Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第274夜

安定と長期低落




 やはり「普通」とか「普段」という言葉の使い方は難しいな、と思った。
生きている日本の方言 (佐藤亮一、新日本出版社)』を読んでの感想である。

 最後の方にある、方言調査でアクセントやイントネーションを調べるために、「次の文章を普段と同じように読んでください」という依頼をしたときの話だ。
 場所は大阪。
 インフォーマント (調査対象) は主婦だったのだが、「普段、子供に本を読んでやるときはこうなので」と、標準語系の発音ですらすらと読んだ、というのである。
 この話からは、いろんなことを引き出すことができる。

 まず、冒頭に書いた通り、「普通」「普段」の難しさである。
 この女性は、「普段、読む」に反応したのだと思われる。確かに、書いたものを声を出して読むことというのはあまり多くない。母親ならば、子供に絵本を読んでやるときがそうだろう。
 ちょっと冷たい言い方をすれば、質問が悪い。
 この質問は、普段の会話における音声を調査するためのものだから、そういう風に問い掛けなければならない。

 実はこのインフォーマントは、読む前に、東京式と大阪式とどっちでやればいいのか、と質問している。
 このインフォーマントは、東京式と大阪式を意識的に使い分けることができる、ということである。
 従来、大阪弁はフォーマルな場所でも使われるものであり、東北などで、学校の授業が標準語系の言語で行われているという話をすると、大阪の人は一様に驚いたものだが、それが崩れている、ということになる。
「本を音読する」というのは、その本に書いてあることにかなり引きずられるわけなので、標準語系になりやすい、ということは言えるのだが、例えば吉本の芸人達がテレビやラジオで視聴者からの葉書を読んだりするとき、アクセントもイントネーションも大阪風のままである、ということを考えれば、やはりこのインフォーマントのケースは「変化」なのである、と考えざるを得ない。

 さて、このインフォーマントからの質問だが、調査者は、質問文をもう一度読む、ということで対処している。
 俺も一度だけ方言調査をしたことがあるが、こういう質問があったときは、詳しい説明をするべきではない、とされている。それは、その担当者ごとに説明の仕方が違うと、調査結果の正確さに疑問が出るからである。勿論、担当者は質問の意味を理解しているのではあるが、調査のやり方は、細部に至るまで同じになるように勤めることが要求される。逆に言えば、だからこそ質問文には細心の注意を払わなければならない。

 もう一つ、そのインフォーマントが日常的にやっているというそれは子供に対する読み聞かせだ、ということである。
 こうして、標準語系の言語で育てられた子供はおそらく、標準語色の強い言葉遣いになるものと思われる。
 前に「言語」誌 2000 年 1 月号で真田 信治氏が、大阪における大阪弁のポジションが低下しつつある、ということを書いていた。方言が、社会 (保育園や幼稚園なども含む) との接触によって初めて習得される言語になりつつある、ということも書かれていた。それと同じ話なのであろう。
 しかし、こないだもスーパーで、秋田弁で駄々をこねている子供と、標準語でそれを叱っている親、というのを見かけたが (その逆も見たな)、これは多くの地域が既に通ってきた道である。何も大阪弁に限った話ではない。

「普段」ってのはいつのことを指すのか。
 ということを事前に定義してから出ないと方言のことを語れない、というのが、まず一つある、ということに今、気づいた。
 なぜ調査する側が「普段」という言葉を使うのかといえば、文体の高い場面では標準語系の言葉に切り替わることがわかっているからである。文体の低い場面という条件を付加しないと、正確な方言の姿を捉えることができない。そのための「普段」である。いや、あった。
 それが現在では、「普段」という言葉で表現できる状況であっても方言を使わない場合がある。しかもその頻度は無視できない、ということである。

 まぁ、危機言語(endangered language) の話でも、親子が自分達の言語で話ししなくなったら黄色、てなこともあるようだし、「方言は社会に出てから触れるもの」になった時点で終わりだったのかもしれない。

 この本は、入門用としては非常に優れた本だと思う。
 ちょっと方言についてきちんと読んでみようかな、という方にはお勧めである。
「日本語学 (明治書院)」の 2001 年 9 月号に三井はるみ氏の書評がある。こちらも併せてどうぞ。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第275夜「思いやりという弱気」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp