吉田さんの憶い出 (三つの山行から)   横田 和雄

リンドウの花 

高山のきびしい風雪に耐え、岩蔭にひっそりと咲く、地味な、小さな、黒い花は、その生涯を、ひとり切り拓いてきた彼女を象徴するようであった。
憶い出を作る為に山へ行く、それが悲しみを誘う憶い出となってしまった。
彼女が入部した時、’56年5月、初めての女性部員の取扱いには些か戸迷った。女の人の山行とは一体どんなものなのだろう。その目的は? その内に北岳の集中登山に参加するのだと勉強しだした。びっくりしてプランナーだった私は、「南アルプスは男でも苦しい所で、女の人の面倒をみる余裕はない、自分の力だけで登って来られなければ来てはいけない」と半ば拒否したが強情な彼女は喰付いて来て、遂にTさんの保証で渋々承諾した次第だった。随分心配したが、Tさんの好リードと、男以上の頑張りで頂上へ登って来た時は無条件にシャッポを脱いでしまった。
強情だと云ったが、その生い立ちや、実生活を独りで切り拓いて来た人だけに芯の強い、きっちりと物事の仕末をする人だった。
或る時、あまり山行が何処へでも見境なく随いて行くので、登山の順序に就いて注意した時に“Going my way”と強情を張った事が一回あったが、それ以外は山に関しては素直な人であった。

人間は強い面があれば反動的に弱い面がある。’57年の春、霧ケ峯で骨折し休んだ時、心配した家族につい強情を張り、兄姉喧嘩までしてお互いにそっぽを向いたけれど、矢張り心の内では淋しく悲しかったらしく、誰か訪ねて来るのを心待ちに待っていたりした。怪我が淋しさが猶一層山に駆りたてたようだ。

昨秋の御彼岸に木曾の御岳へ行った。連休で混んだ列車は辛かったが、山は開田ロから登ると誰も居ない静かなよい山なのに彼女は喜んでいた。三の池のガランとした小屋に3人だけでボソボソと喋った。
「ひとりでぼんやり、静かな山へ行きたいの」、「誰でも山へ行き始めの頃はそう云うものだけど、山をわずらはし
い世間からの逃避の場にするのはよくないことだよ、その内にそう云う段階は超越するけれど」そんな話をしてい
る内に翌日になってしまった。
翌日は折角頂上へ登ったのに、霧雨が雪と変じ眺望がきかず長い道を下った。高原状のひろびろとした山であった。
帰りのバスの内で前に座った土地の汚い子供を一生懸命あやして喜ばしていた。非常に子供を可愛がる人で、彼女の女らしい一面を見たようだった。折からの夕焼けに映える素晴しい山々をも見ずに福島の駅迄続いた。

’56年の秋、大遠見で骨折して入院していた私の処へ、或る日素晴しい花を持ってきて呉れた。秋のキレイな花だったが、大輪の菊やコスモスの派手な色合より、緑一色のアスパラガスとやら云う葉が非常にキレイだった。
それは丁度、南の広河原に繁る化粧柳のようで、山で怪我して未だ痛いのに、無生に山へ行きたくなった。
とうとうとして彼女に広河原の化粧柳の美しさと、南の好さを礼讃して、いい気になって能書を云ったが、あまり感心しない様なので、到々自分の足を忘れて、「百聞は一見にしかず、一度連れて行ってやろう。」 と約束してしまった。その後、今度は彼女が同じ所を同じ様に骨折し、翌年の11月、正月合宿の北岳の偵察に行く時、忘れず随いてきた。
小さな体で大きな荷物を担ぎ、エッサエッサとつぷやき乍ら一生懸命随いてきた姿が目に残っている。
秋の月の素晴しい池山の小舎で深夜、何処かへ出掛けて帰って来ない。心配しているとオトギの国の様な夜の池山を一廻りしている内に、天幕を張ったパーティの急病人を商売気を出して?助けてやったとか。
広河原の小舎でも相変らずディスカッション、一生懸命T君に男女交際の心得を御説教。
お蔭で寝妨。誰も居ない広河原でギリギリ迄ねばり、鳳凰を越して、ミゾレが雨となる中を穴山迄13時間も歩き続け、深夜辿り付いた時の彼女のネバリ強さに呆れたり嬉しくなったりした。彼女の写真技術と体力が飛躍的に向上した頃であつた。

人が来ない山え行きたい事は誰でも願う事。昨秋から木曾御岳、北岳、浅間山と季節外れを狙って味をしめたので、春の彼岸の連休に尾瀬へ行ってみた。よい山行だった。
長蔵小舎も夏と違って気分よく、5日間、3人で尾瀬を買切ったみたいに好天に恵まれ歩き廻った。燧岳に登ったら積雪期に女の人では3人目だと長英氏に云はれ彼女得意になった。
5日間のんひり小舎泊りだったので、毎晩今迄の彼女になく盛んに身上話をした。
両親に幼く死別した話、子供の頃の話、満洲で100米13秒で走ったとか,走巾跳4m50で選手になったとか。女学校からひとりで日赤に願書を出して看護婦になった話。過程卒業と同時召集、南方各地の話、病院船の話、終戦の年に腸チブスで危篤状態が長く続き、高熱で脳症、奇蹟的に回復、躯がガタガタになり、記憶力が劣えたとか。等々、毎晩遅くまで仲々多弁であった。山え来ると人間は平常と違い開放的になる様だ。
何か、今年になってからの彼女は急に老けて淋しい影が多くなったようで、それに連れて猛烈に山へのファイトを燃していた。
春の雪の上で好天なのでみるみる顔が黒くなる。顔にベタベタ塗りつけている。
「何だいそのオバケみたいに塗りつけているのは」「陽やけ止めのクリームよ」「黒くなったっていいだろうに、領収
書みたいなものだもの」「黒い方が美人に見えるよ」「でも矢張り白くなりたいわ」「山えきたら山を素直に愉しむも
のだよ、俺はキライだよ、焼けるのが嫌なら山え来ない方がよいよ」「仕様がないキライならもうしない」・・・どうせ
強情な人だからと2人で面白半分にからかつたのを素直に諾かれて、かえって当てが外れてしまった。
山に行くと素直で一生懸命な人であった。
その後、時々、会社で真黒な顔をみる度に、気の毒で恐縮したが、本人は平気らしい顛をしていた。
でも時々「クロがイロクなった」と云はれては親を恨んでいたようだった。
帰りの汽車は事故で津久田と云う、家もロクにない駅で2時間も停っていた。何もする事がないので線路にぼんやり寝ころんでいたが、彼女は「将来の事は判らない、現在を愉しみましょうよ」と一人であちこち歩き廻り、「とっても素敵だった」と5日間の総決算の真黒な顔に白いキレイな歯(入歯であったが)を出して笑っていた姿が印象的であった。

ロ癖の様に云っていた言葉が思い出される。
「女が山に行くと云う事は、男に較べて、とっても大きなハソデキャップがあるものなのよ」。
それが事実として最後迄大きな影響を及ぼした。宿命であったのか。

我々に執つてよい山の仲間を突然失つた事は非常なショックである。
本人もさぞ残念な事だろうが、悔んでも仕方がない。きっと彼女はあきらめのよいさっぱりした人だから、「でも出来ちゃつた事は仕様がないでしょ!」とさっぱりと割りきっているかもしれない。
  その軽いやさしい声が耳に聞えるようだ。
  真黒な顔に白いきれいな歯をみせながら。

     山を愛し
    人を愛し
    ひとり山に逝きし
    幸いすくなかりし
    友を悼む


         − 山の仲間 −


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