Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第187夜

方言の誤用



 一口に誤用といってもいささか範囲が広うござんすので、話を内部に限ることにする。
 つまり、自分がネイティブでない方言を使ったときの間違いは取り扱わない。

 となると、やはり最初は「民間語源」であろう。何度目の登場になるのかもはや数えていないが、「しあさって (4 あさって)」の翌日が「ごあさって (5 あさって)」、というあれだ。
 と言うと、いかにも民間語源は悪いことなのである、という風に響くかもしれないが、そういうつもりは全く無い。
 どんな言語変化も、伝統的な文法から見ると、最初は誤用なのだ。それに目くじらを立てて、一々取り締まっていたら、言語は変化できなくなり、やがて死んでしまう。
 逆に、好き嫌いまで否定するつもりも無い。
 大体、「ごあさって」は既に定着しているのであって、しかも理にかなっている。「矢が当たるとカーンという音がするからヤカン」「鵜が飲み込むのに難儀するからウナギ」というのとのは訳が違う。

 これも民間語源の類ではないか、という気がしているのだが、酒などを注ぐことを秋田では「つむ」と言う、と思っている人がいる。恐らく、音便化してしまったために、元の形式にたどり着けなくなってしまったものと思われる。
 どういうことか。
「注 (つ) ぐ」の連用形が「で」に接続する場合、「ぎ」ではなく、「注いで」とイ音便化する。
 これが、秋田弁では「」になる。人や地域によっては「ん」が聞きとりにくいこともあるが、いずれ撥音便化してしまうのである。*
 一方、ガ行活用の単語は撥音便化しない。そのため「注んで」から「注ぐ」に戻れない。その結果、マ行で活用するのだろう、という判断をしてしまう。かくして「注む」の登場〜というシナリオを想像している。

 同様の事情だと思われるのが、北海道の「じょっぴん かる」である。「じょっぴん」は「錠」で、恐らく音から来たのだと思われるが、これに共起する動詞が「かる」だと考えている人は多い。
 これの連用形は「かって」である。
 前にも書いたが、鍵の類には「支 (か) う」という古語の動詞がある。これが元であることは間違いないから、恐らく「支いて」がどこかで「支って」と促音便化してしまい、元に戻れなくなったのだと思う。

 古い表現だが、津軽では、駄菓子屋に子供が入っていくとき「かーるー」と声をかけることがあった。これも、本来はワ行で活用する「買う」がどこかでラ行に移行してしまったのだろう。

 次が「過剰修正」。
 前にも取り上げたが、ある指摘を受けたがために、そのルールを必要の無い場所に適用してしまうことである。例えば、東北弁では「イカ (烏賊)」→「イガ」のように濁点がつく、ということを知っているため、栗の「イガ」を「イカ」と発音してしまうようなことを言う。
 方言を離れると、英単語では「ディ」と発音する単語が多いから、と“desktop”を「ディスクトップ」と発音してしまうような例がある。「机」を「ディスク」と呼ぶ人は多くないから、単語によるのだろう。
 これは気の毒なのであんまり触れないようにしたいものだが、そのままにしておくとあちこちで間違いを繰り返すので、早めに直してあげたい、ということもまた言える。難しいところだ。

 最後が、ここの所話題の「気づかない方言」。
 何度も取り上げてきた。本人が、方言だとは夢にも思っていないから、表現を入れ替えるはずがない。
 昨年の暮れ、秋田のニュースでこんなやり取りを耳にした。ハタハタの初水揚げの日である。初日だから、ご祝儀相場となり、かなり値段が上がる。蛇足だが、浜値で 1 匹 \1,500 とかいう値段がつく。
記者「ハタハタ、買われなかったんですか?
女性「買われませんでした
 インタビューを受けた女性の表現に注目したい。
 これは、受身ではなく、可能の「れる・られる」で、立派な秋田弁的表現だ。
 全国共通語で言うのなら、「(高くて) 買えませんでした」と言うところだが、この女性は、この「買われない」が秋田弁であることに気づいていない。
 因みに、記者が使っているのは、敬語の「れる・られる」である。こっちもすわりが悪いので、全国共通語的表現として誤解が生じにくい形に変形すると、
記者「ハタハタ、お買いにならなかったんですか?」
女性「買えませんでした」
 というところか。




*:
 恐らく「イ」が脱落した後で、“d”の前には“n”が来る、という秋田弁の音韻規則に則ったものと思われる。(
)




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