秋田弁講座が止まっている。1年以上になる。
以前から遅々としたものではあったが、やはり『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』が出たのが大きい。俺がやるまでもねぇじゃん、と思ったのである。
とは言いながら、あれが、俺の考えていた形態だったというわけではない。
あれはどちらかといえば辞書である。
俺が考えていたのは、秋田弁をマスターするための本だ。
だから、まぁ第1章は「秋田弁の特徴」なんてのから始まるにしても、次には「発音」「動詞」なんてのが来る。
あるいは、「挨拶」「買い物をしてみよう」とかいう手もある。
いずれにしろ、章末には練習問題がつき、最後には卒業試験がある。
だから、言ってみれば、『秋田のことば』を辞書とし、その「秋田弁講座」を教科書とする、てな感じである。
しかし、『秋田のことば』には文法解説や背景説明も豊富で、あれだけ立派なものができちゃうと、これから組み立てるのもなぁ、なんて思ってしまうのである。
俚言の漏れは少なくないが。
ところで、語学が上達せず悩んでいる人は多いわけだが、実は、これをすれば
間違いなく外国語をマスターできる、という方法はわかっている。
その言葉を使わないことには死んでしまう、という状況に自分を置けばいいのである。その言葉が話されている地域で暮らすことである。今日こそは食い物を買わねばならない、となれば、なんとかするだろう、ということ。
できれば、自分の母語を話している人とは距離を置きたい。留学した日本人が意外に上達しないのは、時として、日本人だけで話をしたりするせい、という話だ。
ということは、秋田弁をマスターする早道は、秋田で暮らすことである、ということになる。
「暮らす」と書いたのは、観光客では駄目、ということである。観光客相手に使われる言葉は、敬語としての標準語形であるか、「秋田ではこんな風に言うんですよぉ」というようなサービス俚言である。これでは到底マスターできない。やっぱり、日常的に秋田弁にさらされてもらわないと。
だれでも留学できるわけではないから、他の方法を考える。
音声面では、Internet が役に立つ。
ここでもやっているが (これも止まっているが)、実際の音声を公開しているサイトは多い。
県立図書館でも「
秋田のむがしっこ」の音声を公開している。結構な量である。
まぁ、昔話なので、子供向けの表現が多かったり、スピードが遅かったり、という特徴はあるが、入門用としてはいいかもしれない。
書く方。
これが意外に大問題である。
ここをずっと読んでいる人は、「え」を“ye”と書いたり、「か゜」みたいな表現が出てきたりするのに気づいていると思う。五十音図は方言を記述するのには向いていないのである。
例外はある。
京都弁である。
まぁ、向いてる・向いてないは感覚的な問題ではあるが、書きやすいような気がする。書きやすいはずだ。
というのは、五十音は標準語を記述すための文字だからだ。この場合の標準語というのは、長らく日本の首都であった京都の言葉である。間違っても、彼らにとっての異民族、東夷や北荻たる蝦夷の言葉を表記するためのものではない。
実は、この理屈は、東京弁が書きやすいことの説明になっていない。長らく首都なのは確かだが。そこまでつっこむと「ハ行は昔パ行だった」とか、その辺までささらなきゃいけなくなるのでパス。
いずれ、秋田弁に限らず各地の方言が現在の五十音では表記しにくいのは事実で、そこを乗り越えないと、文字化は難しい。「読む」もクリアできない。
英語やフランス語みたいに、字面と音は違うものだと割り切って発音記号をつける、というのも手だけどな。
いやしかし、そこは割り切るしかない。紙の出版で、新しい活字も起こせる、というのならともかく、Interent の文章では、現在の文字コードの範囲でやるしかないのだ。
確かに、文字をグラフィックで表示する、という方法もある。そうやっているサイトは多い。
だが、ここは、そもそも「方言エッセイ」だし、遅い機械・遅い回線でもストレスなく読める、というのを目標にしているので、画像は多用したくないのである。
でも、要検討かなぁ。
この分野の先達は、なんといっても「ケセン語」である。岩手県の気仙沼だ。
方言ではなく「ケセン語」として認められるにはどうすればいいのか、と金田一氏に尋ねたら、「辞書があること」といわれて一念発起したというから、すんげぇ話ではある。
かの山浦医師と俺とで一番違うのは、根性かもしれない。
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