みんなの広場
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改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)07に戻る

 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
目 次
 この冬は暖冬だそうで、どこのスキー場も雪不足です。札幌では大雪が降ったようですが、12月27日東京の気温は20度を超えました。月末には裏日本、北海道に大雪が降ったこともあり、本格的な冬の訪れとなりました。
1. 「新年のご挨拶」など
 1.1 新年のご挨拶
  新年のご挨拶を申し上げます。
 1.2 昨年を振り返って
  新年に当たって、昨年を振り返ってみたいと思います。
 1.3 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.4 新聞の記事から
  最近読んだ記事の中で、ご参考になると思われるものをご紹介します。
2. 12月のトピックス
 12月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 箱根
  コーラスの仲間で、箱根の強羅に行きました。右の写真は成川美術館から見た芦ノ湖です。
 2.2 ダリ回顧展
  上野の森美術館で開催されているダリ回顧展を見に行きました。
 2.3 ルツス・スキー
  今シーズン最初のスキーに、BSAのルツス・スキーに参加しました。
 2.4 12月大歌舞伎
  松緑などが出演する12月大歌舞伎を、家内と観に行きました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「新年のご挨拶」など
 1.1 新年のご挨拶()
  年の始めに当たり、ご挨拶を申し上げます。
 1.2 昨年を振り返って
  昨年の我が家の行事としては、秋にドイツと穂高へ旅行しました。
  私個人としては、5月から8月にかけて四つの彫刻展に行きました。5月のロダンとカリエール展(国立西洋美術館)、6月のイサム・ノグチ展(横浜美術館)、7月の「アルベルト・ジャコメッティ−矢内原伊作とともに」展(神奈川県立近代美術館の葉山)、8月のカミーユ・クローデル展(府中美術館)です。神奈川県立近代美術館の葉山と府中美術館には初めて行きました。
  ホームページは毎月末に改訂版をアップロードできました。こうしてホームページが続けられるのも、健康でいられるお陰だと思っています。
 1.1 今月の追加内容
  「4 インターネット」に最近よく見かける言葉として、「15. Web2.0」を追加しました。
  「6 私の愛読書」「7 遠藤周作氏 深い河ほか」に、作者の評論である「9. 私が愛した小説」を追加しました。
  「8 ウオーキング・旅行」「27 ドイツ周遊」に「9. 第8日 ドレスデン−マイセン」を追加しました。ドレスデンは良い思い出のある街です。
  「9 趣味」「5. 演劇」に、先月見た「30 オセロー」を追加しました。
  「11 興味あるリンク」には、「10.2.10 ダリ回顧展」を追加しました。

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 1.2 新聞の記事から 「大森界隈再訪」 川島英昭

 歳月は無情に流れ、敗戦から10年を経た1955(昭和30)年の春に私は池上本門寺を訪ねた。
 呑川(のみがわ)は昔の面影をとどめ、霊山橋(りょうぜんばし)から総門までの左右は、小学校の一部を除いて、変りなかった。それゆえ、昔と同じように、急ぎ足で長い石段を登った。しかし仁王門から先は、広びろとして明るく、小さな仮の本堂があるだけであった。
 漂う線香の煙を浴びながら、祖父母のことを偲びつつ拝礼した。左手の経堂は奇跡のように焼け残っていた。どれだけの降りかかる火の粉に耐えたであろうか。
 かつて大本堂の右手には、北へ向かって伸びる長い廊下が奥の僧坊に続いていた。が、何よりも、周辺を埋め尽くしていた鬱蒼(うつそう)たる杉木立がいまはない。きっと、紅蓮(ぐれん)の炎が渦を巻き、山上の空を焦がしたことであろう。にもかかわらず、やや離れて建つ五重塔が無事であったのは、人の噂(うわさ)に聞いていたが、久びさに訪ねてむしろ当然だと思った。
 細身の塔(高さ約30メートル)から見下ろせば、あたりは一面の墓地だ。たくさんの墓石たちが五重塔の歴史(1607年造立)を守ったのである。1945年4月15日から16日へかけての夜、B29約200機の空爆によって、池上本門寺の主な堂宇は消失した。そのとき塔は、燃え広がる地平の彼方(かなた)に、私たち一家の住み慣れた、祖父母の家四軒があげる炎も、認めたであろう。
 再会を約束した五重塔に向かって、我身の無事を感謝しつつ帰還の報告をした。それから裏の本門寺公園を歩きまわった。疎開の前日に訪れた小さな弁天池は、やや荒れて、鯉の姿はなかった。運動場のグラウンドは昔と同じで、幼児を連れた老人が散歩をしていた。
「藤棚のある見晴らし台は、ぼくが国民学校の生徒のときに造ったものだ」と私が言った。
 すると老人はグラウンドの土を指差しながら言った。「空襲のあと、ここ一面に、黒焦げの屍体(したい)が並べられた」
 さらに歳月は無情に流れて、今年、この欄の小文を綴るため、いま住んで仕事をしている信州浅間南麓(なんろく)から何度か、私は大森界隈を訪ねた。とくに、気にかかったのは、内川の現状である。
 「かつて、新井宿には、美しい桜並木の川が流れていた」と、この欄の始めのほうで、私は書いた。いま、その並木はない。戦争末期から戦後にかけて、焼跡生活のなかで薪(たきぎ)にされてしまったという。その後、川は地底に隠され、半ばは拡張された道路、半ばは断続的な植込みとなった。
 地底の川を植込み伝いに辿(たど)ると、出土橋から上は、《桜のプロムナード》と名づけられている。たしか幼いころ私の蝉(せみ)採りの終点であった画家龍子の旧居から先には、いまや、戦後に植えられた桜並木がある。
 他方、JR鉄道ガード下で姿を現わす内川の水は、瀕死(ひんし)の状態だ。しかし下流の二カ所で「ばっ気式接触酸化法」による浄化施設が働いていて、まことに頼もしい。境橋から京浜急行鉄道ガード下あたりまでは、充分にその効果が現れている。
 旧東海道の内川橋から下流は、いまのところ大規模な改修工事が行なわれていて、突端の河口右岸には、大森ふるさとの浜辺公園が整備されつつある(来春4月開園予定)。高橋松亭や川瀬巴水の描いた風景は甦(よみがえ)るであろうか。  (伊文学者)
(出典 日本経済新聞 2006.12.28夕刊)

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2. 12月のトピックス
 12月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 箱根
  コーラスの仲間で、年に1回旅行を行っています。今年は12名が箱根の強羅に行きました。往きは新宿から小田急のロマンスカーで湯本まで行き、箱根登山電車に乗り継いで、強羅に出て、あとはホテルまでタクシーです。ホテルは「グリーンプラザ強羅」で三室に分かれて泊まりました。
  翌日はタクシーと路線バスで元箱根に出て、成川(なるかわ)美術館を訪れました。現代の日本画の名作を展示しています。平山郁夫や山本丘人の絵や、箱根を描いた絵が出品されています。美術館は芦ノ湖湖畔の高台にあり、喫茶室からはNHKの朝7時のニュースの際に放映される湖上の風景が見られます。
  そのあとタクシーで宮ノ下の冨士屋ホテルに出て、昼食を摂りました。食後に庭を拝見してから、路線バスで小田原に出て東海道線で帰宅しました。未だ多少紅葉が残っていたのと、メンバーの親睦が図れ、楽しい2日間でした。
 2.2 ダリ回顧展
  油絵教室ではスケッチ力の向上を図るため、手始めにパンと籠を描くことになりました。パンの感触と籠、さらに下に敷かれた白布の陰影がポイントです。たまたま上野の森美術館で開催されているダリ回顧展には「パン籠」という小品が出品されているため、見に行きました。他の作品はおなじみの曲がった時計など心理的なものが多く、もう一つなじめませんが、「パン籠」は写実的なので、見て参考になりました。
 2.3 ルツス・スキー
  毎年、シーズンの初には、BSAのスキー講習会に参加していますが、今シーズンはスケジュールの関係で北海道のルツスに行きました。この冬は暖冬とのことで、本土の積雪は少なくて、滑ることのできるスキーは少ないのですが、さすがに羊蹄山の近くにあるルツスは全面滑走可能でした。
 教わる内容は毎年少しずつ変わるのですが、小学校と大学の友人の3人で参加し、食事は食券方式で好きなレストランで摂ることができ、アフタースキーも楽しむことができました。
 2.4 12月大歌舞伎
  12月大歌舞伎は、昼の部に行きました。八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし 嫗山姥[こもちやまんば])、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの 将門[まさかど])、芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)、勢獅子(きよいじし)の四本で、松緑、菊五郎、雀右衛門などが出演しました。

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3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 私の愛読書
  遠藤周作の「私の愛する小説」を続けて採り上げたいと思います。
 3.2 ウオーキング・旅行
  9月に行ったドイツ旅行の、続きを載せたいと思います。
 3.3 趣味
  12月に見に行った12月歌舞伎を載せたいと思っています。
 3.4 リンク集
  「興味あるリンク」を少しずつ追加したいと思っています。
 3.5 古い記事
  毎月、少しずつ見直して行く予定です。

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[Last Updated 1/31/2007]