“勇気のあつた吉田さん”      健保組合 大 薗 京 子

 吉田さんの思い出としてペンを運ぼうと思うと、ペンが思う様に先に進みません。
“どこか行きたいネ” “どこかへ行こうか”と後の方より明るい声がし、その度に後を振り向きたくなる様な衝動に
かられます。しかし、そこには吉田さんがいないのです。吉田さんがいない事が事実なのに、そこにいない事が
今でも不思議でなりません。
あの様に細密な計画を立てて、勇気を持って山を愛した吉田さんが、山で逝くなるとは〜

昨年の1月の事です。例の如く“どこかへ行こうか”と吉田さんに誘われて行ったのが厳冬の浅間山でした。
スキーより冬山に来たのだと喜んでいる彼女の後について行く事はとても苦しい事でした。慣れぬアイゼソを着けた足に頼って頂上を征服した時は、浅間山がマナスルにも負けぬ山に思われ喜び合ったものでした。
その翌日は厳冬の山ではなく、寒風はどこ吹くかと思われる様な、長閑な小春日和でした。
遥か彼方には、谷川、苗場、横手の山々を見ながら、浅間の中腹の所まで来て、そこより雄大なる斜面をトラバースをして、鬼押し出しの方に向いました。

上を見ても下を見ても、たゞ真白な斜面です。私達がこの真白な世界の中でいかに小さな存在であるか!
しかし、前方に見える雪化粧をした懐かしき山々に魅せられ無我夢中で歩きました。
その時の苗場山は、一際目立って、美しく輝いて居りました。“あのきれいに雪をかぶった苗場山の頂上からスキーで滑って降りたら素晴しいでしようネ”と口々に叫びながら、カメラを向けていた吉田さんの姿が、今でも目の前に浮びます。
その時です。一緒に居たN氏が、この小春日和のお天気と、気温の事から、雪崩の事を云い出しました。
もうその時、臆病な私は、雪崩がある事と信じ、引き返す事を主張しました。この大斜面で雪崩があったら、胡麻粒にも値しない私達は、どの様になるだろうと思うと、真白な雪に威圧されました。その時吉田さんは青くなっている私を戒しめ、“雪崩が起きたら雪崩に対して直角に逃げれば大丈夫。貴女など、いの一番に逃げられるわョ、本能で逃げられる”などと云われましたが、どうしても鬼押し出しまで、恐わがって行かめと云い張った私のために、吉田さんも、N氏も、逆戻り致しました。
後になって、雪崩らしき様子もなかったのに、目的地まで行かなかった事に対し、大いに恥じつゝ、最後まで、行
きたがっていた吉田さんに対して今になって申し訳なく思うのですが、あの時の私の心境に対して、雲泥の差
のある吉田さんの勇気が羨ましく思いました。

吉田さんが一人で苗場山に行った事も、人が余り通った事のない様な棒沢を下り、危険な岩にぶっかった時も、決して、恐れもせず最後まで、自信を持って、千丈岩に一歩−歩挑みながら行ったのだろうと思います。
しかし、たゞ一言、故吉田さんに云いたいのです。“少しでも危険と思ったら、臆病だった私を、思い出して、逆戻りする、手もあるのだ”と小さな声で!

しかし、恋人の如く山を愛し続けた貴女です。
どうか安らかな、永眠を恋人の腕の中でいつまでもいつまでも。
                            (臆病だった友)


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