どうも寒い。
寒気が戻ってきたのは確かだが、それにしても寒い。
おかしい、と思ってつらつら考えてみた。
階下が空き部屋になっているせいだろう、と思いつく。
人がいないから暖房されることがない、ということもあるが、更に、ガラス窓以外は開いている、ということも原因だろう。どういうつもりだか障子を外してあって、外から中が丸見え。いかにも寒い。
というわけで、とりあえず、布団の下にハイキング用のシートを敷いてみた。それだけだと湿気を通さなくなるから、新聞紙を挟んでおく。
が、布団を上げてみて驚いた。新聞紙が湿っている。予想以上だったのでかなりビックリした。まぁ、人は寝ている間にコップ 1 杯分の汗をかくそうだし、それを全部、新聞紙に吸わせたらあれくらいにはなるだろうなぁ。
正直言って、あんまり暖かくなった、という気はしない。こないだ電器屋に行ったとき、電子カーペットが \2,000 で投げ売りされていたので、一時、迷ったが、時期も時期だし、もうすぐ人が来るだろう、来ないにしても気候が暖かくなるだろう、ということで見送った。
今年は風が強い。気温はプラスのはずなのに、外に出るのがとっても辛かったりする。俺のアパートの屋根に立っているテレビのアンテナも倒れた。数週間、経っても直らないところを見ると、誰も文句を言ってないのだろうなぁ。俺はケーブル テレビで関係ないので黙っているのだが。
風向にはいろいろと俚言形がある、ということは前に話をしている。
ためしに、「北風」 AND 「方言」で
ググってみると、1,500 件ほどがヒットする。このすべてが俚言形の紹介ではあるまいが、それでも結構な数。
これを見てもらうとわかる通り、分類が恐ろしく細かい。「東北東の風」が一語など方位は勿論、「台風の後の風」などという別け方もある。
これは、どっちからどれだけの強さのどういう風が吹くか、というのは、第一次産業にとっては重要な情報だからだ。
海では、一見、凪いでいるけど、実は荒れる前兆が見えている、ということもあるわけで、そうなると生死に関わる。風の細かい分類は不可欠だ。
ギリシャ神話では、風の神様がいる。西風は英語に入って“zephyr”という形になり、意味も「優しい風」「そよ風」となった。こういう名前のオートバイがあるから知っている人も多いだろう。更に、台風の英語名である typhoon もギリシャ起源の単語。それだけ、人間の生活に密接だった、ということ。
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日本には、風神がいるが全方位担当だったっけ、確か。
宮城の一部では「台風」を「
おおかぜ」と呼ぶ。これはまぁ、方言、というよりは「和語」と捉えるべきだろう。古形は古形だが。
「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」という菅原道真の歌を記憶している人も多いと思うが、この「
こち」もいろいろな地域で生きている…かなぁ。使われなくなって、俚言形としてしてしか認識されていないかも。
なお、南風は「はえ」。「南風原
(はえばる)」って地名がある。
じゃ、西風と北風は。「にし」と「きた」だ、という説あり。現に、春の季語「涅槃西風」は「ねはんにし」と読む。「北風」は「ならい」だとか、これは中々難しいらしい。
秋田について羅列。情報源は『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』。
今でいう八郎潟は、あれだけの大きさの湖なので、周囲へ円形に風の影響が出る。つまり、「湖から吹いてくる風」と言っても、地域によって方向が違うわけ。これは逆に、今、残っているのは漁師が使った語彙ではないだろう、ということでもある。
『
小学生の新レインボー方言辞典』より。
これは一つだけで、愛知の「まいまいかぜ」。想像はつくと思うが、つむじ風のこと。大阪の「てんぐかぜ」も面白いが、茨城の「かまいたち」もなかなか。
日本国語大辞典によれば、「傘天狗風」という言葉があって、これは、つむじ風に舞い上げられる傘の様子から、いい気になること、有頂天になること、なんだとか。
孫引きだが、「かまいたち」という妖怪そのものは長野の言葉だとか、皮膚が切れる、という現象は関東で名付けられたとか、これまた諸説紛紛。
風を扱った歌はかなりあるが、高田みづえの『南南西』なんてのを挙げてみる。デビュー アルバムの B 面のトップなんだが、これは後に秋川 淳子という人がカバーしている。
高田みづえは意外にカバーに縁のある人で、「私はピアノ」「潮騒のメロディー」あたりは記憶にある人も多いと思うが、デビュー曲の「硝子坂」にしてからが、実は木の内みどりのカバーだったりするのだ。
俺は両方とも持っているが、かなり雰囲気が違う。
コロムビアから全曲集が出てて、買おう買おうと思いつつ 2 年くらい経過してるな。