終  止  符
                                            健保組合  栗 田 実佐子

またも海山の便りを賑わす季節が来て、去年のあの息詰る様な悲愴な一週間を思い新たにさせられ、あれ以来、新聞、ラジオ等の悲報は、我が事の様に胸を痛める。
無趣味な私には、海山への楽しみ等は、縁遠いものと殆んど無関心であり、目の前で、心を躍らせながら立てているプランや、又帰って来てその感激を押へきれずに、しゃべり出す彼女に、無愛想な相槌を打って感激を冷却させていた。
ぎっしり詰っている業務日程、恐る恐る出す休暇願、このために無理なプランも立てなければならない時もあったろう。
春の集団検診と要注意者検診が一段落してホットするのが何時も8月。要注意者教育、そして9月に始まる要注意者検診の準備と種々の調査をするのが、此の月で、去年も丁度、月始めを狙っている彼女に、「行くのなら今の内よ。」と声をかけた。
合流パーティを物色していたが無かったのであろう、自分でプランを立て出して同行者を探していたが、相憎く誰も居なかった。お姉さんを誘うかと云っていたが無理と思ったか、単独行を覚悟したらしい。それでも出掛ける迄、友人に声をかけていた。そんな様子を目の前に見ていながら、無知な私は、禁を犯している事とも知らずに止めもしなかった。
用心深く細心な彼女の事だから、あんな事が起るとは、夢にも考えなかった。
ハイキング程度で、写真を撮ってくると云って出掛けたのに。

今年も恒例の集検も済み、要注意者検診が始められている。部員の方々のプランを耳にしながら、やきもき仕事をしている頃でもあったろうに。
彼女は山も好きだったが、カメラも亦好きであった。カメラは彼女に最も適した愛頑具であったと思う。入社当時、600円のカメラだと云う黒ビロードの袋をぶら下げて歩いていた姿が忘れられない。
精巧に組合せられた器械=カメラ=は、彼女の性格そのものでもあった様だ。折々語り合う人生観も、無駄のないカメラの様に、細心に組まれたものだった。

「普通に結婚する人生を送るのだったら、もっと鈍感で馬鹿になり、無駄を無駄とも思わない様な人間にならなければ、幸福にはなれないだろう。」と忠告して悲観させた事もあった。彼女もそれを自覚していた様だった。
その性格が、自然にカメラの際な器械を好んだり、又自分の考えで立てたプランの試験場でもある山を選び、全身全霊でぶっかり、経験によって一つ一つ自信を深めて行く様であったし、そうする事によって、実社会の生活で内攻させられたものを爆発させていたとも思う。
その様にまっしぐらの性格は仕事の上にもよく表れていた。保健婦業務の性格上、療養相談と絡みあう種々の問題をもったケースを処理して行かなければならない。そんな時は、実に小まめに手紙を書き訪問したりして我がことの様に夢中になって行き届いた指導をしていた。その姿には感心していた。
けれど、時には問題が自分の考え通りに行かない事もあった。そんな時、彼女は私の云う通りにしなかったからよと云っていたが、結局は、彼女の考えている様に世の中は単純でなく、種種の相互関係から思わぬ問題が生じてくるものである。そんな点は、若さだと思う。年の功が加ったら素晴しかったであろう。

彼女も又一般女性の持つ結婚への憧れを強く持っていた。が、実生活を考える時、彼女自身踏み出せなかった様で、その事ばかりは幾ら考えても解決する事が出来ず、モヤモヤを晴らすためにも、山に飛んで行った様である。そんな彼女を知る私には、あの遭難は、神が彼女に用意された、最も、彼女らしい終止符であったと思う様になっている。

温い贈り物、レリーフも出来上った。
私も子供と共に、彼女の遊ぷ山に行こう。
そして小さな花を植えてやろう。


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