Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第363夜

雷・火事・おやじ



「地震」と来たら、こう続けねばなるまい。菅原道真もやったし。
 まず「雷」。

 そう離れていないのでは、「かんなり」というのが新潟と岐阜や山梨の一部にある。
 かと思うと鹿児島でも言うようで、「かんなれこう (雷講)」という行事がある。車座になって、雷の役の人 (かんなれ) が「ゴロゴロゴロ…」と言っている間、他の人は御幣を隣の人に渡しつづける。「かんなれ」が雷のまねをして、落雷が起こった瞬間に御幣を持っていた人が次の「かんなれ」になる。
 これ、豊作祈願とか雷除けらしいのだが、これがどうしてそうなるのかの説明が見当たらない。予防接種みたいなもん? 既に雷に当たったことにする、ということかなぁ。

 多いのは、「どんどろ」系。四国・中国あたりがメインのようだ。「どろどろ」「どんどら」などのバリエーションがあり、これに「さま」「さん」「はん」などが繋がる形がある。「どんどろけ」なんてのもあった。説明は不要であろう。音だ。
 長崎の一部に「どろがみ」という形があったが、「がみ」は「神」だろうなぁ。

「雷」は神様が引き起こす現象、というのは広く言われていることらしく、あちこちにある。
はたがみ」というのは、丹後というから、京都北部。この「はた」は何だろう。
「雷」は「神鳴り」だということを知っている人も多いと思うが、「神立」とかいて、「かんだち」とも言う。神様が突然、立ち現れる、ということだが、福島、千葉、長野、とちょっと散っている。
「鳴神 (なるかみ)」とも言う。「いかづち」は、大辞林に寄れば「厳 (いか) つ霊 (ち)」だとか。
 自衛隊には「いかづち」って護衛艦があるそうだ。桑原桑原。

 前にも紹介した岐阜の美山町では「ゆだち」と言う、らしい。確かに「夕立」には雷は付き物だが…。
 季語としての夕立は「ゆだち」とも言うそうだ。

らいさま」というのを聞いたことがある人もいるだろう。「雷様」だが。
 念のために言っておくが、「雷」を「らい」というのは、音読みである。つまり、「らいさま」って重箱読みなんだよな…。
 関東北部から東北南部にかけて見られる。「れいさま」というところ、「おらいさまさん」とするところ、などがある。
 市川雷蔵のことも「雷様」と言ったりするらしい。

 太平洋側では、雷は夏のもの (夕立というのもあるし) ということになっているらしいが、日本海側では冬にも発生する。これを契機に冬本番、というところがある。
 例えば、雷が鳴るとブリの季節になる。富山では、12 月頃の雷を伴う暴風雨を「ぶりおこし」と言う。
 こっちは雪国全般、しかも時期を問わず、だが、雪の前兆となる雷を「ゆきおこし」と言う。
 不思議なのはどちらも「おこし」だということ。眠っているものを「起こす」というイメージなんだろうか。
「ゆきおこし」って花があるらしい。

 さて、「雷電」という語がある。
 天下無敵の相撲取り、雷電為右衛門の名前を知っている人は多いだろう。
 この人、江戸時代の人なのだが、ということは、雷が電気だということを江戸時代の人は知っていたのだろうか。
 さにあらず。「電」というのは、「稲妻」のことだった。

 なぜ、雷の光のことを「稲妻」というか。
 俺は昔、あの線を、稲や穂に見立てたのかと思っていた。これをよそで口にすると、民間語源、とか言われてしまう。
 元は「稲夫」と書いて「いなづま」と読んだ。
 古代、稲はその光を受けて結実すると考えられていたからである。
 別の書き方で、「稲交接 (いなつるび)」というのがある、と聞くと、かなり生々しくなる。

 次が「火事」。
 と思ったら、俚言形はあんまりない。だろうな、という気はする。もともと「火事」と書いて「ひのこと」と言っていたのを音読みにしたのが「かじ」だそうだ。
 秋田なんかでは、「カ」と「クヮ」は別の音だった。今はもう老年層を探しても難しいくらいになっているようだが。「火事」は「クヮジ」、「家事」「舵」は「カジ」である。
 これは、古い発音を残しているものである。別に、「火事」が起こったら大事だから特別扱いにしているわけではない。

 大阪の古いシャレに「難波の火事」というのがあるそうだ。「心配要らない」という意味らしいのだが、これが説明を聞いてもよくわからん。
 難波には隣り合って「木津」という地域があるのだが、その間には川がある (今はないらしい)。したがって、難波で火事が起こっても木津までやってくることはない、という意味らしい。それで「木津かいない」〜「気遣いない」、と書いているのだが、この場合の「かいない」って何? 意味はないのかな。

 これも大辞林だが、「火事と喧嘩は江戸の華」というあれ。この場合の「火事」は火事そのものではなく火消しの活躍のことだそうだ。若衆の威勢のよさを言ったもの、ということ。

 おやじについては、親族名称の事を書いた文献は山ほどあるので、そちらを参照のこと。





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