血栓性外痔核闘病日誌


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自覚症状
2000年8月29日(火)
 朝、肛門付近に"おでき"らしき"腫れ"を自覚。
 今までにも幾度か発生経験あり、さほど気にせず出勤。しかし退社時刻には、着座姿勢がやや辛い程に。もはや、スカッシュ不能、本日はキャンセルし安静。
2000年8月30日(水)
 朝起きると、"腫れ"は拡大傾向、便通やや困難に。通院せねばならぬかも。保険証、診察券は会社の机の中に。
 とりあえず出社。"いつもの病院"は横浜の戸部、所要約1時間。決断遅れ、当日は無理。翌日の受診を決意。スカッシュは無し。
受診・切除
2000年8月31日(木)
 本日は欠勤し、午後いちばんの受診目指す。約4年ぶり。すでに"切除"の予感あり、事前対策として"浣腸"し、入浴をすます。
 11:30、先ず田町駅前の銀行へ、香港、シンガポール紙幣の両替。翌々日午後から、香港とシンガポールへ6泊7日の予定。
 13:30頃、横浜戸部の松島病院到着(痔の専門病院で結構有名)、受付、事前問診経て、受診。病名「血栓性外痔核」いわゆるイボ痔の一種。医師、"今日は時間ありまあすか?、切りましょう"
 14:30頃切除。切除に先立って、麻酔を肛門直近へ数発、これは痛い。類似した症状を17歳で経験、その時は"ほっぺ"部分へ注射だったのに・・・。今回の切除はやや大きい様子。切除も結構痛い。当時はあっさり直った経験があって、これで終わったと思ったが・・・。
 1時間ほど"休養室"にて安静にし、16:00帰宅開始。痛みはなし。
大出血
 17:00少しまえ、三田の自宅到着、短パンまで血が浸みだしている。全部脱いでみると、鮮血が足を伝っていく。慌てて風呂場へ。何とか、患部のガーゼを剥がす。やや痛い。組織がガーゼに着いてくる。患部シャワーで洗浄してみると、出血は"ぽたぽた"状態。床に血が付くので風呂場から出れない。タオルを持ち込んでない。暫し考えたが、トイレットペーパーを分厚くまとめ患部にあて、足を血を流し、部屋へ。直ぐタオルを持って再び風呂場へ行き、ペーパーとタオルを交換。フェイスタオル程度では、あっという間に"押さえた手にも"に血が付く。
 大きめのタオルに変え、何とか部屋へいき。更にタオル追加用意して、ベットにも敷き、やっと、横になったが・・・。
 あっという間に出血はベットパッドまで浸みていく・・・。ちょっとやばいカモ。病院の電話番号は?、そうだ、診察カード。
 やっと電話し"ちょっと出血多くて・・・"、看護婦さんが医者と相談している様子。"患部をガーゼで押さえ、1時間ほど様子みて、また電話ください"とのこと。ガーゼなどでは役に立たない。患部は圧迫出来る場所でもない。動かないでいれば止まるかな。このまま、一晩明かすと"動けなく"なるかも。確か1リットルくらいまでは大丈夫だっけ。
 19:00、再電話、"出血止まりませんが・・・"。看護婦さん、"どのくらいの出血ですか?"、"もうハンドタオル3本分くらいは・・・"と曖昧な返事しかできず。"こちらへ来られそうですか?"
 どうやって行こうか、タクシーか。座れない。しかもまだ渋滞時間だ。"倒れるかもしれないので救急車できてください、"。救急車で横浜までいってくれるのかな?はずかしいな。アパートは駅まで近い。病院も同様。電車で行く決心を固め準備。入院を想定し多めに着替えを用意、出発直前に患部のタオル交換。ここまで、全ての作業は片手でするしかなく、片手は患部を押さえたままなので、かなり時間かかる。
縫合・入院
 19:30少し決意の出発。都営三田駅から京急戸駅部までは、同じホームでの乗り換えあり。あまり時間かかるとまた服に血がしみ出てしまう。念のため黒の半ズボン。幸い横浜までの快速にすぐ乗れた。押し合いになるほどの混雑はない。助かった。
 横浜までは22分間。あまり動かないようにドア付近にたって、我慢。出血しているのが自覚出来る。横浜まで後少し、気分が悪い。やばい。貧血みたいになってきた。チョット甘く見ていたかな。
 なんとか横浜着、"快速"から"普通"に乗り換えの為、一旦降車。酸素を脳に送り込むように、ホームで秘かにゆっくり深呼吸。意識鮮明に回復。"普通"で一駅、戸部駅着。
 ゆっくり歩き、20:30頃病院着、即診察台へ。"痛い"というのもなんのその。また強烈に麻酔打ちまくって、あっという間に縫合に入る。最後の座薬挿入も強烈に痛い。定かでないものの、ここ4〜5時間で2〜300CC以上、もしかすると、500CCくらいは出血したかも。チョット"血の気"が多い。短時間の出血って、どの程度がやばいのかな。
 21:00病室へ歩いていく。痛み止め2錠もらう。なかなか良い個室。30分もすると、やや痛み薄れるが、眠れる程ではない。朝まで"うつろうつろ"状態。看護婦さん、すっぴんなのになかなか綺麗。化粧したらいい女だろうな。
一泊で退院
2000年9月1日(金)
 5:00ナースコールして"痛み止め"の追加もらう。7:00看護婦さんの患部点検、検温。ほぼ止血の様子。
 9:00給食後、退院準備開始。薬が効くと眠い。この辺で会社に欠勤連絡。会計手間取り、三田のアパートは12:00ごろ着。帰路、動ける内にと、食料を買い込む。
 ここまで、独力で何とか切り抜けたゾ。なかなかスリリングな出来事だったなぁ。香港出発は明日。ちょっと無理かな。キャンセルしてもいくらも戻らないことを確認。
 最終決定は明日に持ち越し。旅行の準備だけは整える。13:38分の地下鉄に乗れれば、間に合うので、12:00頃には最終決断。両替も5万円分してある。この後は、てっきり急速に回復すると思っていたいたが。
出発日〜旅行断念〜
2000年9月2日(土)
 "薬"の為、痛みは"薄い"が、昨日よりよくなったとは言い難い。患部の"出血少々あり"。ここで"最初の排便"してみないと何ともいえない。
 自力で"浣腸"し、排便試みる。しかし、激痛だった。腰から下が痺れてしまうほど。シャワーで流して、ベットに横たわる。1時間経過。"痛み止め"も利かない。そろそろ決断時刻、しかし、横になっていても、辛い。とても"旅行"は無理だ。断念。強行しても、スカッシュは無理、飲酒もできない。あーぁ。中止だぁ。
回復せず〜予想外〜
2000年9月3日(日)
 出血少々、痛み変化無し。便通は辛い。痛み止めが残り少ない。この辺で最初縫合しなかったのが理解できた。縫合すると処置後が痛いのだ。
2000年9月4日(月)
 受診、止血傾向にあるとのこと、特に処置はなし。"痛み止め"を処方してもらう。しかし、前回と違う"薬"で殆ど利かない。非情に非常に痛い。
2000年9月5日(火)
 病院へ電話相談。痛みがひどく"鎮痛剤"を多目に飲んでも殆ど利かないことを相談。"3日分を1日半で飲んだ・・・。なんとかなりませんか。"看護婦さん、"緩和処置しますのできてください。"。やっとの思いで通院。縫合箇所を"ひと針"はずすという。患部周辺が腫れていて激痛。麻酔は無し。"とどめの一発"の座薬鎮痛剤のおかげで痛みは急速に緩和していく。"ふわーっと"、この数日の痛みが消えていく"幸福感"に満たされる。30分程"休養"して帰宅開始。
緩やかな回復傾向
2000年9月6日(水)
 出血量は少し多くなったが、"ぽたぽた"なんてことはない。痛みも大分楽になりなり、食欲が出てきた。やっと熟睡出来るようになった。それでも便通はきつい。
2000年9月7日(木)〜8日(金)
 昨日と大差なし、出血量は日に日に減少。
 香港$2万円分とシンガポール$3万円分を円に戻す。計約4万弱しか戻らなかった。香港$は手数料高い。ツアー代金とあわせ直接損失約12万。郵貯シティバンクカードの海外保留設定も解除。
2000年9月9日(土)
 "痛み止め"在庫僅か。受診し、処方してもらう。"腫れ"は一向に引かない。患部からは"浸透液"のみで、出血なし。排便時のみ、やや出血あり。完治にはまだ、1〜2週間かかるという。
2000年9月10日(日)
 スクーターに挑戦。スクーターに乗れなくては、"椅子に座るのは無理"。チョットきつい。まだ、"座る"のは無理。
社会復帰へ
2000年9月11日(月)
 先週までは、"旅行休暇(有休)"で申請済み。今週から出社予定だが・・・。本日も欠勤。
2000年9月12日(火)
 回復傾向は、緩やか。排便時出血も殆どなくなったが、"痛み"はきつい。朝排便したが、午前中は横になっているのがやっと。本日も欠勤やむなし。そろそろ出勤せねば。部屋にいても、することがない。スカッシュも出来ず。パチンコも出来ず、寝ているだけ。もう飽き飽き。"有休消化"ももったいない。
2000年9月13日(水)
 昨日に引き続き、朝の排便を試したいが、便意こない。このまま夜まで"したくならねばよいが。
 直前まで迷い、9:00出社に挑戦。8月30日以来の久しぶりの出勤。もし、日中に会社で便意が来たら、帰宅せねばならない。さて、長時間の着座出来るかな。幸いスクーターで10分程の距離。
 昼食摂ったら、やや便意の気配。やばい、こらえておく。帰宅後に、浣腸して排便に挑戦。今回はさほど痛くない。
2000年9月14日(木)
 朝起きるとやや、鈍痛あり、再び停滞傾向なのかな。鎮痛剤服用し出勤。昼は摂らない事にする。今日はオリンピックサッカー、対南アフリカ戦。なんとか勝利。もうハラハラ。
2000年9月15日(金)*祝日じゃい。
 本日はパチンコに挑戦。4〜5時間着座訓練。
2000年9月16日(土)
 通院。"表面近く"は、ほぼなおったようだが、"奥の方"はまだ・・・。
2000年9月17日(日)
 本日もパチンコに挑戦、だいぶ楽だ。オリンピックは野球、サッカーが"熱い"。
2000年9月18日(月)
 本日から正式版社会復帰・・・いや、会社復帰。スカッシュ復帰も間近!・・・か?
 女子ソフトボールは、なかなか迫力。展開もはやく、おもしろいな。
完全復活への道
2000年9月19日(火)
 8月28日(月)以来、3週間も、ジムにいっていない。今日、復帰しようかな。 
2000年9月20日(水)
 昨日は結局運動せず。今日は"オリンピック、サッカー"ブラジル戦。
2000年9月21日(木)
 本日こそ、"ジム"で"自転車"くらいは・・・。ジャイアンツの"胴上げ"が・・・。しかし、"傷口"は閉じきらず、運動はなし。"胴上げ"も土曜日以降になった。ドームで胴上げ間違いなし。
2000年9月22日(金)〜23日(土)
 とほほ、いつになったら、"スカッシュ"できるのでしょうか・・・。
2000年9月24日(日):
 8月28日以来、約1ケ月ぶりにスカッシュコートにはいったが・・・。
ボールは見えない、追えない、あたらない、もちろん走れない。ダメだ。軽い運動から、リハビリしないと。また、最初から出直し。
 もうすっかりスカッシュなしの生活に慣れてしまった。どうしよう。
*2002年4月現在:浣腸+便秘薬を常用。要監視状態ながら、日常+スカッシュに支障なし。(*^_^*)

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