秋田弁には「
んが」「
しょう」という言葉がある。どちらも、二人称代名詞である。
実は、俺は「
しょう」というのは聞いたことが無い。
4/16、
秋田魁新報の夕刊に、これに関する投書が掲載された。
65 歳の男性なのだが、「不愉快だからやめよう」と言うことであった。
聞いたことがないので「
しょう」のニュアンスはわからないのだが、「
んが」は同等または目下の物に使う言葉である。「あなた」「君」ではなく「お前」「てめぇ」。投稿者によれば、いくらか「
しょう」の方が丁寧らしい。
一応、書いておくが、投稿者は 65 才、秋田弁が好きだ、と言っている。やはり、ほっとするものらしい。そこはそれで一安心である。
例えば「
んが」で考えてみる。
上にも書いた「お前」である。
皆さんの言語生活を振り返ってみて欲しい。「お前」を使う状況ってどういう状況か。
まずは親しい関係である。ある程度、キツめのことも言える、気の措けない関係だ。
そこで「お前」を使ったとして、咎めだてすることはできるだろうか。
勿論、しつけの面にまで踏み込んで考えれば、「例え、そういう間柄であっても、『あなた』と言いなさい」と言う人はいるだろう。つまり、自分の弟に対しても「あなた」「君」と言え、と。そういう教育をしているのに、「お前」と言ったのであれば、咎めることはできる。
でも、それって極端な例じゃないか? 「お前」は常に悪い言葉、汚い言葉だ、と一般化できるだろうか。
もう一つ、別の状況。親しくはないが、ケンカしている、とか。
これって、既に言葉遣いを云々するという状況ではないのではないか。ここで、「『お前』はいけません、『あなた』と言いなさい」と言ったところで無意味なんではないか。
問題にするべきは、ケンカの方であろう。
「
んが」を、仲のよくない人に向かって使ったら、それは気を悪くする。ケンカになってしまえば、「
んが」がふさわしい状況にはなるが。
ここで「
んが」を使うな、というのは解決にならない。
その人は、コード選択を誤ったわけである。その誤りを放置すれば、「
んが」の代わりに「お前」を使うことになる。これは、一般に「きれい」とされている「標準語」だが、相手は気を悪くしないだろうか。
しないわけがない。
問題は、言葉自身ではなく、言葉の使い方を誤った人間の方にある。
「
んが」を禁止されたからって、代わりに「あなた」を使うような人だとしたら、それはそれで、その人の言語センスには問題を感じる。
投稿者は、「
んが」と「
しょう」の使い分けを問題にしている。言われた方は気を悪くする、と言う。
つまり、俺が今しがた書いた、コード選択を否定している。それはないだろう。相手によって言葉遣いが変わる、というのは当然のことなのだ。
「
しょう」を使うことの背景にある、媚びへつらった姿勢が問題なのであろうが、だからと言って、丁寧な物言いを否定することはできまい。
若い人は、
標準語のような、きれいな言葉を使っている、と書いている。これはポイントである。
この世代は、方言撲滅で教育を受けた世代である。
そのため、「標準語」はきれいで、方言は汚い、と思っている。これが前提になっている、ということを忘れてはならない。前提ゆえ検証されていない。
キレイとかキタナイというのは、個人のセンスであると同時に、相対的なものだ。絶対的にきれいなもの、絶対的に汚いもの、ってそうはない。
「
んが」は汚い、が成立するとする。じゃ、「版画」は汚いか? 「謹賀」は? 「マジンガー Z」は? “finger”は?
そう。「ン-ガ」という音の並びが汚いのではない。「
んが」が担っている、他者を見下した姿勢がそう感じさせるのだ。
*1
何度も言うが、方言主流社会においては、方言は日常生活の言語であり、全国共通語は改まった場で使われる言語だ。
どちらが穏やかに聞こえるか、と言ったら、それは考えるまでも無い。
こういう図を考えてみる。