Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第261夜

ことばが足りない方言




『言語』誌の 12 月号の特集は「た」であった。
「『た』であった」の「た」である。
 安易に言えば、この「た」は過去を示す、なんてことになるのだが、例えば「君、パソコン持ってたっけ」と尋ねられたときに「はい」と答えると、現在、持っていることになる、というのが説明できない。というように、「た」とはなにか、ということが多面的に論じられていた。文法が苦手な俺には歯ごたえのある特集だったが面白かった。
 一方で、連載の「日本の方言探訪」が終わってしまった。もう一巡したのか、と思ったら第 36 回で、これは都道府県単位で進んできているからまだまだたくさん残っているはず。どうして終わっちゃうの?

 最後に取り上げられていたのは与那国であった。
 ここの特徴は、母音の数が 3 つだということだそうな。標準語でいうア・イ・ウである。
 別に与那国に限らず語尾の音は欠落しやすいので、こうしたことの結果、「来る」も「買う」も「クン」になる。
 これを地元の人は「与那国はことばが足りません」と評したのだそうな。

 さて、「足りない」とはどういうことか。
 言うまでもなく、不足している、ということである。説明になってないが。あるべきものがない、という意味だ。
 だが、そんなことはあるか?

 地元の人が言ったのは「少ない」ということだろうか。
 前に触れたが、「多い」「少ない」は相対的な表現である。俺にとっては一万円は多額だが、プールできるほどの裏金があるところに勤めているお役人様にとっては少額であろう。
 恐らく「与那国はことばが足りない」と言った人は他の地域の方言と比較したのだと思う。
 しかし、これは全ての方言話者に問いたい。他の地域の方言と接触する前の時点で既に、言葉は足りなかったのだろうか。
 否。
 それはありえないのである。
 なぜかというと、必要なのに存在しない言葉があったとすれば、そこでは人間の生活を営むことができないからである。

 これは千野 栄一氏の講義で聞いたのだが、世界には色の名称が数種類しかない言語があるそうである。
 でも、誰も困らない。それは「○○の色」と言えば済むからである。
「それはそうだけどさぁ」という人もあると思うが、日本語もそうなのだ。
 色の名称で、「〜色」という形のものは多い。それは、本来は色を表さない単語だから「色」をつけなくてはならなかった、ということを示す。「山吹色*1」「灰色」「橙色」あたりを想像してもらうとわかる。
 本来的に色を示す単語は存在しない、と言ったら驚くだろうか。
 つまり、「黄色」「金色」はもとより、本来は「緑*2」も「紫*3」も色の名前ではない。全て「○○の色」式で創りだされた、あるいは借りた単語である。*4
 なお、日本固有の色分類は、「」「」「」「」の 4 色だそうである。そういえば、「色」をつけなくても使え、かつ、「色」をつけると違和感の出る単語はこれだけだ。
 しかも、「白」「黒」は色ではなく「明るい」「暗い」である、という風に見ると、本来的な「色」の分類は「赤」「青」の2つしかないことになる。*5 *6

「単語が少ない」方言はない。
 他の方言と比較した場合にのみそういうことが言える。
 その場合は、他の地域で使われている表現を取り入れればいい。あるいは「○○色」式に表現を創りだしていけばよい、というだけの話である。多いの少ないのと嘆く必要はない。

 与那国のケースは、母音の数が少ない、という事情がある。個々の単語と違って、音韻はそうそう思い通りにならないから、そう簡単に、他の地域で行われている現象を取り入れる、というわけにはいかない。
 もともと同音異義語が生まれやすいところに新しい単語を導入するのも難しい。
 と、考えるのは、そのままの形を維持しようと思うからである。これまた前に書いたが、「そうろうこうしゃく (「公」爵ではなく「侯」爵)」「試みの案 (「私案」ではなく「試案」)」のような言い換えというテクがある。
 手持ちのテクは使おう。
 人間の柔軟性を軽んじてはいけない。

 他人事だと思って勝手なことを、と怒られるかもしれない。
 だが、秋田弁の「」が「来い」であり「食え」であり「痒い」である、という話は既にした。英語では「騎士」も「夜」も同じ音だし*7、「これは結び目ではない**8」を耳で聞くとややこしい。そういうのはどこでもありうることなのである。気にしないことだ。

 尤も、「ことばが足りません」というのは単なる感想で、言った本人は全く気にしていないのだ、という可能性もある。
 そうであって欲しい。




*1
 子供の頃、「やまぶ」って何だろうなぁ、と思っていた。「やまぶ黄色」ではない、というのを悟ったのは、落語で「道灌」を聞いたとき。(
)

*2
 糸へんがついていることでわかるとおり、「あの色をした糸または布」が本来の意味。
「青信号は青か」が時折、話題になるが、あの辺の色は本来は「青」がカバーしていた。(
)

*3
 植物の名称。(
)

*4
「茶色」って不思議だと思った人いませんか? 摘む前の葉も、煎茶も緑色なのに。「茶色」のお茶の方が多いんですかねぇ。
 他の色も漢和辞典を当たればわかるが、例えば「赤」は炎。「青」は諸説あるようだが、「生」+「井」で植物と井戸の水、というのは直感的である。(
)

*5
 青と赤は、他の色を合成しても作ることができない。色でも光でも三原色に含まれている。全てを合成すると、光では白くなり、色では黒くなる。「赤/青/白/黒」という分類は理に叶っていると思う。(
)

*6
 もっと例を挙げれば、日本語では“11”“12”を一単語で表現することはできない。英語ではできるのに。フランス語では“16”まである。
 また、フランス語では“70”は“60+10”で、“80”は“20×4”である。誰も困らない、と言いたいところだが、フランス語の数体系は学習者にとっては難関の一つ。(
)

*7
“knight”と“night”(
)

*8
“This is not a knot.”(
)




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