星野道夫と見た風景

  目 次

1. まえおき
2. 略歴&目次
3. 概 要
4. この本を読んで


星野道夫(ほしのみちお)・
星野直子(ほしのなおこ)共著
新潮社(とんぼの本)

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1.まえおき
 今回(2007.6)、星野道夫さんの作品を愛読書として取り上げるのに際し、図書館で写真集や随筆を調べました。この本は奥さんの直子さんが星野道夫さんの写真や著作を引用しながら、道夫さんと過ごしたアラスカでの生活をまとめたものです。星野道夫さんはかなりの著作を残しましたが、その全容を知るのに適していると思い、最初に取り上げました。

2. 略歴&目次
1952−千葉県市川市に生まれる。
1968−慶応義塾高等学校入学。
1969−移民船アルゼンチナ丸でロサンジェルスへ。約2ヶ月間アメリカを一人旅。
1971−慶應義塾大学経済学部入学、探検部に入る。
1973−アフリカ・シシュマレフ村でエスキモー家族・ウェイオワナ一家と3ヶ月間過ごす。
1976−慶應義塾大学を卒業後、動物写真の第一人者・田中光常氏の助手を約2年間務める。
1978−アラスカ大学受験のため渡米、シアトルの英語学校に通う。
     アラスカ大学野生動物管理学部入学(4年間留学する)。
     学業と同時にアラスカのフィールド撮影を開始。
1981−月刊誌「アニマ」(平凡社)3月号に「極地のカリブー 1000キロの旅」を発表。
     以後、雑誌を中心に作品を発表、執筆活動にも取り組む。
1985−最初の写真集「GRIZZLYグリズリー」(平凡社)刊行。
1986−第3回アニマ賞受賞(「GRIZZLYグリズリー」)
1990−第15回木村伊兵衛写真賞受賞(週間朝日連載「Alaska 風のような物語」)
1991−冬、日本……………12月萩谷直子と会う
   出会い  4
   夢と花  11
1992−夏、アラスカ
   オーロラの国へ  13

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1993−春〜夏……………5月結婚
   新しい生活  20
   野の花を撮りに  28
   秋
   カリブーの心臓  34
   クマのいびき  45
   アーミッシュの村へ  52
   冬
   初めての冬  54
   うれしい知らせ  58
1994−春〜秋……………11月長男翔馬誕生
   天使を待つ間  64
   ウェルカム ベイビー!  69
1995−冬〜春
   運命の出会い  74
   夏〜秋
   ボブ・サムとの旅  81
   お父さんになって  90
   家族旅行  96
1996−冬〜春
   「カーツ」の謎  98
   夏……………7月22日からロシア・カムチャツカ半島クリル湖TBSテレビ番組取材に同行。
            8月8日ヒグマの事故により急逝。
   見果てぬ夢 110

   memories of ALASKA
   @ムースのこと 49  A映画のこと、音楽のこと 63
   Bイチゴ事件  95  C写真を撮ること 109

   星野道夫著作リスト 124   アラスカMAP 126

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3. 概 要 
1991−冬、日本……………12月萩谷直子と会う
 出会い  4
 91年暮れ22才の時に星野道夫と出会います(お見合い)。とても純粋な少年のような人で、道夫さんは17才年上です。フェアバンクス近郊に土地を買い家も建てていました。「アラスカ探検記」の道夫さんの写真は、毛皮のパーカーを着ており、エスキモーのようでした。
 夢と花  11
 それからお付き合いが始まり、年が明けて1月2回目に会ったとき、「あなたの夢は何?」と聞かれました。そのこともあり、4月に会社をやめて、やりたかったフラワーアレンジメントの学校に通い始めました。

1992−夏、アラスカ
 オーロラの国へ  13
 道夫さんとの会話や著作を通して、アラスカの実際がわかってきました。5〜6回目に会ったとき、プロポーズを受けました。その年の8月に道夫さんの姉家族とともに、アラスカに招かれました。紹介された友人から、道夫さんが彼らに深く受け入れられていることを知りました。アラスカの家で、初めてオーロラを見たりして、「一緒に暮らしていこうという気持ちさえあれば、何も心配することはない」と確信し、帰国後プロポーズを受けますという手紙を出しました。

1993−春〜夏……………5月結婚
 新しい生活  20
 93年5月、日本で結婚式を挙げました。二人で日本を発ちましたが、カナダ領クイーンシャーロット島(アラスカ湾にある。カナダ領)に向かいました。かってハイダ族が住んでいた頃に作られたトーテムポールが、朽ちるままに残っています。
 野の花を撮りに  28
 直子さんの協力の仕方や、アリューシャンの花の撮影への同行などについて触れ、また結婚後花を撮ることが増えました。
   秋
 カリブーの心臓  34
 春〜夏は、ほとんど撮影についていきました。毎日がキャンプで寝袋に寝る生活です。
 食べ物ではカリブーの心臓の煮込みを食べました。カリブーの移動を追うため、北極圏のツンドラ地帯に向かいました。白人のガイド、ニック・ジャンと三人です。キャンプでカリブーを待っていると、ハンターのクリアランス・ウッドが来てニックとカリブーを捕りに行きました。1時間ほどして一匹のカリブーを捕ってきたクリアランスは、一本のナイフで皮を剥ぎ、肉を分けて行きます。ニックがカリブーの心臓をスパイスに付け込み、煮込みます。食べてみるとレバーのようでおいしく、少し経つと身体が芯からポカポカあたたかくなってきました。

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 クマのいびき  45
 カトマイ国立公園がシーズンオフで閉鎖する10月にクマの撮影に行きました。秋以後の閉鎖期間に行くには、何が起こっても自分たちの責任で入らなければなりません。公園内のナクネク湖に水上セスナ機で着水すると、10匹位のクマがごろごろ昼寝をしていました。ムースとそれを追いかけるグリズリーに出会いました。ある夜、テントの外から足音とは別の、聞いたこともないような音が聞こえてきました。低い音がしたり止んだりを繰り返しています。「クマのいびき」だろうということになりました。
 アーミッシュの村へ  52
 11月19日からピッツバーグで写真展があり、直子さんも道夫さんに遅れて出発し、現地で合流しました。
 ピッツバーグ行きのついでにニューウェリントンのアーミッシュの村をレンタカーで訪ねました。アーミッシュはキリスト教メノナイト派の一派で、アメリカのペンシルベニア州を中心に居住し、現在でも自動車や電気を用いず、独特な生活様式を保持しています。
   冬
 初めての冬  54
 ストーブ用の薪の手配をし、冬は地元の友人たちとの行き来が増えます。直子さんにはみんなが心配して声を掛けてくれます。星空とオーロラ(8月下旬〜3月の間見えます)がきれいです。
 うれしい知らせ  58
 93年の暮れから2月にかけて、日本に一時帰国しました。妊娠したらしく、フェアバンクスに戻ってから道夫さんに告げ、病院で確認しました。

1994−春〜秋……………11月長男翔馬誕生
 天使を待つ間  64
 6月にエクアドルの写真集作成プロジェクトからの依頼で、道夫さんはガラバゴス諸島に向かいます。アラスカを離れると却ってアラスカのことが気になるようです。
 ウェルカム ベイビー!  69
 妊娠中に一度だけ撮影に同行しました。南東アラスカに向かい、8月初めシトカまで行きました。そこで道夫さんは友人の女性、パティーに会います。
 道夫さんはクジラの撮影のために南東アラスカに残り、夫人は出産のため10月、日本に里帰りします。アラスカからの電話で男子が生まれたときの名前として道夫さんは「飛雄馬」を提案しますが、星野飛雄馬だと星飛雄馬とは一字しか違わないので、翔馬(しょうま)を逆提案し、それに決めます。予定日より1日早く男子を出産しました。北極圏にいた道夫さんには無線連絡できる電話で知らせ、予定を切り上げて病院に駆けつけてくれました。

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1995−冬〜春
 運命の出会い  74
 2月道夫さんは日本から直接、アフリカ・ゴンベ動物保護区に向かいます。著名なチンバンジー研究家ジェーン・グドールを訪ねました。同行するオーストラリアのミヒャエル・ノイゲンバウアーの紹介です。対面すると二人は10年来の知己のように打ち解けました。アフリカの熱帯雨林では二匹のチンバンジーに出会います。一匹はジェーンと仲良しのフィフィ、もう一匹は森の問題児フロドで、フロドからは荒っぽい歓迎を受けます。
 その後、一旦日本に帰り、先にアラスカに帰った道夫さんは、4月にシトカで作家リチャード・ネルソンに紹介され、クリンギットインディアンのボブ・サムと運命的な出会いを果たします。初対面のボブが道夫さんに言った言葉がワタリガラスのことでした。それがワタリガラスというテーマで旅を始めようとした第1日目でした。「昨日、墓地でワタリガラスの巣を見つけたよ……」。
   夏〜秋
 ボブ・サムとの旅  81
 4月の初対面から、徐々に互いの心がわかり合えるようになったボブと道夫さんは6月にクイーンシャーロット島に向かいました。二人が古いトーテムポールが残っている浜辺で一日を過ごした夜、ボブは胸のポケットからシカの皮に包まれた小さな人形を取り出すと、大事そうに道夫さんの前に差し出します。それは妊娠した女性の裸体をかたどった5センチほどの人形でした。不思議な出来事が起こったのは、その翌日でした。二人はクイーンシャーロット島の海岸線をボートで旅していました。その日、タヌーと呼ばれる場所を訪れゆっくりと一日を過ごしていました。そこは海岸線の森の中に20以上の苔むした住居跡が並ぶ、何か強い力を持った場所でした。森の中を一人で歩きながら、しばらく写真を撮った後、ふと海岸にあるウオッチャー(現在の村から遠く離れた場所でポツンと暮らしながら、祖先の聖なる土地を守っている人々)の小屋を訪れました。そこにボブがいて、40才前後のハイダ族の女性が彼の前で泣いていました。その場にいてはいけないような気がして森の中に戻り、夜にボブに何気なく聞きました。その女性は結婚生活に破れ、ずっとそのことに苦しんでいましたが、ボブの人形を胸に当てながら、思い詰めていたすべてをボブに語りました。
 お父さんになって  90
 話は前後しますが、道夫さんが日本に迎えに来て、5月に翔馬を連れ3人でシアトル、アンカレジ経由でフェアバンクスに戻りました。道夫さんはすっかりお父さんになって、撮影旅行から翔馬がいる我が家に帰ることを楽しみにしていました。
 家族旅行  96
 7月のタルキートナでの取材には、一家で出掛け観光もしました。
 10月のヨーロッパ旅行は一番長い家族旅行でした。11月3日からのスウェーデン「ネイチャー95フェスティバル」から講演依頼と招待を受け、その前後にヨーロッパを廻りました。フランス、ドイツ、スウェーデン、オーストリアです。
 12月にはタルキートナに行った後、アンカレジの「アリエスカプリンスホテル」で道夫さんの写真を飾るため、打ち合わせがてらホテルに数泊しました。

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1996−冬〜春
 「カーツ」の謎  98
  3月に三人でアラスカに戻って直ぐに、道夫さんはボブ・サムと同行し、ジュノー大氷原に向かいました。
  4月はケチカンに、クリンギットインディアンの古老エスター・シェイ(女性)を訪ね、息子のウィリー・ジャクソンとも知り合いました。道夫さんが彼女から儀式の中で「カーツ」という名前を貰ったことを後で知ります。
 夏
 見果てぬ夢 110
  この頃になってまた、道夫さんには心を捉えて離さない次なるテーマが浮かんでいました。ロシア領チュコト半島に暮らす遊牧民のことです。
  ワタリガラスの神話を追う過程で、ベーリング海を望む海沿いの地−「ティキラック」の突端、ポイントホープ村まで道夫さんの取材は進んでいました。そしてベーリング海を渡り、シベリアへの第一歩として思いをはせていたのがチュトコ半島です。とても興味深い土地のようで「長期的に滞在して、彼らと暮らしてみたいから、できれば三人で行きたいんだ」というのです。
 撮影スケジュールの合間を縫って、約2週間の予定で単独、チェコトに発ったのは6月30日のことです。
 この後、カムチャッカ半島クリル湖岸での撮影に出掛け、遭難します。

memories of ALASKA
 C写真を撮ること 109 @〜Bは省略
 道夫さんの場合、撮影する前に、興味のある対象はまず、できるだけ調べ、じっくり自分の目で眺めることから始めていたように感じました。だから、どこでもいきなりカメラを構える、ということはありません。
 実際に見て確かめ、いったん自分の中を通して考え、何かを感じていく。それから撮影の対象として、どう近づいていくかを決めていたように思います。

 ‥‥‥自然写真を撮るためにもっとも必要なものは何かと聞かれたら、それは対象に対する深い興味だと思う。初めは漠然とした気持ちでいい。花、昆虫、ある種の生き物への興味、山への憧れ、あるいはある土地への想い‥‥‥。それが何であれ、まず、その対象に対するマインドの部分での関わりである。そして次は、その気持ちをさらに深めていくことが必要になってくる。言いかえれば、どんどん好きになっていくプロセスだと。それが、勉強をしていくことだと思う。
 私の場合も、初めは、本当に漠然としたアラスカヘの憧れだった。しかし、この土地を旅するにつれ、さまざまな人々と出会うにつれ、そしてアラスカに関するさまざまな本を読みながら、私はどんどんアラスカに魅かれていったのである。
 それは写真の技術とは直接関係がないかもしれない。しかし、その遠まわりなプロセスは、ひとつの対象に対しグローバルな視点を与えていくことになる。つまり、何を視るか、切り取っていくか、という力である。
(初出:不詳 「自然写真家という人生」)

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 星野道夫著作リスト 124(全体の構成の都合上、「星野道夫 森と氷河と鯨ほか」に掲載)
 アラスカMAP 126(   同   上   )

4. この本を読んで
 この本は、直子さんが星野道夫さんと出会い、結婚し、一子翔馬君をもうけ、さらに道夫さんを失うまでの経緯を記したものです。要所々々に道夫さんの撮った写真と書いた文章が挿入されているため、彼の作品を概観し、その考え方や、アラスカの自然(動物と風景)や人について知ることができます。この中に出てくることを、更に深く知りたいときは、引用されている元の本に戻ることが大切だと思います。時間はかかると思いますが、少しずつ彼の本を読み、ご紹介して行きたいと思っています。
 この本の中で一番興味を引いたのは、クイーンシャーロット島で野営したとき、同行したクリンギットインディアンのボブ・サムが、焚き火を前にして、突然ワタリガラスの神話を語る場面(P.82)だと思います。次に取り上げる予定の「森と氷河と鯨」には、さらに詳しく紹介されています。

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[Last updated 6/30/2007]