Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第337夜

「んが」と「しょう」



 秋田弁には「んが」「しょう」という言葉がある。どちらも、二人称代名詞である。
 実は、俺は「しょう」というのは聞いたことが無い。
 4/16、秋田魁新報の夕刊に、これに関する投書が掲載された。
 65 歳の男性なのだが、「不愉快だからやめよう」と言うことであった。
 聞いたことがないので「しょう」のニュアンスはわからないのだが、「んが」は同等または目下の物に使う言葉である。「あなた」「君」ではなく「お前」「てめぇ」。投稿者によれば、いくらか「しょう」の方が丁寧らしい。

 一応、書いておくが、投稿者は 65 才、秋田弁が好きだ、と言っている。やはり、ほっとするものらしい。そこはそれで一安心である。

 例えば「んが」で考えてみる。
 上にも書いた「お前」である。
 皆さんの言語生活を振り返ってみて欲しい。「お前」を使う状況ってどういう状況か。
 まずは親しい関係である。ある程度、キツめのことも言える、気の措けない関係だ。
 そこで「お前」を使ったとして、咎めだてすることはできるだろうか。
 勿論、しつけの面にまで踏み込んで考えれば、「例え、そういう間柄であっても、『あなた』と言いなさい」と言う人はいるだろう。つまり、自分の弟に対しても「あなた」「君」と言え、と。そういう教育をしているのに、「お前」と言ったのであれば、咎めることはできる。
 でも、それって極端な例じゃないか? 「お前」は常に悪い言葉、汚い言葉だ、と一般化できるだろうか。

 もう一つ、別の状況。親しくはないが、ケンカしている、とか。
 これって、既に言葉遣いを云々するという状況ではないのではないか。ここで、「『お前』はいけません、『あなた』と言いなさい」と言ったところで無意味なんではないか。
 問題にするべきは、ケンカの方であろう。

んが」を、仲のよくない人に向かって使ったら、それは気を悪くする。ケンカになってしまえば、「んが」がふさわしい状況にはなるが。
 ここで「んが」を使うな、というのは解決にならない。
 その人は、コード選択を誤ったわけである。その誤りを放置すれば、「んが」の代わりに「お前」を使うことになる。これは、一般に「きれい」とされている「標準語」だが、相手は気を悪くしないだろうか。
 しないわけがない。
 問題は、言葉自身ではなく、言葉の使い方を誤った人間の方にある。
んが」を禁止されたからって、代わりに「あなた」を使うような人だとしたら、それはそれで、その人の言語センスには問題を感じる。

 投稿者は、「んが」と「しょう」の使い分けを問題にしている。言われた方は気を悪くする、と言う。
 つまり、俺が今しがた書いた、コード選択を否定している。それはないだろう。相手によって言葉遣いが変わる、というのは当然のことなのだ。
しょう」を使うことの背景にある、媚びへつらった姿勢が問題なのであろうが、だからと言って、丁寧な物言いを否定することはできまい。

 若い人は、標準語のような、きれいな言葉を使っている、と書いている。これはポイントである。
 この世代は、方言撲滅で教育を受けた世代である。
 そのため、「標準語」はきれいで、方言は汚い、と思っている。これが前提になっている、ということを忘れてはならない。前提ゆえ検証されていない。

 キレイとかキタナイというのは、個人のセンスであると同時に、相対的なものだ。絶対的にきれいなもの、絶対的に汚いもの、ってそうはない。
んが」は汚い、が成立するとする。じゃ、「版画」は汚いか? 「謹賀」は? 「マジンガー Z」は? “finger”は?
 そう。「ン-ガ」という音の並びが汚いのではない。「んが」が担っている、他者を見下した姿勢がそう感じさせるのだ。*1
 何度も言うが、方言主流社会においては、方言は日常生活の言語であり、全国共通語は改まった場で使われる言語だ。
 どちらが穏やかに聞こえるか、と言ったら、それは考えるまでも無い。

 こういう図を考えてみる。
方言(1)「標準語」(2)
文体・高(A)A-1しょうA-2あなた
文体・低(B)B-1んがB-2お前
「んが」を使っている状況を想定して欲しい。これが「あなた」になれば、「きれい」に感じられるだろう。
 これは、1 から 2 へと右にシフトしたからではなく、B から A へと上にシフトしたからである。
 更に、「標準語」「共通語」は、文体の高い場面で使われるし、一種の敬語体系でもある。つまり、右へのシフトは、水平移動ではない。上向きのベクトルを持っている。*2
 上の図は、本当はこうだ。
方言(1)「標準語」(2)
文体・高(A)A-2あなた
A-1しょう
文体・低(B)B-2お前
B-1んが
 これを、キレイ−キタナイの軸と、方言−標準語の軸を重ね合わせた、上下方向のみの二次元で考えることが間違いだ、ということである。

 なんか、ちと感情的になってしまったな。
 年配者が、方言やめようぜ、と言うのを読んで、結構ショックだったのだ。*3

 繰り返しになるが、一つだけ留保を付けておく。俺は「しょう」の正確なニュアンスを知らない。




*1
 勿論、濁音は清音よりも汚く聞こえる、ということはある。でも「銀河」は汚い言葉だ、と言う人はあまりいないだろう。 (
)

*2
 これは、しつこいようだが、ケンカのシーンを考えればわかる。秋田県人と東京都人がケンカし始めると、秋田県人の方は感情的になって方言に移行する。東京都人は「標準語」のままである。
 こうした場合、「あの人は流石だ。けんかになっても言葉はきれいなまま」という評価される可能性がある。 (
)

*3
 丁寧な表現の代表である敬語は、価値のデフレを起こす。ある表現が固定化すると、それだけでは敬意が不足しているのではないか、という風に感じられるようになるのである。「やらさせていただきます」の「さ入れ言葉」が代表例である。
 これと同じで、「秋田弁は汚い、標準語を使おう」と言ったところで、一定の時間が経つと「標準語は汚い」と感じられるようになる可能性は高い。現にこの投書では、「んが」より文体の高い「しょう」も、汚い言葉に分類されている。
 丁寧さを形式で追うのは、イタチごっこである。 (
)





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