似た単語で「みすぼらしい」を思いだしたので調べてみると、「見窄しい」と書くらしい。「窄」は「狭い」という意味で、「手で狭い状態を作る」と「搾る」になるんだそうだが、「狭い」と「みすぼらしい」の関係が今一わからない。まぁ、みすぼらしいものを見るときは、目を見開いたりせず細めることになるだろうから、その辺?
なんだ、これじゃねえのか。
「やっちもねえ編」と「こらっしもねえ編」がある。
どっちも「とんでもない」という意味らしいが、これは「埒」だろうなぁ、きっと。
秋田弁で「ダメだ」という意味の「
やづがね」という単語があって、これもおそらく「埒」だろうと思っている。この「らち」が「
やち」になるメカニズムってどこから来るのだろう。
頻出するのが「
やこ」。
「〜なんか」という意味らしい。「私なんかどうせ」の「なんか」である。
前に讃岐弁の話をしたが、あの時は「や」であった。あのへんの特徴なのかもしれない。
『最新 一目でわかる全国方言一覧辞典(
学研、1998)』によれば、「
られい」という命令形が備前の地域にあるらしい。
「しばし待たれい」を思い出すが、これには敬意が入っている。この本にも出てくる「
ちょっと待たれい」は「待ってください」や「待ちたまえ」ではなく「待て」らしい。
こう書いたら怒られるかもしれないが、後書きが一番、安心して読めた。
各章について、2 行単位でコメントを残している。これがシャープでよい。こういう筆致は、俺は好きである。
なんせ恐い話は本当に苦手なので勘弁してつかぁさい。後書きが一番面白い、とは思うとらんで。
「わしはもう、岡山には入国できんかもしれん編」なんていうことを書いているが、氏はすでに「ふるさと日本のことば」で岡山県代表扱いされている。だからホラーの苦手が俺が、氏の文章を何か読んでみようと思ったわけではあるが。
それにしてもあけすけに書くなぁ、と思った。
俺なんか「右手の想い出」とかそんな話は書けない。このホームページは方言話云々で書いているだけあって、小学生も時折、見に来るくらいなのだ。左手が一番とかいう話なかったっけ、いやなんでもありません。
本人が後書きで述懐しているが、この本は「
すばろうしい」空気に満ちている。
単に恐いってだけなら、身の毛もよだつ化け物でも、地球に衝突する彗星ツイフォンでもいいわけだが、本当の恐怖って人の中にあるんだよね、本当に恐いのは人の心だね、というあたりが「
すばろうしい」のだと思う。
俺が恐い話を避けるのは、それがわかっているからかもしれない。自分の中の暗黒なんて見たくないもんな。
ゆうたりこして (とか言ったりして)。