里仁


5.富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也

 「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり」と
は「富と貴い身分とはこれはだれもがほしがるものだ。しかしそれ相当の方法(正しい勤勉や
高潔な人格)で得たのでなければ、そこに安住しない。」との意である。
 正攻法によらなければ、身に付かないということでしょうか。ダイエットと同じで、一時の食事
療法や運動で痩せても、またもとの生活に戻れば太ってしまうのと、根本は同じでしょう。
2004/5/5

7.人之過也、各於其党、観過斯知仁矣

 「人の過つや、各々其の党(たぐい)に於いてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」とは「人の
あやまちというのは、それぞれの人物の種類に応じておかす。あやまちを見れば仁かどうかが
わかるものだ」との意である。
 仁とは一体何かについての説明は、まだ出てきていないよう思います。ですので、過ちを見
ればその人が仁かどうかがわかるということが、正しいかどうかの判断はしかねます。ただ、
失敗しことがどんなことによって、その人がどんな種類の人間であるかを判断する方法につい
ては、異議はありません。その失敗にどのような対処をしたかによってその人の性質がわかる
のではないかと思います。

2004/5/9

8.子曰、朝聞道、夕死可矣

 「子の曰わく、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり」とは有名なので、コメントはありま
せん。

2004/6/2

9.士志於道、而恥悪衣悪食者、未足與議也

 「士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らず」と読む。
「議る」は、語ると訳されている。また、「悪衣悪食」は、粗衣粗食の意。
 しかし、外見を気にするということも必要かと考えます。内面の自然な発露が、外見であると
いう評価をする場面も多いと思いますね。

2004/6/2
10.君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

 「君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義にこれ与(とも)に比(した)しむ。」とは、「君
子が天下のことに対するには、さからうこともなければ、愛着することもない。(主観を去って)
ただ正義に親しんでゆく」との意と記載されています。
 ただし、別訳として「適をそれだけときめること、莫をそれでならぬとすること」とあり、こちらの
ほうが理解しやすくてよいように思います。
 正義が何であるかについて、直接的な言い回しではありませんが、正義というものが固定的
なもではなく流動性があるものだということが、この文章で示されているものと思います。為政
編第八節では、礼が必ずしも形式ではないと指摘されていましたが、そのことと同様に、固定し
た型枠ではなく、そこに入れるものが重要だということが「無適也、無莫也」に示されていると考
えます。

2004/6/12

14.不患無位、患所以立、不患莫己知、求為可知也

 「位なきことを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己れを知ること莫(な)きを患えず、
知らるべきことを為すを求む」とは、「地位のないことを気にかけないで、地位を得るための(正
しい)方法を気にかけることだ。自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないで、認めら
れるだけのことをしようとつとめることだ。」の意。
 自分にできることをどれだけやったのかを省みて、満足できるまで努力するのは、並みの精
神力では難しいです。しかし、何事かを成し遂げようとする場合、どうしても必要になるここがけ
であると思います。

2004/08/08

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