡略して記す」とあるので、必ずしも「作り変えられてゆく」とは言い切れない事象もまたあるのであろう、と考える。
 いずれ、「日本語」なり「方言」というのは変化するものであって、「正しい○○」はそこを無視している傾向がある。
 この文章では地名にふれている。「主観的」という表現を使っているが、たとえば「ハチ公前広場」「(大阪の)キタ/ミナミ」のように、地図には載っていない地名のことである。オフィシャルなものではないとは言え、「道玄坂 1 丁目 1-1*2」よりははるかに身近である。確かに、これは興味深いテーマだ。

 大西 宅一郎氏の「地理情報システム (GIS) を利用した日本語研究」。GIS の情報を言語地図に適用する、という話である。
 最初、「で?」と思いながら読んでいたのだが、我々が普段、上から平面で見ている言語地図 (たとえば西日本を中心とした言語地図美濃・尾張言語地図) に標高の情報を重ねると、入り組んでいるように見える表現形式が、実は谷に沿って広がっている (谷と稜線側とで別の表現となる) のだ、などということが一目でわかる。これは、目からうろこが落ちる、という感じであった。

 福島 秩子氏の「最近の世界の言語地理学」の第 2 節は「方言は国境を越える」。
 これは、日本人には理解しづらい現象だろう。たとえば、ここで取り上げあられているヨーロッパは、多くの国が国境を接しているから、別の言語ではあってもおたがいに影響を与えたり受けたりする、と言えば、「はぁそうでしょうね」とは思うが、ピンとはこない。この辺が、「正しい日本語」教が生まれる下地になっているのかなぁ、と思ったりもする。
 逆に、外来語の流入について神経質な人もいるし。

 最近、漢語も「外来語」なんだ、ということに気づいたのか、「カタカナ語」と言われることも多くなった。一つの進歩であろうか。
 だが、明治維新のときに、カタカナを使わずに日本語での表現を作り出した、とか言う人はまだ多い。漢語を借りてきて無理やり訳語とした、ってのも相当あるんだけどねぇ。惜しい。
 国立国語研究所が時々、カタカナ語の言い換え案を発表するが、あれもなんだか舌ったらずである。しかも漢字主体で、字面はともかく、意味がわかりやすくなってることはほとんどない。
「シーズ (seeds)」は確かにこなれた日本語ではないが、それを「種子」と言ってしまうのはどうか。あれは「サカタのシーズ」って使い方ではなく、「ビジネスの」種子であったり、「新規技術の」種子であったりするわけで、「種子」とは担っている意味が違う。同じ“stick”から生まれた語が「ステッキ」と「スティック」とで意味が違うのと一緒なのだが。
 あと、ニュアンスの違いもごっそり殺ぎ落としているし。「リーフレット」と「ちらし」って別のものでしょう?

 12 月号では「言語地理学と日本語とアジア・環太平洋言語史 (あべせいや)」「言語の類型とその分布 (峰岸 真琴)」という文章もあるが、この辺は全く不勉強でコメントできない。
 この分野は、こうした地道に研究があるにも拘わらず、「トンデモ」な言説が割と普通に飛び交っているので、俺の文章が「トンデモ」にならないようにするには、相当に勉強しなければならないだろう、という気もする。

 最後のページに広告が載っている。
問題な日本語』という本で、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」など、「正しい日本語」教信者が槍玉に挙げる表現にも必然性があるのだ、ということを解説した本らしい。
 信者たちはまずこのタイトルに噛み付くのではないか。そういう意味では秀逸である。





*1
“TSS”というのは“Time Sharing System”の頭字語で、高性能のコンピューターにネットワークで接続、時間を区切って処理の割り当てを受けて作業する、というものである。時間といっても、 ミリ秒とかの単位で、人間から見ると、ずっと使えているように見えるわけだが。(
)

*2
 ハチ公前が道玄坂らしいことはわかっているのだが、「1-1-1」かどうかは確認できなかった。(
)





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