』に石原 慎太郎氏が連載していたことがある。どれどれ、と思って読んでみたが、ダ/デアルとデス/マスが混ざっていて読みにくいことこの上ない。1 回で (しかも途中で) やめた。後で単行本になって、そこそこ売れたようだが、あれを読めるってのは、俺には理解しがたい。
ここで気づくのは、「『きちんと』に同じ」とは書かれていないことである。意味が違うのだ。
辛うじて (3) は意味が重なっているようだが、(1) と (2) は違う。特に、(1) には「きちんと」は使えない。(2) だって、「戸をきちんと締める」と「戸をきっちり締める」とは意味が違うと思う。後者は「隙間がない」ってことで、前者は「行儀よく」ってことではあるまいか。
ためしに
Google に「きっちり きちんと きちっと」を入れてみたが、5,000 件近くもヒットする。使い分けられている、ということだろうか。単に、区別できていない、という可能性も否定できないが。いや、そういうのがかなりある。なおかつ、役所や議会も含め、政治関係がやたらと多い。
それより、俺は「きっちり」に方言臭を感じる。具体的には関西方面の表現のように思うのだが。しかも、文体は低めではないか?
「
こないなったら、_____ 話つけたるわ」の場合、空欄に入るのは「きっちり」ではあるまいか。これは単なるイメージ、俺の語感だけなんだろうか。
Google ではどうやら「きっちり」を方言としたサイトはないようだ。何せ、文体の高い場面でも使われるようになってしまっているので、すごい数。全てに目を通すことなど到底不可能ではある。
「
きっちし」を俚言としたところは見つかった。
これの先輩には「やっぱり」→「やっぱし」や「ぴったし」というのがある。「やっぱし」「ぴったし」は既に全国区である。「さっぱり」→「さっぱし」、「きっぱり」→「きっぱし」はまだ標準形ではないだろう。方言語彙ということもあるまいが、会話のみの俗語表現だと思われる。
「きっちし」は Google では 250 件ほど見つかるが、これは、こうした先輩の存在が大きいだろうと思う。ただ、これがすべて俚言とは限らない。ネットワーカー特有の言葉遊びの可能性もある。それにしては少ない、とは思うが。
「きっちり」には、「きちんと」「きちっと」にはないニュアンスがあるように思うのだが。
端的な例文を作ると、「あいつ、呼ばれてもいないのに勝手に遊びにきて、きっちり食うもの食っていきやがった」。
ここでは「きちんと」「きちっと」は使えない。「きっちり」には、「本来、そうであってはならない」という含み、または「そうではないものも普通にある (『製品 A にはないが、製品 B は、きっちり C 機能を持っている』)」という含みがあるように思う。
つまり、本来「きちんと」「きちっと」とは交換不能のはずだ。
「きっちり」が関西方言であるという証拠 (あるいは、そうではないという証拠) が見つからないので、はなはだすっきりしない文章になってしまったが、「やっぱり/やっぱし」には「やはり」という仲間もいる。公の場ではこっちを使うであろう。
で、「やはり」を使っている場面では「きちんと」ではなければならないような気がするのだ。
アナウンサーや新聞記事の日本語がおかしい、ということはよく話題にされるが、同じようにコミュニケーションが命のはずの政治家や会社経営陣の日本語も相当おかしい、ということに、もうちょっと注意しなければなるまい。