Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第419夜

ワンモアタイム



 東京に行ってきた。細々とあって渋谷と池袋の間を往復した感じだったが、こういう場合、スイカとか持っておくと楽なのか?
 羽田も第二ターミナルがオープン、確かにきれいになっていた。
 これ、混雑解消をメリットに挙げているが、どっちかというと、その結果としてのセキュリティ強化が主目的なのではないか。というのは、手荷物検査のときに、チケットを要求され、係員がそれを機械に通していたから。ゲートが込んでいなければ、セキュリティ チェックにかけられる時間も長くなるわけだ。ANAJAL で二股かけたキャンセル待ちができなくなってしまう、というデメリットを押し通したのは、それが理由か、とちょっとうがって見る。
 それにしても、このリニューアルで、バスではなくボーディング ブリッジで乗降できる便が増えたはずなのだが、今回は往復ともバスだった。なんでやねん。

 まず大手町の「ていぱーく」へ。「美しき日本の絵はがき展」という展覧会をやっている。ある人のブログで興味を持ったのだが、その人が褒めていた小林かいちの「君待つ宵」「街の悲哀」は、確かにすばらしかった。
 まだ 10 時前なのにそこそこの入り。
 こういうのに女性、もっと言えばオバサンが多いのはどうかと思う。男は何をしている。土日も働いてるわけじゃあるめぇ? 平日働いているから寝てる、は言い訳だ。文化度が低いのは男の方だろう。「韓流」が叩かれてるのは (確かに滑稽な面もあるが) それも含めた嫉妬だと俺は見ている。
 で、その女性の言葉遣いって、やっぱりどことなく上品である。まぁ、場合によってはいやらしさを感じることもある。

 翌日は映画。ザ・ゴールデン・カップスの映画「ワンモアタイム」。
 ザ・ゴールデン・カップスについては、ゴダイゴミッキー吉野がいたバンド、というくらいしか知らず、いつかきちんと聞いておこうと思っていたので、いい機会だった。
 命名の由来は、本牧にある「ゴールデンカップ」という店。
 時代としては、GS 前夜からベトナム戦争のあたり。
 さまざまな証言者――Char、内田裕也、井上尭之、矢野顕子、ビートたけし…というものすごい面子――の声を聞いてびっくり。当時、東京は「ダサ」かったらしい。
 尤も、「本牧」がキーワードになっている映画なので、その辺は割り引いて聞く必要があるかもしれない。今でも「横浜」はステータスを持っているわけだし。
 映画の冒頭は朝鮮戦争の映像なのだが、そういう時代的空気もあって、その店に品川ナンバーの車でやってこようものなら、ボコボコにされてしまうような、そういう雰囲気だったらしい。

 ここで違和感を持つ。
 横浜って、そういう閉鎖性を持っていたのか。まぁ、なんでも OK、みんなで仲良くやりましょう、というところだというイメージもないが。
 途中まで、本牧といえば米軍基地。彼らは、東京ではなく、外国を見ていたのだろう、東京を見下すということはあるだろう、と解釈していたのだが、東京を敵視するようなところだったとは思わなかった。
 自分達、自分達が愛するものに対する絶対的な自信はあったに違いない。
 この辺、方言に関するあれこれと共通点があって、だからここに書いてるわけだが、愛郷心と「攘夷」的考え方というのは、はっきり地続きなんだ、ということである。
 秋田弁を愛する人が、津軽弁は云々とケチつけてみたり、どこもかしこも標準語になってしまったとマスキングされてしまったり、あるいは、それを、極端なかたちの方言で語ったり、逆に、きれいな標準語で語るという自己矛盾に気づかなかったり、というのと同じ形だ。
 あるいは、またそれかよ、って感じだが、「正しい日本語」教の教義が、つきつめていくと、俺の日本語が正しい、であることが露見するのとも似ている。

 映画に戻るが、そのゴールデンカップという店のマスターって、関西弁なんである。とても暖かい人 (温厚かどうかは知らない) という印象を持ったが、東京を排斥したがった当時の人たちは、自分達の兄貴分が関西弁であることはどう受け止めていたのだろうか。
 いや、これはつまり、結局は好き嫌いの問題なんだ、ということなんだが。理屈で考えようというのが間違っている。
 方言そのものについても同様で、酒呑みながらの与太話のレベルではいいが、真剣に話をするんであれば、自分の愛着・愛郷心とはきちんと距離をおかなければならない。別の言い方をするなら、好悪と正誤を混ぜてはいけない、それは峻別するべきものだ。方言愛好家も、「正しい日本語」教信者も、そこが一緒くたになっているから、嫌なのである。

 後半は再結成ライブ。本来のザ・ゴールデン・カップスのメンバーに、ドラム・ベース (これがなんとスティーブ・フォックス)・ギターをサポートとして加える、というとてつもなく音の厚いライブだ。
 全員、歌が上手い、声がいい、ってのはどういうわけだ。いや、そういう風に集めたらしいんだが。
 ギターのエディ藩とドラムのマモル・マヌーがふくよかになって、ミッキー吉野が逆に締まってる感じもあったりするものの、うっかりすればそこらのおっさん、てな感じすらあるというのに、すごい声だ。
 CD も出ているので、リアルタイムだった人も、初めての人も、是非、聞いてみるとよい。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第420夜「地理的観点」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp