森と氷河と鯨
ワタリガラスの伝説を求めて

  目 次

1. まえおき
2. 目 次
3. 概 要
4. この本を読んで


星野道夫(ほしのみちお)著
株式会社世界文化社(ほたるの本)

「星野道夫 森と氷河と鯨ほか」に戻る

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1.まえおき
 この本は、星野道夫さんの遺作です。クリンギットインディアンのワタリガラスの伝説を求めてアラスカを旅し、森と氷河と鯨についての写真と文章をまとめたものです。掲載予定にあった2回のシベリア取材(ロシア連邦チュコト半島及びカムチャツカ半島)の際に記された著者の日誌を加えてあります。

2. 目次
How Spirit Came To All Things 2
ワタリガラスの家系(クラン)の男 14
消えゆくトーテムポールの森で 26
ラスト・アイスエイジ・リバー 40
鯨の神話は宇宙を漂う 52
最初の人々 66
魂の帰還(リベイトリエイション) 76
森に降る枝 88
氷河期の忘れ物 100
リツヤ湾(ベイ)の悲劇 112
熊の道(ベアトレイル)をたどって 124
ジュノー大氷原の夜 134
エスター・シェイの言葉 146
レイヴン、北へ 158
海の底の住居跡 170
シベリアの日誌
   1996年6月30日〜7月27日 182

星野道夫の意図 池澤夏樹 200
星野道夫 略年譜 208

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3. 概 要 
How Spirit Came To All Things
 この文章だけは英語で書かれています。1996年8月、著者の急逝の1週間後、アラスカのシトカで開かれた追悼会で、ワタリガラスの伝説を追い求めていた著者に、クリンギットインディアンのボブ・サムがこの物語を語り、著者に捧げました。

ワタリガラスの家系(クラン)の男
 作者とクリンギットインディアンのボブ・サムとの出会いから始まります。南東アラスカの港町シトカは、1904年から63年間、ロシア領アラスカの首都として栄えた古都です。友人の作家リチャードはシトカで友人のボブを見つけて、リチャードの車に同乗していた作者に紹介してくれます。ボブは挨拶をする作者の顔を見つめながら「昨日、墓場でワタリガラスの巣をみつけたよ……」と語りかけます。
 シトカに生まれたボブは、多くのアラスカ先住民がそうであるように、新しい時代の中で行き場を失い、酒に溺れながらアラスカ中を転々としていたといいます。10年ほど前にこの町に戻ってきたボブは誰に頼まれた訳でもないのに町外れの森にある古いロシア人墓地の掃除を始めます。ボブは10年という月日をかけて、たった一人で黙々と草や木々を取り払っていきました。ボブはその時間の中でいつしか遠い祖先と言葉を交わし始め、少しずつ癒されていきました。その場所は19世紀の初めにロシア人がやってくる以前、クリンギット族の古い神聖な墓場だったのです。ボブのクラン(家系)はワタリガラスでした。町外れの墓地には彼が言ったようにワタリガラスの巣がありました。作者は彼のにスピリチャルな何かを感じました。

消えゆくトーテムポールの森で
 前章の終わりで、作者はボブ・サムとクイーンシャーロット島に旅することを提案します。話は二人が海岸で焚き火を囲んでいる場面から始まります。この島にはかってハイダインディアンが住んでおり、トーテムポールの文化を築き上げていました。19世紀の終わり頃、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘がこの島の村々を襲い、当時暮らしていた6千人のハイダ族の7割が死に、生き残った人々も村を捨てて別の場所に移り住んだそうです。クイーンシャーロット島の浜辺の奧には風化したトーテムポールが今なお立ち続け、森の中から現れたオジロジカが草をついばみながらさまよっています。
 その夜、ボブは胸のポケットからシカの皮に包まれた小さな人形を取り出すと、大事そうに作者の前に差し出します。それは妊娠した女性の裸体をかたどった5センチほどの人形でした。不思議な出来事が起こったのは、その翌日でした。二人はクイーンシャーロット島の海岸線をボートで旅していました。その日、タヌーと呼ばれる場所を訪れゆっくりと一日を過ごしていました。そこは海岸線の森の中に20以上の苔むした住居跡が並ぶ、何か強い力を持った場所でした。森の中を一人で歩きながら、しばらく写真を撮った後、ふと海岸にあるウオッチャー(現在の村から遠く離れた場所でポツンと暮らしながら、祖先の聖なる土地を守っている人々)の小屋を訪れました。そこにボブがいて、40才前後のハイダ族の女性が彼の前で泣いていました。その場にいてはいけないような気がして森の中に戻り、夜にボブに何気なく聞きました。その女性は結婚生活に破れ、ずっとそのことに苦しんでいましたが、ボブの人形を胸に当てながら、思い詰めていたすべてをボブに語りました。
 シトカで墓地の整理に力を入れているボブを見て、クリンギット族の長老は、自分たちが受け継いできた物語を次の世代に伝承して行く役にボブを選びました。
 ある夜、ボブは焚き火の前に立ち上がり、ワタリガラスの神話を語ってくれるといいました。それはワタリガラスがどうやってこの世界に水を生みだしたかという話でした。

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ラスト・アイスエイジ・リバー
 北アメリカ最後の野生の川タテシンシィニ(ワタリガラスの川)を友人と下りました。この川はラスト・アイスエイジ・リバーと呼ばれます(最後の氷河期の川)。ボブが語ったワタリガラスの神話−絶え間なくわき出る泉を持っている男をだまして、ワタリガラスは飲んだ泉の水を地上に落とし川を作りました。物語の持つ力とは、それを語る人間の内なる世界観に深く関わっており、日々の暮らしの中での何でもない出来事に対する視線と関連します。どうしても見ておきたい生き物グレイシャーベア(青いクマ)を探し、見えなくても気配を感じることができました。アルセック氷河が近づいてくると山のような氷山が行く手をふさき、ボートとすべての装備を担いで山を回り込みました。

鯨の神話は宇宙を漂う
 7月、南東アラスカの海に、ザトウクジラを追いました。泣き叫ぶようなクジラの歌を聞いたと思った次の瞬間に、無数のニシンが一斉に空中に舞い上がり、クジラが大きな口を開けながら飛び出してきました。かって、この土地を埋め尽くしていた氷河がゆっくりと後退し、新生の土地にはいつしか森が育まれ、深い谷間には押し寄せる海とともに、クジラが戻ってきます。森も氷河もクジラも、どこかで深く結びついている気がしました。テネキーホットスプリングの温泉でクリンギット族の老人ウォルター・ソブロスに会います。彼はアメリカ本土の大学で宗教学の博士課程を終えました。クリンギット族の宗教は、アニミズムに近いものでした。キリスト教が入ってきて、どう受け入れたらよいかがわからなくなりました。この老人からワタリガラスの神話を聞きました。ワタリガラスが村の長(おさ)になった話です。それからしばらくして世界的なクジラの研究者、ロジャー・ペインに会いました。彼はザトウクジラの歌を発見しました。1979年に打ち上げた惑星探査機ボイジャー1号、2号は、異星人にあてた地球からのメッセージを積んで銀河系を飛行中です。

最初の人々
 ハイダ族の神話「ワタリガラスと最初の人々」−長い間地球を覆っていた大洪水が引き、ナイクンの小さな砂浜もやっと姿を現した。ワタリガラスはお腹は一杯だったがいたずらをしたい衝動が残っていた。何も面白いことに出会わないワタリガラスは、だんだん癇癪をおこしてきて空に向かって叫んだ。すると、どこからか消え入るような泣き声が聞こえてきた。その声は足もとの半分砂に埋まった巨大なハマグリで、その貝の中にはワタリガラスの影に怯えている小さな生き物たちでいっぱてだった。ワタリガラスが誘うと、こわがってい生きものも貝の中から出てきた。それはワタリガラスとは似ても似つかない生きもので、それがハイダ族、つまり最初の人間の誕生だった。
 9月にブリティッシュコロンビア大学人類史博物館を訪れました。ワタリガラスに関するさまざまな古い工芸品を見るためです。クイーンシャーロット島から持ってきたトーテムポールもありました。
 ビル・リードの作品「ワタリガラスと最初の人々」はもっとも奥の部屋に置かれていました。彼は1920年、クイーンシャーロット島のハイダインディアンの母と、ドイツ系の白人の父の子として生まれました。20代になってクイーンシャーロット島へ旅し、祖父のチャールズ・グラッドストーンに出会いました。祖父はハイダ族の伝統的な銀細工師の流れを受け継いだ人でした。ビルは祖母が身につけていた腕輪のデザインに強く魅せられてゆきます。そして生涯にわたるクイーンシャーロット島への旅が始まります。ビルは多くの古老たちと出会う中で、ハイダインディアンのアイデンティティとプライドを自分の中に育んでいきました。そして決定的な転機が来たのはトロントのロイヤル・オンタリオ博物館を訪れた時でした。彼は祖母が生まれ育ったタヌーと呼ばれる今はなき村に立っていたトーテムポールに出会います。ハイダインディアンの伝統を受け継ぎ、西洋文化の中に育った自分の感覚を取り入れながら、彫刻家としての創作に取り組み始めます。

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魂の帰還(リペイトリエイション)
 ボブ・サムをシトカに訪ねます。週末にアンカレジで開かれる「リペイトリエイション(帰還)」の会議に二人ででかけるためです。リペイトリエイションとは帰還のことですが、19世紀から20世紀にかけて、西欧の博物館のコレクター、人類学者たちは、世界中の遺跡や墓地を発掘しながら無数の埋葬物を収集し続けました。墓を発掘された民族の側から、人骨を含めたすべての埋葬物を元の場所に戻して欲しいという運動が高まってきました。ボブが寝てから彼の奥さんのドウと話をしました。彼女は3才の頃から霊的な経験をしました。たましいのことは文字にはできません。ボブはそれらの話を理解してくれ彼女と結婚しました。ボブが毎日荒れた墓場を掃除している間、墓場で作業しているときも家に帰ってからも、ゴーストに悩まされていました。墓地がきれいになるにつれ、悪霊は消えていきました。ボブは、現実の世界では見えにくい、不可解な世界の扉を、少しずつ作者に開いていきました。ビジョンと呼ばれる体験、すなわち霊的世界の存在です。リペイトリエイションとは、この世を心としてとらえるか、それとも物としてとらえるか、その二つの世界の衝突です。最近、若者たちはアイデンティティを取り戻しつつありますが、それはボブの無償の行為と無関係ではありません。アンカレジにたつ前の日、二年前に死んだ老女のたましいを送るための大きなポトラッチがシトカで催されました。
 アンカレジの会議で 会議の中心となるシャイアン族の古老がいます。会議が博物館が所有する人骨をどの時代まで遡るかなどの議論を何時間も続けていたとき、古老は「あなたたちは、なぜ『たましい』のことを話さない。それがとても不思議だ」と発言し会場はシンとなります。この会議が終わる直前に、ボブは突然、発言し「墓を再生したこと、そのときの心の軌跡、自分の心が癒され、白人への憎しみも消えていったこと」などを話します。そして祖先のたましいを元の土の中に戻して欲しいこと、そのことで二つの文化がもっと近づけるかも知れないことを付け加えました。

森に降る枝
 倒木の上に落ちた幸運な種子のひとつが、その栄養を吸いながら、一本の樹木に生長して行きます。森全体がひとつの意志を持って旅をしているように感じます。森の中にいると、川の流れをじっと見つめているような、不思議な安定感が得られます。ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いで行くように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、一粒の雨のような一生を生きているに過ぎません。静けさの中に植物たちの声を聞くことはできないでしょうか。
 「薬草を採りにゆく前の日は身体をきれいにするんだ。悪いことは何も考えず、何か良いことだけを思いながら、自分の心も清めて行く」
 葉の裏にたくさんのとげをつけたデビルスクラブは厄介です。デビルスクラブを飲んで医者に見放された老女が癌を治し、傷ついたクマがデビルスクラブで傷を治すことから、デビルスクラブの摘み取りは大切な仕事です。デビルスクラブの大切な部分は、茎の表皮の内側です。
 ボブは次のようなワタリガラスの神話を話してくれました。それはヘインズのクリンギットインディアンの古老オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人かの若者たちに託した神話です。ボブはテープレコーダーに記録しました。「どのようにわたしたちがたましいを得たか……。ワタリガラスがこの世界に森をつくった時、生き物はまだたましいを持っていなかった。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスは一羽のタカにその炎を取ってくるように頼みます。タカは炎を手に入れて、ものすごい速さで飛び続け、その炎を、地上へ、崖へ、川の中に投げ入れました。その時、すべての動物たち、鳥たちはたましいを得て動き出し、森の木々も伸びて行きました。」木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいを持っています。
 クイーンシャーロット島でのボブの癒しの経験をドウに質問すると「彼はヒーラー(信仰的な治癒力を持った人間)ではない。ただボブは地獄のような体験をし、何か苦しみを持った人がボブの背負った深い傷を感じ、せきが外されて一挙に水が流れ出すように自分自身の傷を語ることができるかもしれない」
 森の中から、コーン、コーンと不思議な音が聞こえてきます。空から木の枝が降ってきて、年老いた森が少しずつ古い衣を脱ぎ捨て、次の時代に移ろうとしています。

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氷河期の忘れ物
 南東アラスカで発見されたクマの頭骨が、プリンス・オブ・ウェルズ島の洞窟から見付かりました。サウスダコダ州立大学の研究室に保存されていました。3万5千年前のグリズリーの頭骨です。サウスダコダ州立大学を訪ねると、大学のヒートン教授が出迎えてくれました。このグリズリーは遺伝的にホッキョクグマに近いのです。
 アラスカの発見史−1732年にロシア政府は、ベーリングとチリコフにアメリカ発見を命じました。
 ピトログラフ(岩に刻まれた不思議な絵)を、東南アラスカの森や海辺に見に行きました。
 ウィスコンシン氷河期(紀元前1万8千年頃)に、ブラックウォーターポンド(氷河期が終わり、ゆっくりと後退してゆく途中で残された大氷塊によってできたもの)、池の中に残された巨岩、この二つは氷河期の忘れ物です。

リツヤ湾(ベイ)の悲劇
 リツヤ湾は海の幸に恵まれ、人々が暮らすのに理想の地でした。だひとつの危険は、入江の入口の狭さが起こす潮の変わり目の激流です。1786年、ヨーロッパ人として始めてこの地を訪れたフランスの探検家、ラ・ペルーズの日記によると、ラ・ペルーズ探検隊は、リツヤベイ滞在中、二艘のボートが入り江の入口の激流に巻き込まれ、21人の隊員を失っています。伝説によると、入り江の入り口の海底に潜む怪物、カア・リツヤは、この近海に近づく者すべて滅ぼし、その姿をクマに変え、奴隷としてフェアウェザー山脈の上からリツヤベイを見張らせているのだといいます。
 1958年7月9日、フェアウェザー山を登り終えた8人のカナダ人の登山パーティーが、リツヤベイの入り口でキャンプをしていました。午後9時、小型飛行機が砂浜に着陸し、ジュノーへ向けて飛び立ってゆきます。それより1時間前、底引き漁船エドリーがリツヤベイに入り、錨を下ろしました。午後9時過ぎ、さらに二艘の漁船、パジャーとサモアが入ってきます。午後10時16分、フェアウェザー山脈が動き、激しい地震と共に、9千万トンの岩が落下し、氷河は崩れ、高さ40メートルの大津波が時速160キロメートルのスピードでリツヤベイを駆け抜けていきました。サモアは一瞬のうちに海に引きずり込まれ、エドリーは20メートルの木の上まで運ばれ、バジャーだけが大波に翻弄されながらも何とか切り抜けました。
 この1世紀の間に少なくとも4回の大波がリツヤベイを襲い、残りの三つは1936年、1916年、1854年です。
 かってこの地にはクリンギットインディアンが住んでいました。
 今でも1958年の生き残りが生存しており、リツヤベイの伝説を描いたクリンギットインディアンのローブが、フィラデルフィア大学の博物館に残っています。

熊の道(ベアトレイル)をたどって
 アドミラリティ島は、その生息密度が世界一という、クマの島です。人が住む唯一の場所は、島の西側のアングーンというクリンギットインディアンの村で、人々はこの広大な島に道もつくらず、太古からの森にも一切手をつけず、何千年という歳月をクマと共存してきました。
 クマの道は次第に分かれ道が多くなり、やがて踏み跡もはっきりしなくなって、いつのまにか森の中へ消えていきました。そこが、人間とクマの世界の、ひとつの境界のような気がしました。

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ジュノー大氷原の夜
 作者はボブと南東アラスカの森の背後にそびえ広がる、ジュノー大氷原で幾夜かを過ごします。そこでアラスカ在住者の祖先のこと、モンゴロイドの血が混ざっているかどうか、伝承に出てくる民族、黒潮によって運ばれる難破船の乗組員などに思いを馳せます。
 最後のウィスコンシン氷河期、つまり今から1万5千年前の、ベーリンジアがヨーラシアと北アメリカをつないでいた頃の風景が作者の頭の中に広がっていました。この干上がったベーリング海の平原を渡り、モンゴロイドはアジアからアラスカにやってきました。しかしそれから数千年の間、厚い氷壁に阻まれてアラスカから先に進めませんでした。が、1万2千年ほど前、温暖化とともに大西洋側のローレンタイド氷床と太平洋側のコルディエラ氷床が縮小し、行く手を覆っていた氷壁に"無氷回廊"と呼ばれる狭い道が現れます。モンゴロイドはその回廊を通って北アメリカに広がってゆきました。
 けれども、トーテムポールの文化を築き上げたクリンギット族、ハイダ族は一体どこからやって来たのだでしょうか。エスキモー、アサバスカンインディアンと異なり、彼らは"無氷回廊"からはたどり着くことが出来ない海岸線に住み着きました。
 クリンギット族の古老が語ったこんな話が残されています。
「昔々、海の方から人が流されてきて、プリンス・オブ・ウェルズ島の南西に浮かぶドール島に流れ着いた。その人々は、ウィシュシャンデ(何かとても古い生き物という意味らしい)と呼ばれ、今のタクウェイデ・クランの遠い祖先だといわれている」

エスター・シェイの言葉
 作者は、ケチカン郊外にあるクリンギットインディアンの村、サックスマンを訪れます。今年80歳になるその村の古老、エスター・シェイに会うためです。彼女はクリンギット族の古い伝統を体の中に受け継いできました。
 彼女はいいます。「古くからの言い伝えでは、私たちハイイログマのクランは、大洪水の時、山を越えて、川を下りながら海外線にだどり着いたらしい」
 おそらく、南東アラスカの海洋インディアンは二つのルートからたどり着いたモンゴロイドではないでしょうか。内陸部と海からです。
「クリンギット族、ハイダ族だけでなく、アサバスカンインディアン、そしてエスキモーの人々まで、ワタリガラスの神話を持っているのはなぜだろうか。その偶然性を長い間不思議に感じていたのです。でも、今は違う風に思えます。それは決して偶然ではなく、人々はワタリガラスの神話を抱きながら、アジアから新大陸に渡ってきたのではないでしょうか」

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レイヴン、北へ
 5月のある日、ユーコン河が冬の眠りから覚め、半年の間原野に凍りついた大河は無数の氷塊となって動き出しました。
 カナダ西北部を水源とするユーコンは、アラスカ中央部を東から西に流れ、やがて遥かなベーリング海に注ぎ込みます。
 かねてからワタリガラス神話に興味を持っていた作者は、アサバスカンインディアンの古老、ピーター・ジョン(96歳)に話を聞きにゆきます。去年の冬、70年間連れそった奥さんのエルスィがこの世を去りました。
 ピーター・ジョンが暮らすミントウ村は、ユーコン河とタナナ河にはさまれた広大な湖沼地帯にあります。ここはムース、マスクラット、水鳥などの自然の恵に溢れています。
 作者を待ってくれていた古老は、彼の死とともに、あらゆるものが一緒に死んで行くことを話します。
 「ワタリガラスの言い伝えがありますか」作者がきくと
 「……遠い昔、ユーコンの下流から人々がこの土地にやってきた頃、三つの部族が分かれて争っていた。それを一つにまとめたのがレイヴン(ワタリガラス)だ……」
 「……人間も動物も区別はなかった。さまざまな生きものたちに名前を与えたのがレイヴンだ……レイヴンはこの世の創造主だった」
 レイヴン・ジャーニー(ワタリガラスの旅)……以前から気になっていたその言葉をもう一度口の中で繰り返しました。

海の底の住居跡
 ポイントホープ村、ティキラック(ベーリング海に突き出た小さな半島 エスキモー語で人差し指のこと)、ベーリング海へ小さな防波堤のように延びたこの半島は、北極海へ移動して行くセイウチ、アザラシ、シロイルカ、シロクマ、そしてセミクジラなどの海洋動物を待ち伏せするため、人間が神から与えられたような場所でした。
 1939年、考古学者のルイス・ギディングたちが初めて調査にここを訪れたとき、海岸線を掘って、何万年と手つかずのまま残されてきた、600〜700戸に及ぶ壮大な住居跡を発見します。
 何人かの古老にワタリガラスの話を聞こうとしますが、無駄でした。
 ポイントホープを去る少し前、村はずれの海岸線を歩いていました。盛り上がったツンドラの上から見渡すと、同じような起伏が規則正しくどこまでも続いていました。古いイグルーで作られた古い住居跡だったのです。
 ベーリンジアの草原が消えて行ったように、海は今でもゆっくりと上昇しながら、アラスカ北西部の海岸線を削り、太古のティキラックの住居跡は、すでにその99パーセントは海の底に消えているのです。
 人類学者オスターマンが1952年にこの村で収集した昔話の中に、ティキラックの半島はワタリガラスが引いてきたと記されています。
 この半島がベーリング海へと延びるわずか250キロ先には北方アジアが横たわっています。作者はワタリガラスの伝説を捜しに、シベリアへ渡ろうと思います。

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シベリアの日誌   1996年6月30日〜7月27日
 「シベリアを夢見た著者は、1996年6月下旬から7月上旬にかけ、アラスカと海峡を分けるロシア連邦チュコト半島に遊牧民の暮らしを訪ね、続いて7月下旬より、同カムチャツカ半島へ旅立つ。しかし、8月8日午前4時、クリル湖畔で就寝中のテントをヒグマに襲われ急逝する。片時も著者の頭を離れなかったアラスカ、シベリア、そしてワタリガラス。遺されたシベリアの写真と日誌から、大地を駆け抜けた著者の足跡と、未完に終わった「森と氷河と鯨」への思いが浮かび上がってくる。」
 日誌は6月30日から7月27日まで、7月17日までは毎日、10日とんで7月27日の分が記録されています。完全な文章になったものと、メモ的なものと、いろいろのレベルのものがあります。
 7月7日には、村を歩いていた老婆と出会い、家を訪ねてワタリガラスの話を聞きます。物語に占めるワタリガラスの話の割合を質問し、ほとんどがワタリガラスの話だと聞いて、シベリアにやってきた意味があったと満足します。

星野道夫の意図   池澤夏樹
 星野道夫は1995年8月号から雑誌『家庭画報』に「森と氷河と鯨」と題するエッセーの連載をはじめた。写真と文の両方からなるエッセーは以前から彼が得意とする形式だった。当初のアイディアはもっぱら南東アラスカを舞台に、タイトルのとおり森と氷河と鯨のこと、それらとその地に住む人々の関わりのことを書くというものだった。その上に、アラスカやカナダに住むモンゴロイド(つまり人類学的にはわれわれの仲間、インディアンとエスキモー)の神話に多く登場するだけでなく、シベリアのモンゴロイドの神話でも大きな役割を果たすワタリガラスという鳥を全体の象徴のように用いる、というもう一つのアイディアが乗せられた。
 しかし、一年以上に亘って雑誌に文章と写真を連載するという大仕事が当初のプランのままに運ぶことはまずありえない。彼の親友であるシリア・ハンターが言うように、Life is what happen to you while you are making other plans(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)である。「森と氷河と鯨」の連載では、星野は第1回目の取材の途中でボブ・サムという不思議なクリンギット・インデイアンに出会った。そして、この出会いが結局この仕事全体の色調を決めることになった。
 ボブと出会った時を起点に、星野はさまざまな話題を追いながら全体としては少しずつ北上を続け、初め12回で終わるはずだった連載はやがて17回まで延長されることになった。北上の果てに彼はアジアに渡った。もともと彼には遡行的な性格がある。アラスカに渡ってからの長い歳月をかけてインディアンやエスキモーのかつての生活のことを聞いてまわっているうちに、彼らが遠い昔にはアジアに住んでいた民であって、今はベーリング海峡になっている海がまだ陸地だった頃にアメリカ大陸に渡ってきたという話に強く引きつけられた。その道を辿りなおしてみたいという思いが彼を動かした。ただし、ただシベリアの地を踏めばいい、シベリアを見ればいいということではなかっただろう。彼の心にあったのは人類学の旅ではなく神話の旅だった。紙の上に書ける言葉ではなく、心の奥の方で感得される言葉によって旅の意味を捕らえてゆかなければならない。
 もともと写真や文章を道具にして神話を考えるのは無理がある。手法的に矛盾していると言ってもいい。例として、本書の中のボブの妻ドウの話を見よう−「シトカに着いた日の夜、ボブが寝てしまってから、ぽくはドウの話に耳を傾けていた。それは彼女が3歳の頃から始まったというさまざまな霊的体験の話だった。そのひとつひとつの不思議な体験をぼくはどうしても文字にすることが出来ない。なぜならそれはドウが語ることによってのみ力をもつ物語だからである」。ドウの霊的体験と同じで、すべての神話は語られることによって力を持つ。それを文章に認(したた)めて本にまとめるというのは、いわば原理的な矛盾を含んだ仕事である。星野はその矛盾と戦い、矛盾をなんとか説き伏せようと試み、氷原に開いた細い割れ目をたどつてカヤックを進めるように、少しずつ筆を進めた。それは「目に見えるものに価値を置く社会」から「見えないものに価値を置くことができる社会」への旅であった。

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 つまり、アラスカからアジアヘ渡るという意味でも、また物質ばかりに重きを置く今の社会から精神的なものを重視するかつての狩猟採集民の社会へ戻るという意味でも、これは遠大な帰郷の航海であったということができる。その彼の頭上をずっとワタリガラスが飛びつづけていた。トーテムは遠く離れた人と人を同じクラン(家系)に属するという理由で結びつける。同じように、この本の中のワタリガラスは一見雑然とした多くのテーマからなるこの物語を貫く一本の糸である。
 神話の中でワタリガラスはまずもって創造主であり、知恵者であり、カルチャー・ヒーローであり、時には好色で貪欲なトリックスターである。シベリアの民はアラスカの人々と同じようにこの賢い鳥をめぐる神話を多く語りつたえてきた。その性格と役割がほとんど同じであることにぼくは驚く。星野だったら、誰かから口伝えに聞いた話を再録することはあっても本から直接の引用はしないだろうと後ろめたい思いを少しいだきながら、ぼくはここにシベリアのマンシの人々が語った「大地の大きさを計ったワタリガラス」の話を要約して引いてみよう−大地がまだ小さくて水の上を漂っていたころ、おじいさんとおばあさんがその小さな大地に住んでいた。おじいさんは、当時はまだ白かったワタリガラスに大地の大きさを計って戻るよう命じた。鍋の魚が煮える間にワタリガラスは戻ってきた。それがその時の大地の大きさだった。しばらくして同じことを命じられた時、ワタリガラスは大地の端から端まで飛んで3日で戻ってきた。三度目の試みではワタリガラスは一冬すぎて二冬すぎても戻ってこなかった。そして3年目にしてようやく戻った時には真っ黒になっていた。大地はそれほど大きくなっていたのであり、ワタリガラスが黒くなったのは死んだ人間を食ったからだった。おじいさんは怒って、「人間を食ったものなど、とっととうせろ。これからはおまえは自分で獣を殺すことも、魚を捕ることもならぬ。人間が殺した獣の血をあさっていろ」と命じ、それがワタリガラスの暮らしかたになった(『シベリア民話集』斎藤君子編訳 岩波文庫)。
 このワタリガラスの性格や話の雰囲気はアラスカ側の神話のそれに実によく似ている。しかもこの話を伝えたマンシという種族はアラスカに近い東シベリアではなく、むしろモスクワの方に近いオビ河の西側に住んでいる。ベーリング海からは5千キロも離れている。古代世界で5千キロがどれほどの距離だったか、想像してみていただきたい。神話というものにはかくも限りない伝達力があるのだ。
「森と氷河と鯨」は14回まで続いた。予定どおりならば残りは3回。シベリア取材を元に、トナカイと暮らす遊牧民の話(おそらくチュコト半島)と、サケの死骸が降り積もるように堆積する川の話(たぶんカムチャツカ半島)の二つのテーマで2回、そして最終回はふたたびアメリカ大陸に戻ってカナダ北西部のクィーンシヤーロット島にゆく話、となるはずだった。これはあくまで彼の執筆予定を踏まえた推測であり、実際にはまるで違う展開があったかもしれない。なにしろ人生というのは……
 鮭は生まれた川に回帰する。海で育って、海の養分を体内に蓄えて川に戻り、産卵して、そこで死ぬ。養分は川の底に蓄積し、それが森を育てる。南洋では海の養分を魚が食べ、それを捕った海烏の糞が島に蓄積してグアノになり、それを人間は肥料として用いる。それと同じ回路をもっと短く、効率よく、しかも人間のためではなく森そのもの自然そのもののために鮭という魚が運営している。川の中に沈む無数の鮭の死骸はそういう意味をもった映像である。
 それを撮ることの他いくつかの目的と予定と期待をもってカムチャツカに渡った星野道夫は、同時に進めることになっていたテレビ番組の取材の途中、クリル湖畔でヒグマに襲われて死亡した。この事件についてはある程度の報道もなされたし、ぼくも他の場所に書いたので、多くは記さない。関係者一同の無念の思いはとても言葉にならない(ここでぼくは、大変に多くの思いの籠った言葉は文字にならないという、インデイアンの神話を前にした時の星野と同じ無力感を味わうことになった。書いても書いても気持ちは書ききれないのだ)。

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 事件は、人間社会のレベルで見れば、単なる不運以上に杜撰な危機管理の問題であり、後始末にもいろいろと不快なことが多かった。しかし神話のレベルで見るならば、星野道夫はいかにも彼らしい、英雄らしい、最期を迎えたのだ。あんなにクマが好きだった男が結局はクマの世界に渡ってしまった。アラスカと日本をはじめ世界のあちらこちらに友人の多い、みんなに愛される男だったから、彼の早すぎる死を阻止するためなら自分の人生の何割かを差し出してもいいという者は少なくなかっただろう。われわれはみな彼の死を悼む。
 しかし、死がどうしても避けられないものだとしたら、彼は東京で車にはねられるよりも、病院の中で機械と薬に囲まれるよりも、カムチャツカで乱暴で愚かなクマに出会う方を選んだのではないか。そういうことについてみんながいろいろ考えて、悲しみの中からそれぞれに自分を納得させる理屈を無理に編み出した。それがぼくの場合は神話のレベルで考えるということだった。アイヌの神話にはヒグマと戦って死んだ若者や美しい娘が多く登場する。ヒグマの魂も登場する。そういう世界、カレンダーでは計れない時間、それこそ「見えないものに価値を置くことができる社会」の側へ、彼は行ってしまった。残されたぼくたちにできるのは彼が撮った写真を見て、彼の書いた文章を読んで、彼のことをいつまでも覚えていることだ。
「森と氷河と鯨」には実はもう一つ隠れたテーマがあって、それは時間ということだった。彼が『家庭画報』の担当編集者に送ったメモの中に「最終的なテーマは、森と鯨と氷河をつなぐものです。つまり森も氷河も鯨も同じものなのではないかということです。つまり時間というものがテーマのような気がします」という言葉がある。そういう真理を星野道夫はアラスカという土地で、風景と動物に教えられ、そこに住む人々の言葉に助けられ、神話的な直観力に導かれて、会得した。写真と言葉でそれを表現しようと努力しっづけた。その最後の成果がこの一冊である。

星野道夫 略年譜
 編集の都合上「星野道夫 森と氷河と鯨ほか」に載せました。

4. この本を読んで
 この本は、星野道夫さんがアラスカで追いかけたクリンギットインディアンのワタリガラスの伝説をまとめたものです。その伝説は森と氷河と鯨に深く関係しています。
 この本の中で一番興味を引いたのは、魂の帰還(リペイトリエイション)という章です。アンカレジの会議で、会議の中心となるシャイアン族の古老がいます。彼が「あなたたちは、なぜ『たましい』のことを話さない。それがとても不思議だ」と発言する場面や、同行したクリンギットインディアンのボブ・サムが、「墓を再生したこと、そのときの心の軌跡、自分の心が癒され、白人への憎しみも消えていったこと」などを話する場面です。
 彼らと親しくなり、この本に出てくるような、精神的なテーマに触れるようになるには、星野さんがいかに彼らの心を捉えていたかということだと思います。
 さらに日記の前の二つの章は作者が何故、シベリアに渡ろうとしたか、その思いが理解できます。
 また、池澤夏樹さんの「星野道夫の意図」は、星野さんが考えていたこと、この本の意味を実に良く表しています。

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[Last updated 10/31/2007]