Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第271夜

ぼっけぇきょうてぇ



「パリのアメリカ人」とかいう題名の映画があったと記憶している。この題名は恐らく、そのパロディであろう。
 表紙の絵は、爪を伸ばしているし、牙も生えている。悪魔っぽい。裏表紙は、その絵のネガである。これも、おどろおどろしいと言えば言える。だが、頭から出ている角の先っちょはハートマークで、色合いも明るく、なぜか水玉が飛んでいる。
 ぱらぱらとめくると、どうやら岡山弁のオンパレードである。してみると、これはホラーっぽい雰囲気をちりばめた楽しいエッセイ集であろう。京極 夏彦氏みたいに、恐いのとギャグと書きわける人もいることだし。各章の題名も「わしはもう、岡山には入国できんかもしれん編」なんて感じだし。
 と思ったのが間違い。
 岩井志麻子氏の『東京のオカヤマ人』。
 きっちり恐い話を書いている。
 恐い話、苦手なんだってばよー、と思いながら読んだ。正直言って、途中でやめようかとも思った。
「『そ』編」が一番恐かった。

 岡山は「晴れの国」を名乗っているらしい。年間降水量が日本一少ないんだそうな。
 秋田とは正反対。降水量はともかく、年間の日照時間は日本一少ない。だったら恐い話も書けそうなもんだが、秋田出身の有名ホラー作家というのは聞かない。いや、俺がホラーに対して耳と目をふさいでいるだけなのだが。

 恐い話には目をつぶりつつ、岡山弁の話。
 各章のタイトルは、「ぼっけえ編」「きょうてえ編」という具合に岡山弁で統一されている。この二つは既に有名だから飛ばすとして、印象に残ったのは「すばろうしい」か。
「侘しい。情けない。切ない。トホホ
 という感じだそうな。
 形が「素晴らしい」に似ているわりに意味が正反対なので、トラブルの原因にもなりそうな気がする。
 似た単語で「みすぼらしい」を思いだしたので調べてみると、「見窄しい」と書くらしい。「窄」は「狭い」という意味で、「手で狭い状態を作る」と「搾る」になるんだそうだが、「狭い」と「みすぼらしい」の関係が今一わからない。まぁ、みすぼらしいものを見るときは、目を見開いたりせず細めることになるだろうから、その辺?
 行き詰まったので開き直って「すばらしい」を調べてみる。
(2) 程度がはなはだしいさまをいう。(イ) 近世江戸語では、多く望ましくないさまをいうのに用いられる。(『大辞林 (初版、1989、三省堂』)
 なんだ、これじゃねえのか。

「やっちもねえ編」と「こらっしもねえ編」がある。
 どっちも「とんでもない」という意味らしいが、これは「埒」だろうなぁ、きっと。
 秋田弁で「ダメだ」という意味の「やづがね」という単語があって、これもおそらく「埒」だろうと思っている。この「らち」が「やち」になるメカニズムってどこから来るのだろう。

 頻出するのが「やこ」。
「〜なんか」という意味らしい。「私なんかどうせ」の「なんか」である。
 前に讃岐弁の話をしたが、あの時は「や」であった。あのへんの特徴なのかもしれない。

『最新 一目でわかる全国方言一覧辞典(学研、1998)』によれば、「られい」という命令形が備前の地域にあるらしい。
「しばし待たれい」を思い出すが、これには敬意が入っている。この本にも出てくる「ちょっと待たれい」は「待ってください」や「待ちたまえ」ではなく「待て」らしい。

 こう書いたら怒られるかもしれないが、後書きが一番、安心して読めた。
 各章について、2 行単位でコメントを残している。これがシャープでよい。こういう筆致は、俺は好きである。
 なんせ恐い話は本当に苦手なので勘弁してつかぁさい。後書きが一番面白い、とは思うとらんで。

「わしはもう、岡山には入国できんかもしれん編」なんていうことを書いているが、氏はすでに「ふるさと日本のことば」で岡山県代表扱いされている。だからホラーの苦手が俺が、氏の文章を何か読んでみようと思ったわけではあるが。
 それにしてもあけすけに書くなぁ、と思った。
 俺なんか「右手の想い出」とかそんな話は書けない。このホームページは方言話云々で書いているだけあって、小学生も時折、見に来るくらいなのだ。左手が一番とかいう話なかったっけ、いやなんでもありません。

 本人が後書きで述懐しているが、この本は「すばろうしい」空気に満ちている。
 単に恐いってだけなら、身の毛もよだつ化け物でも、地球に衝突する彗星ツイフォンでもいいわけだが、本当の恐怖って人の中にあるんだよね、本当に恐いのは人の心だね、というあたりが「すばろうしい」のだと思う。
 俺が恐い話を避けるのは、それがわかっているからかもしれない。自分の中の暗黒なんて見たくないもんな。ゆうたりこして (とか言ったりして)。




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