用例付きで一発解決。
つまり、本来の意味は、「バカかお前は」と言われかねない質問、だったのである。それが「飾り気がない」というプラスの意味で捉えられるようになった、というわけで。使うほうも、それは変だ、と思うほうも、(1) の意味で使っている、ということ。
人の質問に対して使ってはまずい表現だ、ということもわかった。
*1
「素朴」と表現されることに妙な納得性があるのは、質問する側が、「こいつ、自分で調べてねぇな」というのが見え見えだからであろう。
一昔前なら、俚諺の語源を調べるのは割と面倒な作業であった。辞書によっては、有名な単語については、それが俚諺であることを明記していたりするが、有名な単語でない場合は直ちに、方言学の専門書を当たらざるを得ない、ということになった。小さな図書館だと、そんなものはなかったりする。
今は違う。
Internet の検索エンジンにぶちこんでみるだけでいいのだ。多くの俚諺が、これで見つかる。夕飯時の話題程度であればそれで納得すればいいし、正確なところを知りたければ、それを周辺情報として手がかりにした上で、大きめの図書館に行けばよい。
図書館はともかく、辞書を引きもせず、検索エンジンにぶつけてみることもせず、「○○って何?」などと言うから、「素朴 (2)」とか言われるのである。
そういうのでは、例えば「
ジャス」を頻繁に目にする。
なんで宮城では運動着のことを「
ジャス」と呼ぶのか。
答えは、わからない、である。「ジャージのスーツ」というのは比較的、納得性が高いが、あれは「スーツ」か? まぁ、確かに「サウナスーツ」とかいう単語もあるが。
で、ネットで検索してみると、これが仙台近辺でしか通用しない「気づかない方言」であること、山梨あたりでは「
ジャッシュ」と言う、とかいうことがあっという間にわかる。
更に、河北新報という仙台市の新聞社がやっているカルチャースクールの
案内に堂々と書かれていることも発見できる
この作業をすっ飛ばしてメール マガジンなんかに投稿すると「素朴 (2) な疑問」となる。
繰り返される疑問には、ほかに
なんてのもある。
ほかに特徴を探すと、確実なことはわからない、という点がある。わかっていれば近所の人が説明することもあるだろうから、そういう問いが繰り返されること事態は説明がつく。
不明だから、辞書なんかには載せられない (調べないだろうが)、いろんな説が飛び交って、生齧りの知識をひけらかす輩もいるから (耳が…)、不正確の拡大再生産が起きる。
こういうのは民間語源の温床となる。学術的裏づけのない語源説明である。鵜が飲み込むのに難儀をするからウナンギ→ウナギ、などというアレだ。
「
ジャス」には、ある百貨店が「ジャージスーツ (
ジャス)」と書いたのが元、という有名な説があるそうだが、これが民間語源の立場を脱出するには、その百貨店がそういう記述をする前は運動着を意味する「
ジャス」という語は使われていなかった、ということを証明しなければならない。
かつて、メディアと言えば、新聞・雑誌であり、それにラジオとテレビが加わった。
これは一方通行のメディアであり Internet は双方向で個人の情報発信が云々と言われて久しいが、人はあまり変わってないのだろう。一方通行でいい、黙って降ってくるのを待ってるだけ、って人がいかに多いか、ってことである。
Internet の世界は、百家争鳴百花繚乱、いろんな人や組織がそれぞれの支持者を得ている。そのおかげで、決定的な影響力をもつメディアが存在しない、ということも理由の一つかもしれない。
逆に、Internet に限らず、この世に「決定的な影響力をもつ」ものなんてのがあっては困るわけで、実は、こういう状況、望ましいものなのかもしれない。次善だけどな。
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Lycos ディクショナリだと、
1 自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと。単純で発達していないこと。また、そのさま。「―な遊び」「―な漁法」「―な疑問」
2 人の性質・言動などが、素直で飾り気がないこと。また、そのさま。「―な人柄」