Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第279夜

『誤訳 新版』




 今回のテキストは『誤訳 新版 (W.A.グロータース著、柴田 武訳)』。
 方言学の勉強をした日本人なら知らぬ人のない、グロータース神父の本である。古本屋で見つけたので飛びついた。79 年の本で、旧版は 60 年代である。そこには気をつけておく必要がある。

 まず方言とは関係のない話で恐縮だが、ジェスチャーの話。
 ジェスチャーをやってみせて、ある文を組み立てさせる、というあのゲームである。もうテレビ番組としてはやってないが、両手を平行に並べて横にずらすと「〜は脇においといて」である、というある種の約束事はかなり定着しているようである。
 本の中で、「赤い布をいくら振っても、牛がむかってこないので、ハラをたてた斗牛士」という問題が取り上げられている。
 時間のある方は、これをジェスチャーで表現するとどうなるか、組み立ててみて欲しい。解答者をやってくれるパートナーがいたら実演してみるのもよい。
 その番組 (NHK の『ジェスチャー』) でタレントが真っ先にやったのは「闘牛士」である。並べると、布を振る−牛、むかってこない−闘牛士、怒る、だったそうだ。
 これ、日本語の語順と違う。関係代名詞を使った英語の語順に近い。
 関係代名詞を使った英文を訳すとき、先行詞 (闘牛士) を最後に持ってきて、関係代名詞よりも後ろを前に持ってきて、とやるんで「英語って面倒くせぇなぁ」と思った人は少なくないと思うが、我々も時と場合によってはそういう発想をするんだ、というので非常に興味深い。
 多分、決定性の問題だと思う。この問題文では、主題が一番最後にならないと出てこない。日常会話なら黙って聞いていればいずれ判るからいいが、ゲームという、一刻も早く真意を理解しなければならないシチュエーションでは、主題を真っ先に提示することが必要になるのだと思われる。

 次に驚いたのは、聖書についての以下の文:
エレミアスによれば、ギリシャ語のアガパン (agapan) は、この場合、アラム方言の意味、「(神への) 感謝」「(神の) 賛美」の意味で用いられている。
 聖書というのは権威のある本である。だから、それが方言で記述されている、というのはちょっと虚を突かれた。
 何度か書いたが、日本では、方言が文章として残ることは滅多にない。最近ならともかく、方言に関する文書以外で、方言そのものがのっている本はほとんどない。江戸時代の文書なんて、どこで書いたものであってもれっきとした文語 (妙な表現だが) で書かれている。そうじゃないのって東歌くらいじゃないか。
 仮名は二種類しかない。だが「い」と「イ」の音は同じなので、音の点では 1 種類と言える。これでは昔の方言の発音がわからない。
 こういうときに使われるのは、実は、外国人が書いた文章である。具体的にはザビエルに発する宣教師たちが、日本語を覚えるために書いた辞書がよく使われる。彼らは耳で聞いた通りにアルファベットで記述するので、どういう音だったかが正確に判るのである。

 予想外に方言が拾えたのは、「IV. 否定と肯定」という章。
 埼玉の毛呂 (もろ−高麗川と越生の間) で、子供が言い合いをしているのを聞いた、という話。
甲「言ってない!」
乙「言ったとしたッ!」
 乙が言っているのは「言ったってばっ!」ってな感じだと思われる。
 どうやら旧版で書いた箇所らしい。40 年近く経っていることになるから、この「言ったとしたッ!」はもう聞かれなくなっているかも。

 我々方言話者は日常的に翻訳しているようなものなので、こういう本は結構、リアリティがあって面白い。
 この本はタイトルが示す通り誤訳の話をとりあげているのだが、ソースの言語とターゲットの言語と、両方をきちんと分かっていないと翻訳はできないのだな、ということがよくわかる。
 世界を捉える升目のずれがある、という話は何度もした。「おだる」は「折る」に対応する言葉ではあるが、「折った結果、使い物にならなくなる」というニュアンスがあるので、折り畳みの傘について「おだる」を使って説明することはできない。そこがわからないと誤訳してしまうわけだ。
 本書では例えば、フランス語の“veiller”という単語にまつわる誤訳が上げられている。これ、「寝ずの番をする」「気を使う」という意味があるのだが、「通夜をする」という意味も辞書には書かれている*。この単語が、人の死を描写したシーンに出てきた場合、通夜なのか、遺族に対して気を使っているのかを見極めるのはかなり難しい。そもそも、通夜という習慣はフランスでは一般的ではないらしい。この単語以外の部分の意味、文脈やニュアンス、文化などを正確に把握しないと誤訳する。
 方言の場合、なまじ同じ国内だと思うから、この辺を適当にしている。気づかないことも多い。そのせいでつまらないいさかいや、妙なステロタイプに冒されたりする。勿体ない話だと思うのだが。

 というわけで、日本語外国語問わずディスコミュニケーションに興味のある方はどうぞ。
 ただし絶版ゆえ、図書館か古書店を当たってくださいますよう。




*
“veiller un mort (直訳すると「死体を見張る」か)”という形の時だけらしいのだが、そう書いてる辞書は少ないのだそうだ。
「死体の場所」を指す熟語があるのだが、車の助手席のことだそうな。(
)





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