断   片            高橋 洋二

11月の広河原と云えば、もう人の気配も感じられないこの世の別天地だ。昨日の池山では、他の登山者が居たので、余り話し合うことも無かったせいか、煙りにむせびながら、Z氏と三人で、色んな事を語り合った。お互に、理屈ぽいと来ているので、話題はすぐ、人生論とか、哲学めいてくる。
そんな語らいの中で、「男の子は、若い時どんどん女の人と交際して、女性と云うものを、もっとよく理解しなければいけないわ。」と彼女が私に説き出した。相手は、お互に無粋をもって任ずるZ氏と私。「そんな面倒くさい事する位なら、山へ登った方がましだよ。」 「男性の理解がないと言うことは、女性にとっては、最大の悲劇よ。」いつ果てるともなく、やり合った。
広河原の夜は、Z氏の形容を借りるならば、「星が恐いくらい、光っていた。」
その時は、何とも感じなかったのだが、不思議と彼女の云った事がいつ迄も、耳に残っていた。その後、私も段々とひねて来たせいか、ふと憶い出すことがあると、あの事は彼女の女性としての誰もが持っている或る一面を見せていたのだなと考えるのである。そして彼女も、青春を戦争によって奪われた人なのだと思われてならないのである。

笹ケ平のCUを訪問してお茶を御馳走になり、しばらく談笑にふけった。それから茂倉岳、一の倉岳を越えて肩に出た。
五月晴れの空も、だんだんに青い部分が消されて行つた。私達は、雲に追われる様に急ぎ足で西黒尾根を下りはじめた。最初は、雪が消えてドロンコな道であった。やつと、ザソゲ岩も過ぎた頃、西黒沢側に続く、可成り大きな雪田に出た。傾斜もさして急ではなく、雪も軟かいので、グリセードで降ることにした。安全のため、私が先に降りて、下で確保の体勢をとって身がまえた。合宿でミッチリ練習した成果で、皆鮮やかに下ってくる。これなら大丈夫であろうと、雪に深くさしたピッケルを抜いて確保を止めてしまった。この気のゆるみが、失敗のもとだった。                      
やがて吉田さんも調子よくグリセードをやって私の手前でストップした。すると、何かのはずみで尻餅をついて、またズルズルと滑りはじめた。これはいけないと私は左手でかかえながら、右手でピックを雪に突き刺した。腐った雪は、二人の体重を支えることが出来なかった。段々にスピードがつき、遂には頭が上になり下になりしながら落ちて行った。
止まったなと思った時は、浅いクレパスの中であった。私の身体は何の異常もない。彼女はどうなったかと振返ると、クレバスの中で「何ともないわよ。」と明るく答える。しかし、ピッケルで刺したのであろうかアゴに血が流れていた。
あの時、私が手を出さなければ、簡単に一人で止まったのだった。
謝る私に、「いいのよ、気にしなくても、何でもないわよ。」と気にもしていない。
私は、怒って貰いたかった。この未熟な自分を、もっと叱って欲しかった。その言葉を聞いて、私は、彼女に対して本当の姉にする様に、もっともっと甘えたい気持ちがしてならなかった。
共に歩いた山行の最後であった。



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