は じ め に
信越国境に位し、あの航空母艦の様な堂々たる風姿を誇る苗場山は、また豪雪の山、そして夏には、広大な頂上に展開する池塘と高山植物によって、際立つた存在を示している。
しかしながら、丈余の豪雪に耐え抜いてきた猛烈な藪は、2,3の一般コースを除いては、私達の進入を容易には許さない。
スキーとお花畠の“苗場”は、ゆるやかなスロープに連なつておとなしそうだが、ひとたび荒れた時は、その様相を一変する。ここに消えた人の殆んどは、発見すら困難であつた。
幸いにも私達は、比較的短期間に遺体を発見出来た。しかし私達山岳部の力だけでは、果してこれだけのことが出来たであろうか。土樽の高波氏、小林氏、赤湯の山口氏、地元の消防団そして会社の全面的な援助が無かったならば、事態は悲観的なものであったろう。これらの方々のお蔭で、私達は、友に安らぎを与えることが出来たのであった。
はじめに当り、捜索に献身的な協力を下さった方々、そして各方面からの御同情に対し、私達は、心からの感謝の念を禁じえません。
故吉田セツ氏略歴
1923年1月3日生れ
1940年3月 高等女学校卒業、日本赤十字社入社、看護婦教程終了と同時に
1942年召集、 南方各地を従軍、 1945年復員
1952年 石川島健康保険組合保健婦として入社
1956年5月 石川島山岳部に入部
1958年8月 16日夜より単身、苗場山に登山、8月18日午後5〜7時頃
棒沢下部左岸千丈岩中段より墜落死亡、 享年35歳
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