後  記

もうすぐ一周忌がやってくる。追悼号を昨秋に出す予定で、アテラコチラに原稿の催促をして無理矢理に書いて貰ったのに、一向に発行する様子もない。「せっかく書いたのにどうしたのだい。」と教育課の山中さんなどに会う毎に云われる。最近では、顛を見るとすぐに、「どうも済みません。」と先手を打って謝ってしまう仕末である。ようやく発刊する運びとなつてホットしていると、Z氏から去年書いたのなんか、ピントがはずれているから載せないでくれと云われてしまった。
これら全て、自分の不徳のいたすところで、ただただ申訳けありませんの一語に尽きます。
この4月には、自分が解任されて、編集係には土屋君が任名されたのですが、昨年からの責任上、この号だけは
代行しましたことを付記しておきます。今後は土屋君によって素晴しい部報が続々と発行されることと思います。

表紙は、平野高義君の描いたもので、棒沢の出合に嵌め込むレリーフの図案ともなりました。ついでながら、レリーフの題字は、我々の大先輩、杉谷健二郎氏(安保課)の名筆になるものです。
巻頭の吉田さんのポートレートは、31年夏一の倉沢南稜テラスにて、長島氏の撮影。捜索の記念写真二葉は、
労務課井上氏の提供によりました。

昨今の谷川岳は、600人登ると1人の割合で事故が出るそうです。
私達は、昨年石井さん、そして今度は吉田さんの記念碑を建てました。
私達は、「俺は遭難なんか、絶対しないんだ。」などと強がりは云いたくありません。しかし、悲しみのケルンを積み上げるようなことは、どうしても無くしたいものです。
再び事故を起さぬために、吉田さんの記念碑が、山仲間へのよき指針たらんことを祈らずにはいられません。

夏山。岩登り。北アだ。南だ。
さあ、山へ出掛けよう! 俺たちや、町には住めないからに。
そして、あくまでも自分のペースで。

半年以上も遅らし、かつ、雑な編集で、まことに申訳けありません。
非力の私に、横田、平野両氏から、多大な助言、協力を載きましたことを感謝致します。
                                                (Y.T)




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