Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第385夜

満月 空に満月



 井上陽水との出会いは、おそらく『ロンドン急行』だったと思う。サビの部分の「ロンロンロンロンロンドン急行」というリフレインを明瞭に覚えている。多分、初めて聞いたときは、それが井上陽水だとまでは知らなかった。次は『闇夜の国から』あたりかなぁ。
 俺には 8 つ上の叔父がいて、さらにその上の兄もいるわけだが、この二人がオーディオ マニアだったり、ギターを弾いてたりして、この環境が俺の趣味形成に大きく影響している。
 で、後に俺も音楽に感心を持ち、その第一弾が井上陽水だったわけ。叔父の家に『氷の世界』の LP と『東へ西へ/人生が二度あれば』を含む 4 曲入りシングルがあった。これを何度も聞いていた。
 時に俺、小学四年生。ませたガキだ。

 先日、文春文庫の『満月 空に満月』を読み終えた。海老沢泰久という人が井上陽水にインタビューして書いた本である。
 冒頭、母校の野球部に (陽水の野球好きは有名) ボールを買ってくれ、と寄付した金で、こともあろうに石碑が建てられてしまったエピソードが紹介される。陽水にとっては不愉快極まりないことであろうということは想像に難くない。偉い人だと言われ名を残したくてしょうがない人々 (つまり、その石碑を作った人) にとっては、感謝の意を示す場合、偉い人であると名を残す以外の方法は思いつかないのであろう。気の毒かつ近所迷惑なことに、贈った人間の気持ちを踏みにじる結果になっている、などということに思いが至らない。
 陽水は言う、立派な人間の歌なんか、誰もききたくないと思うんだよ。

 陽水が自分を持て余し、いつも困っている人間だった、というのは新鮮だった。
 一癖ある、ということはその言動から想像がついていたが、それでいいんじゃない、別に、というスタンスなのだと思っていた。
 人生幸朗・生恵幸子という漫才師がよく『東へ西へ』を取り上げたネタをやっていた。「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」に「あたりまえじゃ」と突っ込み、夜に眠れないのは昼に寝るからだってわかっとるやないかい、責任者出て来い、と大声を出してみせる。晩年には、『リバーサイド・ホテル』の「部屋のドアーは金属のメタルだ」も槍玉に上がっていたと記憶している。別の人だったかな。
 井上陽水って、そういうのすらニコニコ (あるいはニヤニヤ) と聞いてられる人、というイメージを持っていたので、かなり意外である。

 陽水は、自分を「おろい」人間だと表現する。これは筑豊の言葉で「ずるい」という意味だそうだ。
 探してみると、大分や熊本で、「おろいか」が「できのわるいもの」「まがいもの」というような意味で使われているのが見つかる。
 よーく考えてみると、九州方言における形容詞は「〜か」が終止形である。「おろいか」人間となるべきなのではないか。
 あるいは、多くの人間が流入してくる炭田という環境において、特殊な発展を遂げたのか。
 と思ってしつこく調べたら「おろいー」という表記も見つけた。腹黒い、というような解説があった。これはやはり「〜か」とはならないようだ。

 もうひとつ。「やっさもっさ」。
 俚言かと思えばさにあらず。大騒ぎのことを言うらしく、辞書にも載っている。
 ただ、これを俚言としているページも少なくない。
 大体、俺、これを使ってる人って見たことないもの。今回、探してみて、あら意外にいるんだねぇ、と思ってるくらいで。
 言ったのは多賀英典という、ポリドール レコードで初期の陽水のプロデュースをやった人。
 どっかで聞いたなー、と思ってずっと考えていたんだが、思い出せないんでググってみたら一発判明。キティフィルムのプロデューサー (現社長) だ。「うる星やつら」とか「めぞん一刻」とか、高橋留美子作品の映画を作った人。この人の名前はここで覚えたのだった。いかにませた小学生でも、プロデューサーにまでは意識が及ばず。
 この多賀英典がプロデュースした、「うる星やつら 2 ビューテイフル・ドリーマー」や薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」では星勝という人が音楽をやっているが、これは、かのモップス (鈴木ヒロミツの) のメンバーで、陽水のこの時期のアルバムのアレンジをやっている。これにもだいぶびっくりした。この組み合わせは他に「じゃりんこチエ」なんてのもある。

『氷の世界』には忌野清志郎との共作が二曲入っている。当時、変な名前、と思ったのだが、それがあの RC サクセションの忌野清志郎だと知るまでにはもう五年ちょっとかかる。知った後も、場合によってはパンクとくくられることすらあった RC サクセションと、叙情派フォークの大御所との接点には奇妙な印象をもったのだが、陽水は自分の曲がフォークだとは思っておらず、一貫してビートルズが頭にあった、というのもこの本を読んで始めて知った。そう言われればこのアルバムも、トップの『あかずの踏み切り』は『待ちぼうけ』あたり、ロック色の感じられるアレンジである。

 偉そうなことを書いてるが、ポリドール以後の陽水はよく知らない。
 忌野清志郎を書いたが、10 歳で井上陽水というとマセガキでも、15 才で RC サクセションなら年齢相応の感じがするであろう。でかいことを言うようだが、周囲の環境が俺の趣味に追いついてきたため、俺が聞く音楽の範囲が一挙に広がったせいである。
 で、指折り数えて 3 年しか経過してないことに驚くのだが、77 年にゴダイゴがブレイク、俺の人生をいろんな意味で決定付けることになるのである。





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第386夜「たとえば、赤の金の力」へ

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