Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第395夜

だみ



 東京にいた頃に在籍していた会社の社長が他界した、という話を聞いたのは 6 月の頭である。
 療養中だった、ということも知らなかったので寝耳に水だったが、会社でお別れ会というのをやる、というので会社を休んで上京した。

 豪放磊落、というのとは違うが、ほがらかでかつ豪快な笑い方をする人だった。社長と平社員なのでそうそう会うこともないわけだが、不機嫌なところを見たことがない。
 やめた後も、何度か顔を出したりしたが、顔を合わせると、おぉまた来たな、なんて声をかけてもらった。俺は秋田に帰るってんでケツまくったもんだからいくらかの引けめはあるんだが、それは本当にありがたかった。
 年賀状は出していたが、引っ越したときの通知リストから漏れていたらしく、帰ってきてしまったことがあった。それでもまぁ、会社に出せばいいか、程度に思っていて、そのくせ、帰ってきてしまったのを忘れてたまま前の住所に出して、今年のも帰ってきてしまった。これがなんとも悔やまれる。
 俺が入社したのは会社ができて 3〜4 年目の頃で、ということは、と指折り数えてみたら、来年が 20 周年だった。自分のポジションに恋々とする人ではないが、悔しかったのではないかなぁ。

 社長が社長になった、つまり、その会社を設立したのは、まさに俺の年齢である。
 我が身を振り返ると、情けなくなるばかりである。向き不向きってのもあるから、会社重役がプログラマより高級だとは思わないが、俺は数年後、当時の社長の年齢になる。そこで学生の面接をするのか。当時、トンチンカンな受け答えをしたような記憶があるんだが、まぁ学生だからとそこにとらわれずに中身を見抜いて採否を判断するのだ。俺にそんなことができるか?

 会場に入ると、係員に、社員の方はこちらへ、と言われてしまった。元社員は社員なのか、ということで大人しく指示された場所に座る。緊張感のない顔で、とても取引先には見えなかったのであろうか。
 式が行われたのは、他界後 2 週間もたった時期だったので、全体に緊張感はない。それぞれがそれぞれに整理をつけた後なので、俺も含め、旧友との再会というようなこともあって、割とにこやかな雰囲気である。緊張してたのは、その会場で発表される新体制の面々くらいであろうか。

 開場してから、式が始まるまでの間には 1 時間くらいある。その間ずっと低く音楽が流れているのだが、それがときおり、生演奏になっていることに気づく。前方に、ピアノとフルートとバイオリンが並んでいた。こういう場合の間違いはきっと許されないだろうから緊張するだろうなぁ。実はその前週にピアノの発表会があって、緊張のあまりいいかげんな演奏をしてしまったことを思い出す。
 式が始まる。まず、故人を送るための音楽が演奏される。葬送行進曲とかああいうのではなくて、故人の好きそうな音楽である。なんだっけなー、とずっと考えていたのだが、後で判明した。「朝日の当たる家」だそうだ。後には、“California Dreaming”とか、長渕剛の曲とかも流れていた。
 なにせ昔、バンドやってた人で、たしか創立 5 周年記念のパーティかなんかで、社員でバンド組んで歌ったりもしている。そういう選曲になるわけである。

 次に業績を振り返るのだが、あの独特の口調っていうのは、おそらく固定した形式なんだろうな。息継ぎをする場所が、普通の会話とは勿論、ほかで耳にするナレーションの類とかも違っている。

 あとは弔電と主催者および遺族の挨拶、献花で終了。「お浄め」という名の宴会となる。
 これは本当に和気藹々としか形容しようのない会である。いやもちろん、正面には写真や遺骨もあるわけで、俺はちょっとそっちを向けないでいた。あの、遺影ってのは強烈だよね。仏壇にある、時間が経過してから見る写真とは違うんだわ。
 近況報告などなどしながら、あぁ俺はこれだけの人を切ってきたのか、と思う。別にケンカ別れしたつもりはないけどな。

 その後は、それぞれのグループに分かれて飲み会ってことになるわけだが、夜中になると割と辛くなってくる。ちと風邪気味だってこともあるし、そもそも、夜遅くまで飲める年齢ではなくなってきている。二日酔いになることも多いしな。そんな状態なので、複数の、現世の人にその場で不義理をしてしまった。もうしわけない。

 つけたしで秋田弁。
 表題の「だみ」「だみだし」が「葬式」。「荼毘 (だび)」であろう




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