Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第396夜

ことばとイズム



 また映画から。
 今回は「グッバイ! レーニン」。
 公開されたのは 2 月だが、秋田に来たのは 6 月であった。
 割と気に入った。全部とは言わないけど、へぇ、と思って会社を確認するとギャガだったりすることが多いなぁ、俺。ベストは勿論「ヒドゥン」だ。

 時は 1989 年。舞台は東ベルリン。
 主人公の青年の母親が心臓発作で倒れた。非常に危険な状態で、ささいなショックが命取りになってしまうかもしれない。
 だが、時代は 1989 年なのである。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統合されていく。そのことは、熱心な共産党員である母親にとって耐えがたいことである。アレックスは、そのことを隠しとおそうと決心する。
 だが、ベルリンの資本主義化は急速に進む。たとえば、自宅の目の前にコカコーラの巨大な看板が据え付けられたりする。息子はどうするか。
 仕事場で知り合った映画好きな同僚と組んで、実はコカコーラは東側が発明した飲み物で、西側がそれを盗んだ、このたびそれに関する和解がなった、というニュース映像をでっち上げるのだ。
 というわけで、一部にコミカルなエピソードを、一部には亡命というシビアなエピソードを、という構成の、「ハートウォーミング」な映画である。

 ドイツ語は大学でやった。
 今でも読める。
 読めるだけで意味はわからないが。*1
 そんな程度だから、パンフを読むまではわからなかったが、この映画ではドイツ語の東ベルリン方言が使われている。
 はぁ…。

 イギリスの英語と、アメリカの英語は違う。これは中学校でも習うことだ。“elevator”と“lift”、“subway”と“tube”、“autumn”と“fall”などなどを記憶している人も多いだろう。
 こないだも、『まんがタイム ラブリー』に連載されている『私が会社に行く理由』という漫画で取り上げられていた。
 これは、イギリス男性と日本女性のカップルを主人公とする話なのだが、その会社にアメリカ人が入ってきて、「英語」と「米語」の違いによって、とんでもない誤解を生んでしまう、というエピソードだった。
 たとえば、喫煙室に案内される米国人。そこでは別の社員が居眠りしているのだが、適当な時間になったら、それを“knock up”してください、と言われる。
 これは、英語では「ドアをノックして(人を)起こす」、米語では「(女を)はらませる」という意味である (EXCEED 英和辞典)。*2

1) アメリカの英語はイギリス英語が訛ったものである
2) カナダの英語はイギリス英語が訛ったものである
3) オーストラリアの英語はイギリス英語が訛ったものである
 違和感を抱くのはどれだろう。
 3) は、「クロコダイルダンディー」あたりで割と面白おかしくとりあげられたのを記憶していれば、それほど強い違和感でもないかもしれない。
 2) はどうだろう。違和感もなんも、カナダの英語と言われて具体的なイメージを抱ける人は多くないと思うが。
 1) に違和感を覚える人はかなり多いと思う。
 それにはまず「国」のイメージがあるだろう。あれだけ好き勝手できる強力な国の言葉を下位に分類してしまうことに対して抵抗を感じる人はかなりいるのではないか。現に「米語」という単語もあるし。
 更に、「訛り」という単語の持つマイナス イメージ。あれを「間違った言葉」と言い切っていいものか、という感じ方もあるだろう。

 ドイツ語の場合、カナダの英語みたいな側面がある。どんな言葉だかわかる人は多くない。ボンのドイツ語とベルリンのドイツ語は違う、と言われたって、はぁそうですか、そうでしょうねぇ、以外にどう反応すればいいのやら。
 オランダ語とドイツ語はよく似ている――とい言われれば、これも、はぁそうでしょうねぇ、近いし、ということになるだろうが、その一方で、北部のドイツ語と南部のドイツ語は違いが激しすぎて通じない (らしい)。それでも「ドイツ語」である。同じことは中国語にも言える。
 日本だって、アイヌ語は日本語とは別の言語だということがはっきりしているが、琉球方言は、日本語の一方言だという説も、別の言語だという説もある。オバァの発話を、予備知識も字幕もなしで理解できるヤマトンチュはほとんどいないと思うが、別だと断言するには共通点が多すぎる。
 つまり、「言語」やら「方言」やら「国語」やら「外国語」やらの線引きって、言語外の事情が絡むため、とてつもなく難しいことなんである。
 NHK の語学講座には「ハングル講座」というのがある。これは、政治的に難しく、「韓国語」とも「朝鮮語」とも言えないことから生まれた苦肉の命名だろう。
 東京外国語大学*3大阪外国語大学は「朝鮮語科」である。

「グッバイ! レーニン」では、主人公を演じた役者は西ドイツ出身である。彼は東ベルリンの言葉を学び、西ドイツ出身の友人は東ドイツ出身の俳優が演じて、というようなことも起こる。
 去年、『最後の授業』が話題になった。アルザス地方がドイツに占領されて、明日からはフランス語の授業はできなくなります、フランス万歳、というあれ。教科書にも載ってたし、感動した人は多いのではないか。
 だが、アルザスはドイツ文化圏である。そもそも、アルザスの人々の母語はフランス語ではなかった、戦争のたびに帰属が変わりドイツだフランスだと言うこと自体に無理がある、というようなことが田中克彦氏の『ことばと国家』で取り上げられているらしい。*4
『最後の授業』が教科書に載らなくなったのはこの本がきっかけだそうだが、この小説はつまり:
 秋田は、かつてウラニホン国に属していたが、あるとき、仙台を首都とするトーホク国に占領され、仙台弁を第二言語として学ぶようになった。そこにホクリクが攻めてきて秋田を奪い、こんどは新潟弁を使うことになった
 …という話。つまり、秋田弁を奪われたのではないのだった。

 というようなわけで、「ことば」は毎日使うもので、ときに人間のアイデンティティと結びつく。そのため、他者に振り回されたり、利用されたりすることもまた多いのである。ご注意あれ。




*1
 ドイツ語は、英語と違って、書いてあるとおりに読めばよい。
 どちらかといえば、英語の表記と発音の方が乖離しすぎなんだ、と言った方が正しい。(
)

*2
 今になって気づいたが、タバコを吸う有能な米国ビジネスマン、って無理がないか?(
)

*3
 サイトの構成が変わっているらしく、それを知らせるページがあった。ほうっておけば新しいページに移動する、というよくある奴だが、
そのままお待ちするかここをクリックしてください。
 と書いてあった。ここ、言葉の大学じゃなかったっけ。(
)

*4
 歴史の授業で、「アルザス・ロレーヌ」とくくられていたのを記憶している人もいると思うが、これがフランス語での発音。「エルザス」「ロートリンゲン」に聞き覚えがある人もいるかもしれない。これがドイツ語音。
 知られている呼び方が複数ある、って時点で一筋縄じゃ行かない、ってことがわかる。(
)





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