そう言えば、「
めっさ」という表現があるのを思い出した。
「
めっちゃ」というよく似た表現が既にあり、意味も同じようなものなので、関西起源だろう、と思って、例によって
Google で調べてみる。
出るわ出るわ。「○○弁」だと思っていたというの。
人は、ある表現が「○○弁」である、というのをどうやって認識するのだろう。この考察には、方言形だとは認識できないケースをも含む。
と言いつつ、いきなり後者の方から話をするが、この「
めっさ」は若者言葉に分類されることも多い。使う側が流行語として認識してしまえば、方言形と認識されることは無い。
これは、テレビやなんかで降って来た場合で、仲間内から来た場合はどうなるか、というと、おそらく自分のいる場所で使われる方言だ、ということになる。これが、
めっさ北海道起源説であり名古屋起源説であり熊本起源説であろう。
若者言葉として認識する人もいるわけだから、ほかの地域でも使われている、ということにもじきに気付くだろうが、自分とこの方言だ、という認識が先に形成されてしまうと、「なんで大阪で俺たちと同じ言葉を使ってるの?!」ということになってしまうんだろうな、きっと。
自分とは違う地域の出身であることがわかっている人が使う耳新しい表現は、その人の出身地と関連付けて記憶されるのだろう。俺が急に「
めっさ」を思い出したのは、
浅香 唯がこれを口にしていたからで、もし、そのときが俺の「
めっさ」初体験であれば、「
めっさ、って宮崎弁?」とか思ってしまったかもしれない。
そのときは、「
なんでそんなに下がると?」と言っていた。彼女のイントネーション以外の宮崎弁を聞くのは随分と久しぶりだった。「
逃げると?」だったかな。
「
めっさ」には「
むっさ」「
ごっさ」「
ぐっさ」というような仲間がいる。
ただ、「
ごっさ」は能登では「ゴミ」という意味になるらしいが。
一説に、
めっちゃ <
めっさ <
もっさ の順に意味が強くなる、とも言うが、定かではない。
似たようなのに「
ばり」「
ぶち」なんていうのがあって、これは関西以西で勢力を広げている語だが、「とっても!」ということを強調したいが為の語なので、新規性が重要である。そのため、非常に早いテンポで広がっていく。
なので、非常に早いテンポで廃れるのではないか、という気もするのだが。「ゲロ」なんかもう廃れてるのか?
よく耳にするのは「ありえなーい」である。これに噛み付く人も多い。まぁ、噛み付きたくなる気はなんとなくわかる。
が、「うっそー」とか「しんじらんなーい」とか、眼前の事実を否定する表現は昔からあって、その線上にあるのは事実。そんだけビックリした、ってことなんであろう。俺は絶対に使わないが。
いい年こいた大人だって、「アリエナーイ」とは言わないまでも、実際に起こっているのに「そんなことは絶対にない」と断言する人はいる。「あるとすれば、○○が××なんだ」と続いたりするが、それは「絶対に」とは相容れないよな。言葉は「正しく」使おうぜ。
「○○弁」の認識という点では、「
じゃん」が横浜、というのは有名な話。
元々は静岡の表現で、それが東海道を北上してきたから、東京サイドからは横浜の言葉に見える、というわけである。それが全国的に広まってしまった。大阪の芸人が、気取って東京弁を使うときなど、決まって「
じゃん」と言うが、あれは、静岡の人とか、静岡よりの愛知の人とかは笑えるんだろうか。無理に使っている、ということがわかるように話すから、笑えるのかもな。
つまり、誰が「これは○○弁」だ、と言うのか、ということが問題になる。メディアにのるそういう言葉を注視するなら、やはり東京だろう。
東京西部の表現だと思っているものの中には、その先、つまり山梨方面から流入してきた表現が多い。あるいは、東京北部には埼玉や、遠く東北の方言も入ってくる。例えば、前にも書いたが、「かったるい」は、埼玉の「腕 (かいな) だるい」が元になった表現だ。この辺は、井上 史雄氏の『
日本語ウォッチング』『
日本語は年速 1 キロで動く』に詳しい。
さて、「
めっさ」に戻る。
これが「最近の表現だ」と思っている人は、この
大阪外大の先生のレポートを読んで驚愕していただきたい。なんと、
浅香 唯が休業期間に入った頃の話。勿論、これは「大阪で観察された時期」であって、ここまで広く使われるようになったのはもっと後のことであろうが。
物事の流行は何に寄らず S 字カーブを描く。はじめはゆっくり、次に急カーブ、最後もゆっくりである。
*1
で、「最近の若い者は」ということを口にする人たちが気付くのは急カーブのところで、多くの場合に、その右よりの点だったりする。そうなってから騒いだってもう遅い。
かと言って、左端の緩いカーブでは、「こんな言葉遣いをしている奴がいる」と言ったところで相手にされない。ごく一部の人が使っているだけで、聞いたことがある人もごく一部だからである。
つまり、言葉遣いを固定しよう、って発想自体が間違っている、ということだ。
どうしても、ここに話が来ちゃうな、最近は。
*1
正確にはこんなカーブ。
(↑)
"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る
第370夜「バイオリン、ピアノ、ボーカル」へ
shuno@sam.hi-ho.ne.jp