面白い表現を見つけた。
北海道の、「
あいてくさい」。
てっきり「開いているような感じがする」だと思ったら、「相手にする価値がない」という意味らしい。
言われれば、はぁなるほど、と思うが、落ち着いて考えて見ると、ほかの「〜くさい」とは違う、ということに気づく。
その前にちょっと回り道で、「くさい」について解明しておく。得意の
大辞林。
「いるような感じがする」を「いるくさい」と言ったりする、動詞が先行する新しい使い方は [2]-(3) を拡張したものだろうか。経過をたどれば、「いるっぽい」が先で、それをさらに砕けた言い方にしたのが「〜臭い」なのかもしれない。
いや、もう一遍立ち止まって見るが、[2]-(3) の例には、「面倒臭い」「ばか臭い」が挙がっている。語義を確認すれば、強調である、という。これは、用言が先行する、という点で共通してはいるが、意味が違うのだ。
意味は、[1]-(2) から来たものだろう。そこから、「胡散臭い」というニュアンスが落ちて、「どうもそれらしい」という意味だけが残った。今はもう聞かれなくなったが、不快なことの表現であった「ゲロゲロ」が単なる強調となって、「ゲロウマ」という、美味いことを表現しているようにはとても聞こえない表現が生まれたことなどを連想させる。
「ぽい」の方も似た感じがする。
例として挙げられている「あきっぽい」「子供っぽい」などなどは、マイナスのニュアンスを持っている。先行する単語をプラスのに置き換えて「大人っぽい」にしたところで、本来は大人でない、ということが前提としてあるわけで、ニュートラルな表現にはならない。価値判断を伴わない、「赤っぽい」すら、見事に熟したりんごのことを「赤っぽい」とは言わず、それをりんごについて使うのは、青りんごのできそこないか、熟し始めたところを表現するときであろう。
一方、「いるっぽい」にはそういうニュアンスがない。いつも遅刻する奴が今日は時間どおりにきてるようだ、というときにも、いつも 5 分前に来る人がやっぱりちゃんと来ているようだ、というときにも使える。そこに残っているのは、断言できないけど、というニュアンスだけである。
「
あいてくさい」に戻る。
上記の観察結果を適用すれば、「
あいてくさい」は「相手になるんじゃないかな」という意味かと推測される。だが、実際には「相手にならない」という意味なのである。ひねりが 1 回入っている。
似た形で、東北ないし北海道で聞かれる「
はんかくさい」は、「半可」が入っているように、前半と後半でひねりがない。
「
あいてくさい」を紹介しているページはいくつかあるが、どこもこの「ひねり」について触れていないのは不思議である。
「
はんかくさい」を「バカ」「アホ」と説明しているところがあるが、「
はんかくさい」って中途半端な感じを言うんじゃないかと思うんだが。知識が欠落していることを表現するのに「バカ」は使えるが、知識が全くなかった場合は「
はんかくさい」は使えないような気がする。一部だけ知ってて、その中途半端な知識を自分に都合のいいように振り回して失敗した場合、それこそ「半可通」な感じなのでは。あるいは、やってることのレベルが低い、という場合とか。
さて、ここからは完全に部外者の憶測である。
「
あっぱくさい」という表現もある。これは「取るに足りない、簡単だ」という意味だ。
これが、人間に対して特化したのが「
あいてくさい」なのではないか。形は、先頭の音が共通しているだけで、「あっぱ」が「あいて」に変形したとはとても思えないが、「
あっぱくさい」と「
あいてくさい」はほぼ同義だ、としているページもあり、それほど的外れではないのではないか、という気もする。
そもそも、「
あっぱくさい」の成り立ちがわからないでアレだが。
もう一つ不思議なこと。
「
あっぱくさい」を使った例文で、取るに足りないものとして「試験」を挙げているページがかなり多い。
やっぱり皆さん、試験にはトラウマがあるのだろうか。
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