Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第240夜

エライ?



 久しぶりに名古屋に行ってきた。2 年ぶりである。
 当時は工事中だった名駅もきれいになり、駅の上にツインタワーができている。
 その片方、マリオットアソシア ホテルはロビーが 15 階というとんでもない構成なのだが、西側が展望台となっている。
 そこから市街を覗いたのだが、あんまり面白い景色ではない。かの 100m 道路を鳥瞰するには高さが不足しているし、なにより梅雨時で曇っているため遠くが見えない。エラい霞み様で、名古屋の地理が分かる人なら、高速道路までしか見えない、という言えば、その様子はつかんでもらえるだろう。
 というせいもあると思うが、隣のカップルが「あれが名古屋城だね」というまでは、名古屋城の存在に気がつかなかった。
 小さく見える。まさに「ポツン」という感じ。
 申し訳ないが、一気に魅力半減である。あの巨大なシャチホコを誇る名古屋城が、である。
 教訓。地域のシンボルである建造物を見下ろすような建物を作ってはいけない。

 まず気づいた言語現象は、駅の伝言板である。
 ああいうのは一定時間が経過すると消すようになっているものだが、それを「六時間後消します」と表記してある。この「は」の使い方に違和感を覚えた。
 俺の(北〜東日本)の感覚では「は」を使うのであれば「六時間後には消します」でないと座りが悪い。だが、「には」では、その前に消されるちゃうこともあるよ、というニュアンスが出てくる。それに、ちょっと口語的な雰囲気も帯びる。
 ではどうだといいのかというと、「六時間後は 12 時です」とかであればよい。いつ使われるのかわからない例文だが、これくらいしか思い付かない。
 つまり、この違和感の源泉は「六時間後は」と言った場合の「は」は格助詞である、ということだ。この文意であれば「消します」に対する修飾語でなければならないのに、主語になってしまっている、ということであろう。
 もちろん、それをもって間違いなどと断定する気はない。名古屋ではこういう使い方をするのだろう、と考えるわけである。名古屋の方、教えていただきたい。

「疲れた」「面倒くさい」を「エライ」と表現する。これは有名な話だが、「エ」が高いのである、ということを知った。知ったというよりは明確に意識した、というべきか。
 となりのカップルの男の方が無口なので、女の子の方が心配して「エライ?」と言っていたのを聞いたのだが、俺もあんな風に言われてみたい。
 アクセントで言うと、昼飯を食おうと思って地下街をうろついていたら、おばさんの一団がショーケースのサンプルを見ながら「キシメン」と言っていた。「なに、『キシメン』というのが正しいのか」と思ってよく話を聞いていたら、その人たちが話しているのは英語だった。
 ホテルのエレベータでも、そういう子供たちとすれちがったのだが、見かけは全く日本人なのに英語をしゃべる人たちが多くいるというのは、流石に大都市、と思った。

 昼飯は結局、生ビール \200 に負けて全く名古屋風でない店に入ったのだが、そこはそれ、周囲の会話に耳をそばだてるわけである。
 ガテン系 (この言い方は古いのか?) 男性二人の会話は、イントネーションを中心に名古屋風である。だが、かなり標準語化はされている。
 その後で隣に座った若い女性二人は、語彙面も音韻面も標準語であった。ときおり「洗濯もんとか干しあるもんねー」というのが聞こえるくらい。
 だが、彼女は名古屋を気に入っているらしい。ただし、その気に入り方が「京都にも阪神にもすぐ行けるもん」であったことは書いておくべきであろうか。
 この二人、無声化については差があるようで、「薬」が一方は“kusuri”、もう一方が“ksri”と別れていた。

 名古屋といえば、やはり「冷コー」であろうか。飲まなかったけど。
 本当は、早起きして、かの有名な「名古屋の喫茶店のモーニングセット」を堪能するつもりだったのだが、起きられず。ホテルのチェックアウト直前まで寝ていた。やっぱり疲れ気味なのよ。
 後は「お値打ち」か。「お値打ち品」くらいならどこでも見るが、名古屋では「お値打ちになりました」という形で使う。

 今回の参考書は『摩訶不思議シティ 名古屋の本 (PHP 文庫、中澤天童)』である。
「名古屋相対性理論」は面白いと思ったが、『名古屋学 (来週、取り上げる)』にもまして大人しい。押しが弱い。
 ここで紹介されているのは坪内逍遥と二葉亭四迷の対談で、後年、二葉亭四迷がその対談を振り返って、自分は東京者だから東京弁で話をした、と述懐しているらしい。
 ところが二人とも名古屋者であって、どちらも (今で言えば) 小学校から高校あたりまでを名古屋で過ごしている。
 なのに、東京者である、と断言してしまう辺りが、却って名古屋っぽいのかもしれない。

 この本の、名古屋に関する歌を扱っている章で、
ナゴヤ ナゴヤ ナゴヤー
ナゴヤ ナゴヤ ナゴヤー
ナゴヤ ナーゴーヤー
 と熱唱しているイラストがある。
 これ、描いた人もそうだが、元ネタがわかる人は、あんまり若くないぞ。




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