Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第319夜

Keep on Rolling



 正月に、高校の同期会があった。
 俺は二次会には行かずに帰ってきたが、それは決して俺が人でなしだからではなく (人でなしでない、とまでは言わないが)、いつもツルんでいた連中がいない、もしくは、二次会に参加しなかったからである。
 その大半は、そもそも卒業生名簿に住所が載っていないか、載ってはいても実家であって、本人の現住所ではないため、適切な時期に出欠の返事が届かない。ったくどいつもこいつも。

 なんせ卒業してから 20 年も経っている。まぁ、同期会、または同窓会、というのはそういうものだと思うのだが、とっかかりは非常にギコチない。
 どれくらいギコチないかと言うと、お互いに標準語でしゃべってしまう、というくらい。同じ秋田出身、秋田育ちだっつーのに。
 この、標準語そのものが一つの敬語体系である、という感覚は東京・大阪あたりの人には理解しにくいだろうと思う。

 逆に言うと、いきなりなのに秋田弁で話が始まってしまうケース、というのもある。
 これは、相手次第である。20 年ぶりで、実質的に他人と言ってそれほど問題ない相手もいるにはいるが、それを一気に越えられる場合、そして、相手が以前から秋田弁丸出しであった場合は、いきなり秋田弁で始まる。
 これも (東京以外の) 都会の人には理解しにくいかもしれない。秋田出身、秋田育ちでも秋田弁を使わない人、っているのである。
 それは、親の方針であったり、転勤を繰り返した人であったりと事情はいろいろだが、大雑把に言って、将来、県外に出よう (脱出か、一時的なものかを含め) という意志のある者は、そうなる傾向が強い。

 実際問題として、県外に住んでいる者が多い。そのため、同期会は正月かお盆に行われることが多い。それ以外の時期では、県外在住者の参加者は見込めない。
 その結果、「俺、○○に住んでるんだ」「○○ってどこだっけ」「秋田空港に行くときに通るだろ」という会話が成立することになる。

 話を戻す。
 進路の話は二年生くらいのときに出るし、同級生がどういう志向を持っているか、というのは、相手にも寄りけりだが、一年生の段階でわかってしまうこともある。
 なので、一年生のときに同じクラスで、それ以後、同じクラスにはならなかったし、まるっきり 20 年ぶりなのだが、ポンと秋田弁会話、ということもある。

 最も秋田弁率の高かった人はどういう層か。
 先生方である。
 これは、落ち着いて考えるとわかる。
 教職員って、都道府県の教育委員会に所属している。都道府県を越えた異動ってほとんどない。しかも、全く別の都道府県出身者が秋田に来るケースというのも、全くないとまでは言わないが、ごく少ないわけなんで、スピーチをさせると、概ね標準語っぽいのだが、やはりアクセントやイントネーションは紛れもない秋田弁である。
 もちろん、高年齢になるほど方言話者の比率は高くなる、ということもあるのだが、恩師をつかまえてそんなことは言えないので、これはこの辺にしておこう。

 我々もそろそろ四十の坂が見えてきた。
 おそらく、人生を折り返している。
 とは言いながら、これは俺には衝撃的だったのだが、もう、老後が云々、という話題が出てくるのである。
 そう言ったのは、俺の数少ない女性の同級生で、詳しくは聞かなかったが、やはりいろいろとあるようだ。
 でもね。
 結婚して子供が出来たし、親の介護もあるから、それでおしまい、ってことはないと思うんだよ、M さん、H さん。
 俺は独身なんで、「いいわねぇ、自由で」というようなことを言われたが、未だに進むべき道が見つかってない。あのころから一歩も進んでない、と言っていい。
 でも、なんかあると思うんだよね。見つかってないだけだと思うよ。「なんか」って表現が無責任なのは百も承知だけど。

 こんな甘酸っぱい夜は、いつもの、オタクな DVD を見る気になれない。
 忌野 清志郎が秋田に自転車で来た様子を放送したビデオを見る。
 51 才が 1,000km を走る。
 こんな夜は、それを見ながら泣く。
 自転車者としても、そうなんだけど。

 そういや、俺たちの世代、文化祭で「雨上がりの夜空に」、歌ったよね。





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