5 年ほど前だが(え、もう 5 年になるのか)、男 3 人、山形で陶器作成を体験したことがある。
言い出した人は何度かそういうことをしたことがあって、手際がよい。もう一人は、器用なのかそこそこの形になった。聞くところによると、そのとき作ったものは、実際に使っているらしい。
俺のはというと、なんだかわからない代物になってしまった。
陶器 (だろう) に入れて売ってるカップケーキなんてのがあるが、あれのとてつもなく
じゃごくさい (田舎くさい) やつだと思ってもらえれば。
厚ぼったいのは素人だからしょうがないとして、高さが中途半端。7cm くらい。小皿にするには深い。そもそも、小皿を使うような食生活をしていない。
「これ何」
「…容器」
というような次第。
てぼっけ (不器用) なんだよ、俺。
ペン立てには浅い。
灰皿には使えるかもしれない。吸わないけど。
陶磁器と言うと、真っ白なのを飽きもせず一日眺めるものだが、いい年こいて、未だに陶器と磁器の区別がつかない。困ったときの
大辞林。
茶碗が磁器で、いかにも土で作りましたって感じのが陶器?
「陶器」の方の、「陶磁器のうち」って書き出しには疑問を感じる。
「瀬戸物」が、愛知の「瀬戸」で作られた陶磁器が主流だったから、ということをご存知の方も多いと思う。
一歩進んで、「瀬戸」の陶磁器を使ってない地域だったらどうなるの、という疑問を持ってみる。また
大辞林。
Google に行って「からつもの」で検索してみる。30 件。
そのほとんどが、「東日本では『せともの』だが、西日本では『からつもの』と言う」、ということを紹介した、焼き物・歴史・地理のページである。
それって、「からつもの」って単語が死にかかってるってことじゃないの?
辛うじて、日常の使用と思われる例が
1 つ。
「せともの」を磁器、「からつもの」を陶器、としているページもある。
ちょっと焼き物関係の俚諺羅列。
「
きびちょ」は「急須」。北日本で広く使われている。
俺の実家には蓋の開かない急須がある。世にも珍しい代物だが、実は単なる失敗作。その作家が高名な人になってくれれば、後で売れるかもしれん。
湯呑みのことを「
ちゃくみ」というところがあるようだ。かすかな違和感があるが、それは「汲む」の意味を「汲み上げる」に偏った形で理解しているからだろう。大体、酒は「酌む」ものだし。
茶碗などの「ひび」を「
いみり」というところがある。「
ひびり」というのも見つかったが、これの変化したものだろうか。
北陸では「
ちゃんばち」というところもある。これは「茶碗鉢」か。
高台 (こうだい: 茶碗なんかの下の部分) のない杯があるのってどこだったっけ。立たないから飲み干さないと置けない、というアルハラを絵に書いたような代物だが、鹿児島だったような気がするんだけどなぁ。
大小の茶碗を組み合わせたものを「夫婦茶碗」というが、これは差別語か?
焼き物つながりで言うと、平たい瓦を「雌瓦」、半円形のヤツを「雄瓦」と言うそうだが、これも差別語?
やってみると面白いのは事実である。土こねくりまわしてると童心に帰る。さすがに三十ないし四十面さげて泥を顔に塗りつけたりはしなかったが、真剣な顔の割に、ほほが緩んでいたように思う。
その気になって周りを見ると、体験できる窯って意外に多い。やってる人も少なくないようだ。例えば、
ふみふぅさんとか。
手元に、七輪で火を起こし、そこにドライヤーで風を送って高温を作り出して、自分の家で焼き物をしよう、ということを書いた本 (『
すべてができる七輪陶芸』) もある。そんなわけで興味はあるのだが、これ以上、灰皿を増やしてもしょうがないので自制している。