出不精と言ってしまえばそれだけのことだが、「旅行がしたい」とは思わない口である。「行こうよ」と言われればついていく、という程度で、自分から計画して段取りして、という気にはならない。
大体、温泉でのーんびり、とは言うが、出かけたら戻ってこなきゃいけないわけで、戻るなり「やっぱり、うちが一番休まるねぇ」なんて言うようでは意味がないような気がするんだが。これは、上げ膳据え膳を喜ぶ主婦的発想ではあるまいか。で、帰った夜に疲れた体に鞭打って晩飯の準備を強要されるのは、上げ膳据え膳をしてやった、という男側の復讐か?
その割に、自転車でフラっと 50km なんてのはよくやるので、完全に出不精というわけでもないのかもしれない。尤も、自転車で行けるところって限られているから、それほど選択肢があるわけでもない。この場合、考えなくともよい、ということは言える。
旅が苦手でよくも方言のことを話題にできたもんだ、とは思うが、行けば行ったで色々とメモはしてくる。
今回は行かないで、テレビを見た、という話。
いや、「
旅の香り 時の遊び」って番組に南野 陽子が出てたもんで。
最初に思ったのは、ゲストとその友人が旅行する、という企画の番組なんだが、芸能人であるゲストと同様に、素人であるその友人にも映り方とかしぐさをつけたりするのかしらん、ということ。この場合、その友人というのは、元広島カープの小早川の奥さん。丸っきりの素人というわけではなかった。
行き先は福島。
まず登場するのは、「じゅうねん味噌」。
「
じゅうねん」というのは「荏胡麻 (えごま)」のこと。よく知ってるなぁ、ナンノ、と思ったら、健康食品として注目されている、とのこと。さいですか。
番組では、福島では「
じゅうねん」と呼ぶ、と言っていたが、ちょっと調べたら単なる別称のようだ。だが、使用例としてはやはり福島に偏っている感じがする。「十念」と書くらしい。
次、「
しんごろう」。番組でも司会の野際 陽子がそう形容していたし、秋田衆としてはついそう言いたくもなるのだが、寸詰まりの「きりたんぽ」。これに、さっきの「じゅうねん味噌」を塗って囲炉裏で焼く。
「きりたんぽ」って言うと何を連想するだろうか。食い方には 2 通りあって、同じように味噌を塗って焼く「焼きたんぽ」というのと、鍋にするのとがある。実は俺、「焼きたんぽ」って食ったことがない。
「しんごろう」に話を戻すが、これは人名の模様。
子供の拳くらいで \200…高くねぇか?
場所は、下郷町の大内宿。昔の、下野街道の宿場町がそのまま残っている、というもの。
ここには人が住んでいる。角館とか、白川郷と一緒。
俺、こういうの苦手。勿論、観光を一つの事業と捉えて積極的に参加している人も少なくないのだろうけど、人が生活を営んでいるところで遠慮しいしい観光させてもらう、というのが。こっちはまさに「物見遊山」で遊びに行っているだけに、実に心苦しい。
食い物シリーズの最後、「
青ばと」。
これは「枝豆」。実は俺、「枝豆」が「大豆」だってことを知ったの、かなり年くってからだったりする。
「青」はいいとして「
ばと」が何だかは不明。これで作った豆腐は絶品、なんだそうだ。
同じく下郷の観光名所、「塔のへつり」。川の両側の岩がえぐれて道のようになっている。蓋を横から滑らすときに溝みたいに見える。この「
へつり」はおそらく、
前に書いた「
へづる」だと思われる。「削る」ってことね。
*1
ナンノ、そこを靴ですたすたと歩く。曰く、「昔、こういうところでアクションやってたから」。それにつられて、映画「スケバン刑事」のビデオを見返したことを報告しておく。
一番、方言らしい方言は「
寄って休んでがんしょ」。意味は説明するまでもない。
それより、元気なことを誉められた婆さんが、「
若いってことはねぇけんども」と言った、このときの「け」。微妙に濁っている。あんまり耳がよくないのであれだが、これを“ke”と書くとすると、標準的な発音は“khe”となる、そんな感じ。中国語なんかで無気音と有気音の対立があるが、それと同じか?
秋田でも同様の傾向がある。大分前に「あぁ」と思ったのは、「アキラ」という人を呼ぶときの「キ」である。前に書いたっけ?
南野 陽子が関西出身だ、というのが再確認できた。
「来たお客さん」の、「来た」の「き」や、「客」の「く」、「持って来ちゃった」の「き」が母音を伴っている。無気化してるかもしれない。
東日本の、そしてそれをベースとした全国共通語では、ここに母音は入らない。“
kta okya
ksan”や“motte
kchatta”みたいな感じで発音する。
それにしても、友達と会話しているときと、一人でアップになっているとき (旅行のイメージカットみだいな) とで、顔が全然違うのには感心した。プロだなぁ。