NHK の「さくら」が終わった。
終盤、放送を一回飛ばして関係者が処分とかいうミソもついたが、序盤の苦戦とは裏腹にかなりの人気番組となったらしい。
やっぱり、主人公のあっけらかんとした性格がものを言ったのだろうか。朝の 8 時から辛気臭い話は見たくないものなぁ。
舞台は、高山・東京・ハワイ、たまに名古屋と大移動を繰り返す。勿論、方言花盛りである。
高山弁の指導は俳優の人がやっていたようだが、「ハワイ英語」指導という立場の人もいたらしい。
そこで、「私の好きな古里の言葉 飛騨弁・美濃弁」という本を手に入れてみた。
その前に、岐阜の方言を概観しておこう。
『最新 一目でわかる全国方言一覧辞典(
学研、1998、ISBN4-05-300299-0)』と『都道府県別 全国方言小辞典(
三省堂、2002、ISBN4-385-13694-7)』によれば、岐阜の言葉は北側の飛騨と、南側の美濃とにわけることができる。
東西の接点であり、かつ、7 県と境を接する岐阜は、言葉の上では非常に複雑な様相を呈するのだそうである。
ところで、この南北の距離感ってどんな感じなんだろう。
最初の本に戻る。
これは、岐阜新聞の朝刊に連載されていたものをまとめた本らしい。読者からの投書も相当数にのぼったこと。
その年齢構成をちょっと見てみる。
若年層で少なく、高年齢になるにつれて増えていく。それはわかるが、40 代が妙に少ないような気がする。
投書は女性が多い。老年層になると男女差は小さくなるが、前に取り上げた住友調査と一緒で、男性はこういうことに関心を持たないのだろうか。あるいは新聞をゆっくり読んでる暇がないのか。
男女で思い出した。ちょっと方言を離れる。
「さくら」で、小澤 征悦氏演じる桂木先生が、高野 志穂氏のさくら先生を「
お前」と呼ぶのが話題になったんだそうだ。勿論、抗議である。曰く、男女同権の世の中で、同僚の女性教師を「お前」呼ばわりするとは何事か。
それ自体はわからんことはない。周りに、女性蔑視で「お前」と呼ぶ人がいたら抗議してよい。
だが、これはドラマである。フィクションなのだ。女性蔑視だからやめろ、つまり、脚本を変更しろ、というのは見当違いもはなはだしい。それに従えば、「お前」という単語を使う人が存在しない世界を描くことになる。それは「虚構」ではなく「嘘」であろう。「Dr.スランプ」がペンギン村という悪人のいない世界を舞台にストーリーを展開するが、これと同じ。それを NHK の朝のドラマでやるか?
このピントはずれは、まさに「言葉狩り」と呼ぶにふさわしい。しょうがないだろう、桂木という教師はそういう人物なのだから。
名前は失念したが、その道に詳しい大学教授が、アメリカの文化で育ったさくらが「お前」呼ばわりを受け入れているのはおかしい、と言っていた。これは正しい。これがフィクションに対する抗議のあるべき姿であろう。
問題は、「女性蔑視」なのである。「女性蔑視をする登場人物のいるドラマ」ではない。そこをわきまえないのは、「バルタン星人が攻めてきたらどうしよう」と本気で心配するのと大差ない。
尤も、桂木先生を「男」だの「武士」だのと表現するのには、ちと辟易したが。言うのが、自分でパーティ料理を調えてしまう、江守 徹氏演じる中曽根校長なので、ちと (表面的には) 説得力に欠ける。
さて、本で拾った俚諺に話を移す。
おぶく様をさいまいする
うわ、全くわからん。「神仏に供えたご飯などを下げる」という意味らしいのだが、
あれこれ調べて、「おぶく AND 仏」でやっと見つかった。
「御仏供」と書いて「おぶく」と読むらしい。
常滑の人で、岐阜ではないのだが、
新見のホームページにある
同居日記で、「
おぶくさん」というエッセイを見つけた。
で、後半だが、完璧に不明。「しまう」? とか思ったりもしたが。
かきむかい
「か」にアクセントがあるそうな。笠原町 (美濃。愛知県境付近) の言葉らしいが、「二世代の家族。核家族のこと」。
「二世代の家族」を「核家族」とは言わないと思うのだが、どうか。
かねこおり
「凍る」または「氷」
新潟から富山辺りまで通用する言葉のようだ。この本では穂積町 (美濃。岐阜市の南西) の人が紹介している。
「氷」については、前に書いたような気がしないこともないが、「氷」と「つらら」を別の語で表現するところと、同じ語で表現するところがある。
秋田では「氷」は「しが」あるいはそれに似た形で表現するが、内陸部では、これで「つらら」をも示す場合がある。
この本では、道が凍っているよ、というような用例があるところから「氷」を指している訳だが、富山や新潟では「つらら」をも含むようだ。
つづく。