娘の遭難を省みて     吉田 ケン
 
昨年8月16日土曜日、“山に行く”との電話が留守宅にありまして、いつもの事と、気にも止めず、気を付けて行
っておいでと、兄より見送られ、何の変りもなく出掛けました。
これが永遠の別れになるとは、神ならでは知る由もなかった事でした。

「永らく逢なかった姪と甥の二人を呼び寄せておいて下さい。十九日には帰ります。」と云い残し、何年振りに再会
する喜びを胸に抱いて、そのまゝ帰らぬ人となってしまった娘、セツ子の一周忌が、早くも近づいて居ります。
あの時の山岳部の方々、並びに会社の方々、地元の方々に掛けた御苦心、御苦労の程は、言葉や筆にては書きあらわす事が出来ません。只々感謝の二字があるのみで御座いました。
母の私は、何かとグチも云い、我が子の不注意を叱っては止めどもなく流れる涙をどうする事も出来ませんでした。
その後、法要の度毎に山のお友達がお出で下さっては、山の話をして下さいましたり、スライドを写しては在りし
日のセツ子の物語を聞かせて頂き、山のよさを知る様になりました。そして山に行く方の友情の深い事にも、
感謝せずには居れませんでした。

日頃は何事にも注意深く考えのよい子でしたが、単独山行は特に注意されているにもかゝわらず、一人で行ったと云う事はあの子の持つ勝気すぎる程の性質が、此の悲しみに変った様に思われてなりません。
でも山が好きであって、あんなに美しい山に登り、誤ったとは申せ、これも運命と思えば本人としては幸せではなかったでしょうか。でも残された家族の者は悲しみに沈み、多くの皆様方には御迷惑をお掛けしました事を本当に申訳ないと思って居ります。

ラジオのニュースに今日も何処の山で遭難した、何人かが行方不明になったと聞く度に、身の毛がよだつ思いが致します。たまたま外出の際に駅などでリュックを背負い楽しそうに山に出掛ける方を見ます時、セツ子も生きて居たならと、又しても胸が一パイになるので御座います。
好きな山行きには、楽しく行って元気で帰って下さいと、心で祈らずには居れません。
 
尚、最後に、部長様はじめ課長様、山岳部員の皆様に深く感謝致しまして筆を止めさせて載きます。



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