Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第181夜

常時不覚暁



 例えば空腹であるとか寒さであるとか、人それぞれの弱点というものがあるだろうと思う。女に弱いとか、人情噺に弱いとかそういうのはまた別として。
 生命に悪影響の無い範囲で言うなら、俺の場合は睡魔が一番の弱点ではあるまいか、と思っている。
 別に、どんなに大きな音の目覚し時計でも起きないとか、いわゆる「墜落睡眠」であるとか、そういう症状は無い。徹夜もするし、面白い本なら翌日のことも考えずに読みふけったりするし、レースで遠征するときは 4 時起きもする。
 ただ、ちょっとした眠気には非常に弱い。「あ、眠いかも」と思ったときに、それを妨げる理由がなければ直ちに寝てしまう。ほとんどの場合、この誘惑には勝てない。だから、休日の午後に本を読んでいたりすると大概、そのまま昼寝の時間になってしまう。こないだ、15 時に読み始めて 19 時起床ってことがあったが、13 時就寝 17 時起床よりも勿体無いことをしたような気になってしまうのは何故だろう。

 その癖、ナイーブナーバスな質なので、寝つきは悪い。寝つきがいいと「疲れてるんじゃあるまいか」と心配してしまうくらいである。昼寝のときは 3 分くらいでストーンといくのだが、それが夜に発揮されないのが不思議でしょうがない。乗り物の中でも、よっぽどのことがないと眠ったりできない。
 子供のときからそうで、よく「眠れない〜」とベソをかいて親に甘えに行ったもんである。子供にとっては、眠れない、というのは恐ろしいことなのだ。
 こういう状態を「ねそける」と言う。眠るタイミングを逸してしまう、というか、そんな感じ。「眠れない」というのとはちょっとニュアンスが違う。 「あい、ねそけだなが」「まだ ねそけでらなが」という風に使う。
 わが親も、最初は前者のように心配してくれて、リンゴなんか剥いてくれたりしていたのだが、度重なると後者のようにちょっと冷たい口調になる。

 そんなに寝相の悪いほうではないと思う。自分の寝ているところを監視したことがないので確信はないが、少なくとも布団からはみ出して寝ていたために風邪を引いた、というような記憶は無い。
 そのかわり足癖は良くないようで、夜具の痛みが激しいらしい。
 これは「ふんざらう」という行為をしているからである。恐らく「踏んで」「さらう」のだと思われるが、夜具を蹴飛ばしてしまうことを言う。あるいは、布団の下の毛布を足で端に押しやるようなことも言う。

 「寝ぷかき」は前にも取り上げた。「居眠り」のことである。
 これも俺にはできない。少なくともうつぶせ位の寝る体勢をとらないと駄目である。「考える人」程度の体勢では、どんなに眠くても眠れない。

 「寝た」と「寝った」では意味が異なる。
 就寝すること自体は「寝た」と言えるが「寝った」とは言わない。「寝った」は眠っている状態を表す。「寝入った」の変化したものか。
 ただ、「寝入る」は文字通り「眠りに入る」ことだと思われるが、「寝ってる」などの形もあって、これは「眠っている」という意味である。
 大体、一生懸命考えてもはっきりしたことが思いつかないのは、「寝入る」があまり使われない単語だからであろうと思う。「寝った」「寝ってる」は立派に現役である。

 青森の「ねぶた」、弘前の「ねぷた」が睡魔を追い払う祭りであることを知っている人も多いと思う。この辺では「眠い」が「ねぷて」「ねふて」となる。秋田も同様。
 これ、出自はなんだろう。形容詞って感じがしない。「眠りたい」の変形ではないだろうか。

 「眠いー」は「ねふてー」と言うのだが、最近「ねみー」というのをよく聞く。
 勿論、「眠い」の変形だが、これを新方言とみていいのかどうか。オフィシャルな場で使われないのは間違いないが、地域的なものなのかどうかがわからない。
 恐らく東京でも言うだろうと思われる。東京語化なのかもしれない。

 学生の頃は、当然のごとく夜更かし・朝寝坊で、そのときの印象が定着したらしく、親から見ると、俺は寝汚い男ということになっている。
 最近、私生活が充実しているので、休日でも 7 時くらいから起きだして、色んな活動に精を出しているのだが、もはやそのイメージは払拭不可能らしい。たまに実家に帰ると、その「活動」がないものだから 10 時くらいまで寝ているのだが、そのせいだろう。
 というわけで、おやすみなさい。




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