というような感じで、語によって境界線が異なる。これこそ、言語の変化がアナログなモノであるという証拠だ。
「恥ずかしい」という意味の「
しょうしい」がここでも使われていた。
面白かったのは、「
おめぇ」と「
おまえ」の対立である。
前にも触れたが、「おまえ」は本来は「御前」であって、第二者に対する敬語である。現在ではすっかり価値が低下しているが。
奥信濃にはこの使い方が残っていて、自分の母に対して「
おめぇ」と言う。
一方で外部からは既に価値の低下した「おまえ」が入ってくる。
ということで、「
おめぇ」と「
おまえ」の使い分けが生じているのだそうだ。
後半は、話を「
ずく」でまとめようとしていた。
「
ずくがねぇ」というのは「だらしがない」というような (しかし、それだけではない) 意味である。この「
ずく」の有無が、長野の県民気質を語る上で重要なのだ、ということを言いたいらしい。
でも、今一つ盛り上がりに書ける感じは否めない。「長野衆」が見えてこないのである。あるいは、「
ずく」について語る老夫婦を取り上げるのが遅かったのではないか。
スタジオの会話もかみ合ってなかったし。
作曲家 | 神津 善行 |
信州大学 | 馬瀬 良雄 |
長野放送局 | 西東 大 |
青森県−
見でけへ、見であんせ(6/4)−
木野 花氏が、上京したときに「標準語」を身につけてしまい、その平板さに悲しくなってしまったというエピソードが紹介されていた。恐らく、一切の特徴を殺ぎ落としてしまったのだと思われるが、周囲の、例えば東京ネイティブが東京弁を話しているのを聞いて、なんだそれでいいのか、と開きなおった。実に象徴的な話であろう。
「東北の田舎」というと、青森や秋田を連想する人が多いが、そういう人が津軽弁を聞いたときに「私の知っている東北弁と違う」と言うのだそうだ。安物のドラマで使われるような「東北弁」は、東京に近い東北、福島や宮城の言葉がベースになっているからこうなるのである。
田舎館村にあるコミュニティ FM、 「ジャイゴウェーブ」のセンスには恐れ入る。「コンサドーレ」に匹敵する優れたネーミングだと思う。
よく、「
わ (一人称)」と「
な (二人称)」や、「
せば」「
まず」などを取り上げて、東北弁は単語が短い、というようなことを言うが、これは統計でもあるのだろうか。
今週も「
しょし」が出てきた。これは、南部。
面白そうなのが、下北弁。
ここは、区域としては南部だが、海運で北海道や津軽とダイレクトに繋がっているため、そうした地域の特徴をもっているのだそうだ。是非、実例が聞きたかったところなのだが。
津軽と南部の境界が、平内と野辺地の境界に一致するとは知らなかった。
勿論、ここには藩の境があって、実際に津軽と南部の境界だったわけだが、それが今でも残っている理由が学区で説明されていた。
しかし、自転車のレースで平内に行くと、なんとなく南部の雰囲気がしてくるような気がする、ということは言っておこう。部外者だからかな?
学校の授業で、パソコンのソフトを使って南部弁を覚えよう、という試みが紹介されていた。
最初、学校で教えなければならないほど衰退しているのか、と思ったのだが、インタビューを受けていた子供のイントネーションはきっちり南部弁であった。一安心。
更に、子供たちが喜んでいるのは、彼らがまぎれもない南部弁話者だからであろう。自分たちの言葉をベースに、古い俚言などを吸収することに楽しみを感じているだと思う。まぁ、パソコンが面白いのかもしれないが。
また、佐藤教授の、多元的なことを学校で教えることに意味がある、という発言には共感を覚える。
最後に「
わいは」がとりあげられていたが、その説明がまたいかにも舌足らず。あの説明では、「強調の副詞」だと思ってしまう人が出るだろう。
「
わいは」は感動詞だ。誤解の無いように。
サブタイトルの「見てね」が 2 つあるのは、津軽弁と南部弁。
演出家・女優 | 木野 花 |
弘前大学 | 佐藤 和之 |
青森放送局 | 堀 伸広 |
鹿児島県−
お見やったもんせ(6/11)−
流石にわからん。
一つ一つの単語を切り出してくれればなんとかなるのだが、会話になると全然。
後半に、徳之島での会話が出てくるが、これなんかもっとわからない。
鹿児島弁については、島津氏が江戸幕府のスパイの任務を妨害するために、わざとわかりにくい言葉にしたのだ、という話もある。
「っ」が多いのが鹿児島弁の特徴であることは知っていたが、イ段やウ段の音がほぼ「っ」になってしまうらしいから、それも当然か。
「席/咳」も「節句」も「
せっ」になってしまう。また、「口」も「首」も「くっ」だから、「
くっが痛い」と言われてもわからない、というような話があった。
「アイ」や「オイ」が「エ」になる、というルールがあって、「暗い」も「黒い」も「
クレ」になるのだそうだが、前者が「
クレ」、後者が「
クレ」だそうだ。
秋田でも、どちらも「
クレ」で、イントネーションも一緒である。
「牛」が「
ベグ」であるらしい。
秋田の「
ベゴ」はアイヌ語起源であることがわかっているが、「
ベグ」もかい?
そういえば、「
とぜんね」もあった。
豆腐は「
おかべ」らしい。
これは勿論、女房詞であるわけだが、中央 (この場合は京都) の言葉が地方に残っているのはいいとして、なぜ女房詞が使われているのだろう。
小学生の方言調査が紹介されていた。
その中で、「大根」を「
でごん」と発音していたが、手元のノートは「でこん」であった。
この辺、意識としては共通語が残っているのではないか、と想像してしまったりもする。単なる書き間違いかもしれないが。
子供たちに方言劇の台詞を教えるのは、英語の勉強と同じであったらしい。つまり、丸暗記させるしかなかった、というのである。
この辺り、子供に通じないので、年寄りが鹿児島弁を使わなくなってきている、という指摘と併せて考えると興味深い。
方言主流社会である鹿児島ですら、そうなのである。
番組自体について言うなら、淡々としててヤマがなかった。
歌手 | 中島 啓江 |
鹿児島大学 | 木部 暢子 |
鹿児島放送局 | 品田 豊隆 |