みんなの広場
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 アクセスされた方々との交流の場です。今月も次の3項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
 10月は割合と暖かい日が続きました。昼間はかなり暖かいけれども、朝夕はかなり寒くなります。月末になると、寒い日も多くなりました。パンジーやシクラメンなど、冬の花も出始めました。落ち葉で、掃除が大変な季節になってきました。
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  「日本語で思考すること」という作家 水村 美苗さんのインタビューを載せました。水村さんは「日本語が亡びるとき」という本を昨秋書かれ、最近小林秀雄賞を受賞されています。

2. 10月のトピックス
 10月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 「森の会」演奏会
  10月1日、蒲田のアプリコ小ホールで合唱団「森の会」の発表会がありました。
 2.2 裏磐梯旅行
  10月18日・19日、大学の時の仲間10名で1泊2日の旅行をしました。右の写真は五色沼の紅葉風景です。
 2.3 油絵グループ展
  10月27〜31日に蒲田のアプリコで、油絵教室サークルトライのグループ展がありました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 「今月の追加内容」
 「5 本の紹介」に追加した「124 寺よ、変われ」は、新聞で「著者に会いたい」を見て、本を求めて読み、良い内容だと思ったので取り上げました。
 「9 趣味」「3. 美術」「2. 絵画作品集」に追加した「28 マンゴー(油絵)」は、大田区の文化祭(池上会館にて開催)に出展した絵のご紹介です。
 「11 興味あるリンク」には「9 日本文化(文化交流)」に「9.5 木簡くずし字データベース」、「11 趣味2−旅行」に「11.70 蔵の町喜多方」の都合2項目を追加しました。前の項目は新聞記事に載っていたもののご紹介で、後の項目はこのページの「10月のトピックス」の2.2項に関連した内容です。

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 1.2 新聞の記事から
   日本語で思考すること 水村 美苗さんに聞く
    困難という快楽励みに 「読みたい言葉」継承を

「英語を学ぶには日本語の読み書きが基礎」
 グローバル化に伴い、国際語になってきた英語教育を小学校から義務化することになった。その一方で、日本語の学習が貧弱になってはいないか。昨秋、「日本語が亡(ほろ)びるとき」(小林秀雄賞受賞)という衝撃的な題名の本を書いた作家、水村美苗さんは警鐘を鳴らす。
 「日本語の読み書きがしっかりできない人の読み書きする英語は100%だめです。このままだと娯楽としての日本語は残っても、思考する言論であり続けられるかどうか」
 水村さんは20年前、未完に終わった夏目漱石の「明暗」の続編「続明暗」を書いて、文壇に登場した。文豪漱石の続編を書くという大胆な行為自体驚きだが、12歳までしか日本で教育を受けておらず、ほとんどが米国で英語で教育を受けた人物だったことも世間を驚かせた。
 父親の転勤で渡米した少女はいきなり英語漬けの日々になる。「当時のアメリカは圧倒的に豊かだった時代の名残りをとどめ、the American dreamの片鱗を味わわせてくれた」(水村さんの小説「私小説」から引用)。一方、日本は高度成長が急速に始まりつつあった。「残っていた田んぼや畑は安っぽい住宅地に変わっていった。道はでたらめな姿のままに舗装され、その上をオート三輪が走った。発展することによって露呈される貧しさがあり、それでいてあの町こそ私の故郷なのであった」(同)
 英語しか通じない学校から帰ると、父親の書斎に入り込んで、本棚にあった日本近代文学全集を片端から読みまくった。なぜ日本語を読み、学んだのか。
 「それは楽しかったから。快楽だったから。芸術とは不思議なもので、人は苦から寝る間を惜しんで、命を削って、余計なことをしてまで高みを求め、ものを作ってきた。困難であることの面白み、楽しさがあるからです」
 少女が異国で遭遇した英語と日本語の2つの言語の衝撃は、水村さんがこよなく愛する明治の作家や思想家たちが、江戸末期から明治初期に出合った衝撃と、ある意味では同じだったのかもしれない。
 「漱石の『三四郎』の中に出てくる広田先生が、日露戦争の勝利に酔う当時の日本の風潮を戒め、日本はやがて『亡びるね』と言う。その言葉が好きで本の題に使いました。漱石に限らず明治人は皆広い見方をしていますね。日本は建国したばかりでいつ亡んでもおかしくない状況にあった。戦後の日本人のようにノホホンとしてはいられなかった。国が危機的状況にあるときに、危機感を持った優れた人材がよく生まれます」

「明治時代の社会の根底には漢語の素養があった」
 日本語が、水村さんが言うところの現地語(小さな部族の中でしか流通しない言葉)ではなく、国語(国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉)として成立し、育ち、なぜ明治以降の優れた文学や思想を生み出したのか。
 「社会の根底に漢語の素養があったからです。福沢諭吉にせよ漱石や森鴎外にせよ、皆子どものころに漢語を学んでいます。諭吉は儒教嫌いで有名ですが、それでも並みの日本人よりは儒教の古典にも漢語にも通じていた。当時の知識層は普遍語(国際語)であった漢語を学ぶことで、抽象的な思考に慣れていた。それが基礎にないと西洋の言葉の翻訳などできません。しかも漢文読み下し文というものがあり、外国語の翻訳そのものに慣れていたのです」
 かなり高い水準の知識層が数多くいたことが、日本語を育て、世界にも通用する優れた文学や思想を生み出したというのだ。

「日本語を破壊する教育が続けば日本語は亡ぷ」
 こうした先人たちを持つ日本人や日本語は、今どういう状況にあるのだろうか。
「戦後のGHQ(連合国軍総司令部)が戦前の教育や日本の文化を否定しました。以来、日本人は進んで自らを否定し続けました。日本語が亡ぶとしたら英語が基軸言語になったからではありません。日本人が日本語を勝手にだめにしていったのです。『日本語が亡びるとき』という書名は誤解を招きますが、私自身、話し言葉としての日本語は亡びないと思います。書き言葉も、日本のように市場が発達し、所得や教育水準も高い国では亡ぶごとはないと思います。ただ、優れた思考をしようとする人たちが50年、100年先に本当に読みたい書き言葉としての日本語が流通し続けるかどうかが危うい、と思って心るのです」
 「ある程度難解な日本語を読む快楽を若いとき(高校卒業か、遅くとも大学卒業まで)に味わわないでいると、段々面倒になってきます。そういう人ほど(グローバル社会では)英語ができなくては、と強迫観象にとらわれます。しかし、私は日常会話ができる程度の英語のことを『筋肉英語』と呼んでいますが、この能力がいくらあっても、英語が読めない、書けないでは外国では優秀な日本人にはなれません。いかに日本語を学んできたかに英語の読み書きの能力はかかっているのです」
 先行きはあまり明るくはないが、戦後の日本語や日本文化の崩壊を食い止める役割を団塊の世代に担ってほしい、と水村さんは期待する。
 「戦後教育を受けた団塊は、それ以降の世代に比べればまだましです。なぜなら彼らが子どものころに学んだ先生は、戦前の日本語教育をしっかり受けた世代だからです。団塊の世代の親には元気な80歳や90歳の方々も多いですし。例えば毎週土曜日に子どもたちに日本語の本をどんどん読ませるような草の根活動をしたらいかがでしょうか」 (産業地域研究所 須田清雄)
(出典 日本経済新聞 2009.10.15 夕刊)

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2. 10月のトピックス
   10月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 「森の会」演奏会
  家内と共に参加している合唱団「森の会」では、年に一度位、発表会をやっています。今年も蒲田にある区の設備アプリコの小ホールで発表会を開きました。全員で歌う合唱3曲の他、数人で歌う重唱と個人の斉唱があります。約1年の間に練習した中から曲を選び、数ヶ月前から練習に入ります。場所の借用から当日の司会や写真撮影まで、メンバーやその家族が手伝います。ピアノ伴奏だけは専門家に依頼します。数週間前のピアノ合わせから、当日のリハーサルまで、緊張した日々が続きます。歳をとると歌詞を覚える暗譜が困難になり、発表の直前まで苦労しましたが、どうやら歌詞を見ないで歌い終わりました。
 2.2 裏磐梯旅行
  今年の2月にスキーに行ったグラン・デコのホテルに泊まり、裏磐梯、喜多方、会津若松を廻りました。まず、新幹線で郡山まで行き、10人乗りのレンタカーを利用して観光し、帰りも郡山から東京へは新幹線に乗りました。郡山から磐越自動車道で猪苗代磐梯高原IC(インターチェンジ)を通り、裏磐梯の五色沼に行きました。近くのイタリアンレストランで昼食をとり、湖畔を歩きました。丁度紅葉の真っ盛りで、見事でした。日曜日とあって、合流地点までは少し渋滞しましたが、ホテルへの道は空いていました。
 二日目は喜多方に出て蔵屋敷を訪ね、昼は喜多方ラーメンを食べました。その後、会津若松に廻り、飯盛山に登りました。幕末における白虎隊自刃の場所として有名です。
 天気に恵まれ、立案者の献身的な運転で、快適な旅をすることができました。
 2.3 油絵グループ展
  油絵のグループ「サークルトライ」では、年に一度位の間隔でグループ展を開いています。今年も第10回目のグループ展を、蒲田駅に近い「アプリコ」で5日間、開催しました。課題画は仲間の人物画で、会場の突き当たりの壁に全員の作品を飾りました。あとは一人1〜3枚の作品を出展しました。学校、テニスなどの仲間や兄弟が来てくれました。友人からは「10年経ったら大分うまくなったな」とほめられました。

3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  「5 本の紹介」に学研のムック「Google Earthで古代文明の旅」を取り上げたいと思います。
 3.2 趣 味
  今月開いたグループ展への出展作品の油絵を、「9 趣味」「3. 美術」の「2. 絵画作品集」に、載せたいと思います。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を、少しずつ追加したいと思っています。

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[Last Updated 11/28/2009]