Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第170夜

方言コンプレックスの生成 (2)




第 2 節 これまでの研究


 方言コンプレックスに関する研究論文は非常に少ない。ほとんどが、方言
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コンプレックスの現状についての報告であって、それがいかに形成されるか
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についてはさして触れていない。辛うじてあったとしても統計的な裏付けがな
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い。
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 割に研究の進んでいる分野に、方言イメージの問題がある。これについて
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は多くの報告がなされており、方言コンプレックスの問題にまで踏み込んだ
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ものも多い。しかし、これは客観的に抱くイメージであって、自分の方言に対
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するものではない。
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 方言コンプレックスは、標準語、或は他の方言との関係において生ずるもの
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である。この点から考えれば、東京、大阪といったような、他地域からの人□
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流入の多い都市は格好の調査対象となる。国立国語研究所の「大都市の言
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語生活」は非常に参考になる。また、いわゆる生え抜きの人々については NHK
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の「日本人の県民性」を参考にした。
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 論者自身の内省では、方言コンプレックスに関するほとんどの論文が結論と
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して述べるような明治維新、あるいは戦後の教育改革といったものは昔のもの
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であって、その延長線上の教育を受けているとしても、自分とは関係の無いも
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のである。方言話者個人の問題として考えている。井上史雄が、「方言コンプ
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レックスや言語行動に直接に影響するのは、外部からのイメージではなく話し
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手自身のイメージであろう」と書いているように、方言コンプレックスは、歴史
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上の問題もさることながら、まさに方言話者自身の問題である。ところが、そう
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いった立場に立った報告は皆無と言っていい。そういう意味で、この論文は新
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しい分野に踏み込むものと言えるだろう。


 全く、大きく出たものである。
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 しかし、卒論というのはそういうものらしい。22 や 23 の小僧が書くものであっても、
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仮にも「論文」である以上、先行研究をきちんと批判 * し、その流れの中に自分の論
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文を位置づけなければならないのである。
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 大体、自分で書こう、と思ったということは、これまでに無かった、ということでもある。
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 とは言え、名前を挙げて「つっこみが足りない」だの「食い足りない」だの書いてある
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ので、大幅にカットした。
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 現在は、割とこの辺の研究は進んでいる。研究の他に、色んな形の文章が公開され
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ている。これまでにも何度か取り上げてきた。
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 ただ、しつこいようだが、論文でない方の文章には、ノスタルジーや方言ナショナリズ
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ムの臭いがするものが多いので注意が必要だ。


 実は、自分では卒論の写しを持っていない。あるのは、清書用のプリントアウトだけで
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ある。
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 俺自身はワープロで書いたのだが、その当時はワープロでの執筆がぼつぼつ認めら
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れ始めた頃で、俺の時はまだ駄目だったのである。
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 コピーは取ったのだが、調査に協力してくれた友人に送ってしまった。そんなわけで、
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注記が残っていない。上の文章には出典やら何やらで 5 箇所ほどの注記があったのだ
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が、番号しかわからないし、改めて出典を調べるのも煩わしいのでそれは取り除いてし
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まった。
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 機会があれば一覧の形にしようかと思うが、参考にした論文・文章は、井上史雄氏、大
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石初太郎氏、荻野綱男氏、加藤正信氏、真田信治氏、芳賀綏氏 (五十音順) の各氏のも
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のが多い。
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 勿論、後から山ほど出てくるが、図表もない。これは改めて作る必要があるだろうなぁ。



* この「批判」は、「事がらの正しさ・良さなどを批評し判断すること (講談社学術文庫 国語
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辞典 (初版) 』 1979)」という本来の意味である。どうも「批判」と「非難」を区別できない人が
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多いので念のために言っておく。()




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第171夜「新生の試される大地」

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