思 い 出 の 万 座 行 加 藤 虎 雄
編集氏より女史との思い出深き山行として、31年正月合宿の万座スキーと指定を受けたが、自分としても26年秋、女史と初めて山に登った奥多摩馬頭刈り尾根縦走から現在までの中で、一番思い出深い山行になってしまった。
女史も例年ならば皆と一緒に合宿地で正月を迎えるのが常になっていたが、何かの都合で出発出来ず自分が遅れて出発するのを知ると同行を申込んで来た。
車内は正月の為か満員であったが、女史が座席を確保していてくれた事には驚いた。
いつもならば少し遅れて来る人が、列車の窓から半身を乗り出して遅れて行った自分を見つけて、少女のような声で呼んでくれた。
女史は山行のときには必ず同行者の喜ぶ食物を持って来てくれる美点が有った。自分も多分にもれず同行中には度々喜ばせてもらった。
出発当時の悪かった空模様も、草津に着く頃にはガスも上り晴れ上っていた。
あの寒い長いリフトでは、スバラシイ!、スバラシイ!を連発しながら芸術的な写真を撮っていた。
殺生小屋での小休止も女史に追立てられシールをきかせての登りになる。振子沢の滝場ではあそこを廻ってそこを廻るとなかなかの達人ぷりでつい吊り込まれて議論する。 あまり温かいのでシャツを腰に巻きカメラを首に吊したら、女史より「コジキ」の引越しだと笑われたが、今となっては女史にニックネームをいたゞくことも出来なくなってしまった。
予定より早く11時頃弓池に到着。早く万座に行く事を主張したが、女史の主張は今日の様な快晴はめったに無いから御釜を見物して写真を撮り、3時頃迄に行けばいゝという。ついに負けて遊び廻ることにした。あの大きく曲ったペンドのショートスキーでアイスバーンの御釜やシュカブラの白根の腰をポーゲンで滑る。今思い出しても懐かしさが目に浮んで来る。又いつの日か万座に行く事の出来た時は、なつかしく一緒に滑った事を思い出すだろう。
3時頃ともなれば人も居無くなり寒くなる。思いを残す女史をうながし万座へ降る。 コースがクラストしているので気持よく滑る。調子に乗った女史は追い付かれぬ様に飛ばす。波乗りコースでは声を出しながら喜んでいた。
以前、川村夫妻と来た時は夜になり、よたよたとスキーで降ったと話していたところだ。
万座の大ゲレンデの上より女史と一緒に滑り出したが、女史は右側の松屋の裏の方へ、自分は左の表の方へと別れてしまい、下で皆と会い女史の来るのを待ったが遅い。行つて見ると大きな穴の中で靴を履き直していた。聞くと大転倒して靴がぬげたとの答には大笑いした。
斜面を見上げると新雪の上に直滑降のシュプールが二本はっきりと大きな穴に続いていた。
「山靴」目次 苗場山トップ 百名山トップ HOME