みんなの広場
(2012年7月に移動)

トップページに戻る

総目次に戻る

改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)12に戻る


 アクセスされた方々との交流の場です。今月も次の3項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「11 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
 6月は、梅雨の時期だというのに、台風に見舞われました。21日に夏至を迎えましたが、陽気という点では、1年で一番良い季節だと思います。半袖と長袖の日が交互にやってきました。アジサイが色とりどりの花を付け、クレマチスが咲き、梅の実も収穫しました。バラは今年2度目の蕾つけましたが、黒斑病にかかりました。
1.「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  今月は山折 哲雄さんの『「犠牲」から目を背けるな』という記事を載せました。
2. 6月のトピックス
 6月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 岩森先生のリサイタル
  3日に、岩森栄助先生のバリトンリサイタルが津田ホールで行われ、コーラスの仲間と聴きに行きました。
 2.2 東北旅行
  8〜9日、1泊2日で、家内と東北旅行に行きました。右の写真はその折の1枚で、松島の五大堂です。
 2.3 さば釣り
  23日、佐島にヨット仲間で鯖(さば)を釣りに行きました。
3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 「今月の追加内容」
  「5 本の紹介」「39 幸福大国ブータン」の文章の一部修正は誤字などの修正です。
  「5 本の紹介」に追加した『131 「岩宿」の発見』は、5月に見学した岩宿遺跡の発見者、相沢忠洋さんの自伝と岩宿遺跡の発見の経過をまとめたものです。
  「11 興味あるリンク」には、「1 役にたつホームページ」に「1.16 認知機能検査」を、「11 趣味2−旅行」に「11.89 松島」を追加しました。前の項目は、最近運転免許証の更新があり、初めて認知機能検査を受けたことと、このページの2.2項との関連です。
 1.2 新聞の記事から 『「犠牲」から目を背けるな』 原発「事故調」の審議 山折 哲雄
   福島原発をめぐる「国会東故調査委員会」の質疑が一段落した。事故対応にかかわる論点整理がおこなわれ、あとは最終報告書を待つばかりである。その論点整理のなかで、当時の菅直人首相らによる事故現場への過剰な介入が混乱を拡大した、との見解が示された。
 もう一つ中心的な論点となったのが、危機回避のため現場ではたらいている作葉員にどのような指示を発したのかということだった。「全面撤退」を要請する声があがった、いや、真意は「一部退避」のはずだった、と東電側と政府側で見解の違いが露わになった。いったいどちらに責任かあるのか、それがはっきりしないまま、結局、責任のなすり合いとしか思えない後味の悪さをのこして幕が引かれてしまった。
                                       ◇  ◇
 一連の報道をテレビで見たり、新聞記事を読んだりしていて腑(ふ)に落ちなかったのは、現場で危険な作業にあたっていた人々の生命の状態についてほとんど議論が及んでいなかったことである。あえていえば、「撤退」論や「退避」論のなかで、犠牲という問題が正面からとりあげられていないらしいことだった。現場にふみとどまってもらえば、犠牲が出るかもしれない、だから全員を撤退させようと考えたのか、それともたとえ犠牲が出るとしても、一部の人間だけにはどうしても残つてほしいと考えたのか。そのような問題である。その場合、現場にふみとどまる人々が犠牲になるかもしれないことに目をつぶるのか、それともそのような危機的な状況を覚悟するのか、ということだった。もう一つ重ねていえば、それは東電の責任において決断することなのか、それとも政府と首相が覚悟し決断を下すことなのか、という課題でもあった。
 きつい言い方になるかもしれないけれども、人命の犠牲にかかわる危機的な論点がやはり隠されていたというほかはない。質疑とか審議といいながら、犠牲という言葉を使うことが慎重に回避されていたのではないだろうか。それにかわってわれわれが連日のように、異口同音に口にしていたのが人命の安全という言葉だったことに、あらためて気がつく。あの事故のとき以来もはや「安全」神話が崩れ去っているのに、意識下においてはいぜんとして安全、安全と、ワラをもつかむような思いでその言葉にしがみついているわが身をふり返らないわけにはいかなかったのである。
 そういえばマスメディアの多くも、現場の作葉員たちを日々脅かしているはずの犠牲という問題をとりあげ、ふみこんだ記事にするということがなかったように思う。現場からの全員撤退ということが、犠牲回避のための祈るような叫びであったことに着目するような記事もあらわれることはなかった。そんなことをすれば、放射性物質による汚染と被害が全国に及ぶ、そんなリスクと犠牲を国民が引き受けるわけがないではないか。そんな背景までが浮かびあがってくる。
                                       ◇  ◇
 国会の「事故調」の審議が一段落したとき私が思いおこしたのが、あの原発の直後にアメリカから寄せられた強烈なメッセージだった。
 フクシマ・フィフティーズ・ヒーロー――「フィフティーズ」というのは、現場で危機回避のため命がけでたたかっている作業員たち「50人」を指していた。この50人は、まさに命を賭して献身しているからこそ「英雄」であるという励ましのメッセージだったのだ。その犠牲的献身によってはじめて危機をのりこえ、それによって大多数の人間の安全が確保されるのだ、という思想である。だからこそこの危機を何としてでも食いとめてほしい、そういう強烈な願望と期待のあらわれであったといっていいだろう。ところがわが国のメディアのほとんどは、その翌日から、この犠牲という観念と表裏一体の「ヒーロー」という言葉をいっせいに使わなくなる。封印してしまったのである。かれらを「ヒーロー」にしてはいけない、という口実のもとに……。
 危機における生き残りの道をどう考えるのか、ということである。「事故調」の審議のやり方といい、メディアの報道のあり方といい、やや旧式な言い方にはなるけれども、やはり義に惇(もと)る態度、というほかはないのではないだろうか。たしか一昨年あたりから、ハーバード大学のサンデル教授による正義をめぐる「白熱教室」が社会的な話題になり、それがあの3・11の前後にも大きな盛りあがりをみせていた。あれなどもこの国では、結局はたんなる言語ゲームでしかなかったことがわかるのである。
(出典 日本経済新聞 2012.6.24 「危機と日本人 17」)

目次に戻る

2. 6月のトピックス
 6月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 岩森先生のリサイタル
  岩森栄助先生のバリトンリサイタル・シューベルトの「美しき水車小屋の娘」が、小原孝さんのピアノ伴奏で行われました。今年84歳になられますが、ますますお元気で約1時間半を歌いきりました。シューベルトの歌曲は「冬の旅」「白鳥の歌」の2曲を歌っておられるので、今回、最後の1曲を演奏したことになります。弱音の部分を美しく歌われ、勉強になりました。
 2.2 東北旅行
  第1日目は松島で、島巡り観光船に乗って、仁王(におう)島など松島湾内の島々の美しさを見て廻りました。上陸してから海岸近くの五大堂と瑞巌寺(ずいがんじ 現在改装中)を拝観しました。泊った大観荘は丘の上にあり、松島湾が一望できました。
  第2日目は朝一番で石巻に行き、タクシーでまず日和山(ひよりやま)に登って昨年の津波による被害を一望し、続いて海際の被災地(石巻市立病院など)を間近に見ることができました。仙山線の松島海岸と石巻近くの矢本の間は、現在もバスによる代替輸送を行っています。この間は約18キロメートルです。午後は仙台に戻って、街の中を歩こうと思いましたが、雨が降っていたので、バスで青葉城祉に行き少し歩いたあと、タクシーで青葉通りに戻り、ぶらんどーむ一番町と中央通りのアーケード街を歩いて仙台駅に戻りました。
 2.3 さば釣り
  16日に3人が試し釣りに行ったところ、大サバがクーラーに入りきれない程釣れたというので、今回の釣りになりました。ところが全く釣れず、全員坊主という有様でした。2回の間に台風が来たので居場所を変えてしまったのかも知れません。

3 来月の予定
 3.1  ウオーキング・旅行
  今月載せなかった「氷川神社ウオーキング」を載せたいと思います。
 3.2 リンク集
  「興味あるリンク」を、少しずつ追加したいと思っています。

<改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)12に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 7/31/2012]