本の紹介 戦う石橋湛山

昭和史に異彩を放つ屈服なき言論



半藤一利 著


東洋経済新報社発行
定価1500円(本体1456円)

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  目 次

1. 帯の言葉より
2. 小国主義
3. 本の目次
4. 著者紹介

1. 帯の言葉より
 日本が戦争へと傾斜していった昭和初期にあって、ひとり敢然と軍部を批判しつづけた石橋湛山(後の第55代内閣総理大臣)。その壮烈なる言論戦を、変節し戦争を煽った大新聞との対比で描き出す。
 暴走する軍部に自ら進んで身を寄せ、国際的孤立へと世論を導いたマスコミ。長引く不況の閉塞惑から、 「乱」を望んだ一般大衆‥‥‥‥。満州事変に端を発して、破局への道を踏みだした日本の一大転回期の真相が、"歴史の証人"湛山を通し、名著「日本のいちばん長い日」の著者が明らかにする。

2. 小国主義
 ジャーナリストとしての湛山の考え方がいちばんよくでている論説は何か。わたくしは大正十年のワシントン海軍軍縮会議に際し、『東洋経済新報』 に発表した「一切を棄つるの覚悟」 (七月二十三日号) と「大日本主義の幻想」(七月三十日号、八月六日号、十三日号)という二つの社説をあげたいと思う。これらはまた、驚くべきことに、まるで今日の世界情勢を七十五年前に先どりして予見したもの、ということさえでき、それほどすぐれたものであった。
 これらの論説で湛山は、過去の欧米列強の帝国主義による植民地経営が、一部の人びとに利することはあっても、国民全般にとっては採算がとれるようなものではないことを、まず具体的に論証した。したがって二十世紀のこれからの世界は、植民地の全廃に進むであろうし、それぞれの植民地が独立して新しい国家をつくることは目にみえている。そのうえに世界史の大きな流れは、やがては軍備を撤廃して世界平和を実現する方向に着々と進んでいる、と湛山は言いきったのである。
 このような新時代を迎えたときに日本のとるべき道は? 湛山はいうのである。

 例えば満洲を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか。また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常な苦境に陥るであろう。なんとなれば彼らは日本にのみ、かくのごとき自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保ちえずに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、日本が台湾・朝鮮に自由を許したごとく、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびこの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう。ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、これこそがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。
 以上の吾輩の説に対して、あるいは空想呼ばわりをする人があるかも知れぬ。小欲に囚わるることの深き者には、必ずさようの疑念が起こるに相違ない。朝鮮・台湾・満洲を棄てる、支那から手を引く、樺太も、シベリアもいらない、そんなことで、どうして日本は生きていけるかと。キリストいわく、「何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うなかれ。汝らまず神の国とその義とを求めよ、しからばこれらのものは皆、汝らに加えられるべし」 と。

 このように「一切を棄つるの覚悟」で揚言した湛山は、つぎの長文の論文「大日本主義の幻想」でより詳細に、日本が満洲はもちろん「朝鮮・台湾・樺太も棄てる覚悟」をせよ、それこそが日本を活かす唯一無二の道であると論じた。
 まず経済・貿易上の観点から、数字をもって朝鮮・台湾・関東州が日本の経済的自立のための重要な供給地とはなっていない事実をあげる。「この三地を合わせて、昨年、我が国はわずかに九億余円の商売をしたに過ぎない。同年、米国に対しては輸出入合計十四億三千八百万円、インドに対しては五億八千七百万円、また英国に対してさえ三億三千万円の商売をした」。すなわち経済・貿易を重視するならば、三植民地より後者三国のほうが欠くべからぎる国であり、よっぼど重要な存在ということになる。
 しかも、中国およびシベリアにたいする干渉政策が、経済上からみてどんなに不利益をもたらしているかを知るべきである。つまり中国およびロシア国民のうちに日本にたいする反感をいっそう高め、経済的発展の障害となっている。この反感は、日本が干渉政策をやめないかぎり、なくならない。それゆえに、結局のところ、

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  朝鮮・台湾・樺太を領有し、関東州を租借し、支那・シベリアに干渉することが、我が経済的自立に欠くべからぎる要件だなどいう説が、全くとるに足らざるは、以上に述べたごとくである。我が国に対する、これらの土地の経済的関係は、量において、質において、むしろ米国や、英国に対する経済関係以下である。これらの土地を抑えて置くために、えらい利益を得ておるごとく考うるは、事実を明白に見ぬために起こった幻想に過ぎない。

ということになる。それではつぎに、国防上これらの植民地が大いに役立っているという説がある、この点はどうか。国防論さらには戦争論となって、湛山の筆鋒はいちだんと鋭くなっていく。
 軍備を整えることの必要は、「他国を侵略するか」または「他国に侵略せらるる虞れがあるか」この二つの場合以外にはない。侵略の意図もなく、侵略される恐れもないならば、警察以上の兵力は「海陸ともに、絶対に用はない」と湛山は、どんどん軍国主義化への道を選択しっつある日本国民に冷水を浴びせる。
 そして、日本の政治家も軍人も新聞人も、異口同音に、「わが軍備は他国を侵略する目的ではない」という。では他国から侵略される恐れはあるのか。仮想敵国は以前はロシアだといい、いまはアメリカだという。では問うが、いったいアメリカが侵略してきて日本のどこを奪ろうというのか。日本の本土のごときは、ただで遣るといってもだれも貰い手はないであろう。むしろ侵略の恐れのあるとすれば、わが海外領土にたいしてであろう。それよりも何よりも、戦争勃発の危険のもっとも多いのは、中国またはシベリアなのである。

 我が国が支那またはシベリアを自由にしようとする、米国がこれを妨げようとする。あるいは米国が支那またはシベリアに勢力を張ろうとする、我が国がこれをそうさせまいとする。ここに戦争が起これば、起こる。しかしてその結果、我が海外領土や本土も、敵軍に襲わるる危険が起こる。さればもし我が国にして支那またはシベリアを我が縄張りとしようとする野心を棄つるならば、満洲・台湾・朝鮮・樺太等も入用でないという態度に出ずるならば、戦争は絶対に起こらない、したがって我が国が他国から侵さるるということも決してない。論者は、これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲として置くことが、国防上必要だというが、実はこれらの土地をかくして置き、もしくはかくせんとすればこそ、国防の必要が起こるのである。それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起こった結果ではない。
 しかるに世人は、この原因と結果とを取り違えておる。謂えらく、台湾・支那・朝鮮・シベリア・樺太は、我が国防の垣であると。安(いずくん)ぞ知らん、その垣こそ最も危険な燃え草であるのである。しかして我が国民はこの垣を守るがために、せっせといわゆる消極的国防を整えつつあるのである。吾輩の説くごとく、その垣を棄つるならば、国防も用はない。あるいはいわく、我が国これを棄つれば、他国が代わってこれを取ろうと。しかりあるいはさようのことが起こらぬとも限らぬ。しかし経済的に、既に我が国のしかく執着する必要のない土地ならば、いかなる国がこれを取ろうとも、宜いではないか。しかし事実においては、いかなる国といえども、支那人から支那を、露国人からシベリアを、奪うことは、断じてできない。もし朝鮮・台湾を日本が棄つるとすれば、日本に代わって、これらの国を、朝鮮人から、もしくは台湾人から奪い得る国は、決してない。日本に武力があったればこそ、支那は列強の分割を免れ、極東は平和を維持したのであると人はいう。過去においては、あるいはさようの関係もあったか知れぬ。しかし今はかえってこれに反する。日本に武力あり、極東を我が物顔に振る舞い、支那に対して野心を包蔵するらしく見ゆるので、列強も負けてはいられずと、しきりに支那ないし極東をうかがうのである。

 長すぎる引用となったが、ここは解説なんかより、やっぱり湛山自身の原文を味読するほうがいい。
昭和十年代の対米英戦争への道は、そして結果としての旧植民地各国の独立による戦後世界の成立は、まさしく湛山が予言するとおりになったのである。しかし、当時の多くの日本人は、この湛山の訴えを空想として無視した。ばかりではなく、よりますます大日本帝国主義者となっていった。そして大戦争の揚句にもたらされたものは、惨憺たる経済的破壊をともなった国家敗亡であり、連合軍による他動的な植民地放棄であったのである。戦後日本は、なぜか堪山のいうとおりにして復興し、繁栄をとげたような気がする。
(本誌P.32〜38)

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3.本の目次
序 章 その男性的気概

    あくなき闘争……………………………… 9
    言行一致の生涯……………………………16
    かけがいのない証人……………………… 23

第一章 「大日本主義」を捨てよ
    植民地を放棄せよ…………………………27
    平和主義こそ唯一の道……………………38

第二章 統帥権干犯の残したもの
    対米七割海軍の夢…………………………49
    財政の救い主………………………………56
    良識を示した言論界……………………… 60
    急進派の反撃……………………………  70

第三章 日本は満洲を必要とせぬ
    関東軍の陰謀から………………………… 79
    世論の急転回………………………………84
    陸軍中央の反撃……………………………89
    内地は心配に及ばず……………………  101
    大新聞の変節……………………………  106
    戦火をあおったマスコミ……………… 117
    孤独な事変批判………………………… 126
    乗り出してきた国際連盟……………… 138

第四章 理想国家とは何なのか
    戦火を望んだ民衆……………………… 151
    満蒙は日本人のものならず…………… 162
    満州国承認への道……………………… 174

第五章 天下を順わしむる道
    リットン調査団の来日………………… 193
    五・一五事件の本質………………………200
    湛山の危機……………………………… 212
    強硬論をリードした大新聞…………… 222
    寂しい幕切れ…………………………… 240

終 章 醜態を示すなかれ
  あとがき……………………………………… 269

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4. 著者紹介
 作家。歴史探偵を自称。
 1930年生まれ。1953年東京大学文学部卒業。同年(株)文芸春秋入社。「週刊文春」「文芸春秋」各編集長、出版局長、専務取締役などを歴任の後、1994年に退社。
 著書に
『聖断−天皇と鈴木貫太郎』(文芸春秋読者賞受賞)
『漱石先生ぞな、もし』(新田次郎文学賞受賞)
『日本のいちばん長い日』(以上文芸春秋)
『日本海軍の栄光と挫折』(PHP研究所)
『荷風さんと「昭和」を歩く』(プレジデント社)
など多数。

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[Last updated 4/30/2001]