本の紹介  ハリー・ポッターと賢者の石

表紙(ハリー・ポッターと賢者の石)

J・K・ローリング著
松岡佑子訳

(株)静山社

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目 次

1. ハリーへのラブレター
2. (本の)目次

3. 訳者紹介
4. 魔法が名著呼ぶ

1. ハリーへのラブレター
 イメージ豊かなファンタジーである。登場人物の顔が目に浮かび、声が聞こえ、手の動き、目の動きまで見えてくる。音、におい、そして色が伝わってくる。
 ハリー・ポッターに出会ったとき− それは不思議な出会いだったが−私は血が騒いだ。これだ!天が私に与えた本だ。大げさでなくそう思った。ハリー・ポッターの世界を英語で読んだこの面白さを、そっくりそのまま日本の読者に伝えたい。それが私の使命だ。そう思いこませる何かがこの本にはあった。
 まるで魔法にかかったように、私は一晩でこの本を読み終えた。面白くて途中でやめられなかった。衝撃的なこの最初の出会いから出版までの一年間、この本は私ばかりでなく多くの人に魔法をかけた。「まか不思議な出来事」がこんなに身近でおこるとは、魔法使いならぬ「マグル(人間)」の私には信じられないぐらいだった。
 1998年10月、私は古い友人を訪ねて、ロンドン郊外のリッチモンドに向かっていた。ジュネーブで同時通訳の仕事をした帰路だった。その前年のクリスマスに敬愛する夫を失い、道半ばに倒れた人の魂を慰めたいと、夫の出版社を続ける決心をしたのが98年の4月のことだった。それから半年、同時通訳の仕事を続けながら出版の勉強をし、12月には最初の本を刊行するというところまでこぎつけてはいたが、新米出版人のまことに頼りない船出であった。
 リッチモンドの友人はアメリカ人のダン・シュレシンジャー、付き合いは二十年も前に遡る。この長年の友情がハリーとの出会いを生むことになった。ダンのパートナー、イギリス人のアリソンも私の大切な友人である。ダンとアリソンはハーバード大学の同窓で、二人とも弁護士になり、一時期二人とも日本で仕事をしたが、日本で生まれた二人の男の子をつれてイギリスに移り、すでに数年が過ぎていた。
 久しぶりに親しい友人に会えるという喜びに私は胸を膨らませていた。もともと画才のあったダンが、弁護士をやめ画家に転向したという知らせを受け取っていたので、彼の絵をみるのも楽しみだった。二人は少しも変わらぬ友情で迎えてくれた。ダンのすばらしいパステル画にとりかこまれた部屋で、私たち三人はワイン・グラスをかたむけ、お互いの近況を語り合った。
 「ゆうこ、出版するなら、こんな本はどうだい? 今イギリスで一番ホットな本だよ。貸してあげるから読んでごらん。本屋に行っても売切れだと思うよ。もし本屋にまだ残ってたら君はラッキーだ」
 「ほんとに、ものすごく面白い本よ。家は親子四人が夢中! 子供の本だけど、大人も楽しめるし、著者も処女作で一躍有名になった話題の人なの」
 「でも、そんなに人気のある本なら、大手の出版社がもう版権を取ってるでしょう…」
 「物語はここから始まる」…ハリー・ポツター物語の第一章の書き出しさながらに、私のハリー・ポッター物語もここから始まった。『ハリー・ポッターと賢者の石』を徹夜で読んだ次の日、私はイギリスの出版社に電話をかけ、著者J.K.ローリングの代理人に連絡をとった。
 それからは必死で私の情熱を訴えつづけた。こんなに夢中になった本はない…、翻訳したい…、この感動を文字にして、多くの日本の読者にハリー・ポッターのすばらしさを伝えたい…、真撃な心からの願いを二カ月にわたって訴えつづけた。それが最初の魔法を生んだ。十二月八日、代理人からEメールが届いた。
 「著者と話した。私たちはあなたに決めた。よろしく頼む」

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 「超」小出版社が世界的な「超」人気の本を出版することになった。そして、次の魔法が始まった。編集者、翻訳者、書店、マスコミ関係者、出版業界人と次々に支援してくれる人が現れたのだ。よい本を出そう、ハリー・ポッター全七巻が古典として残るような本にしよう…、自然発生的にプロジェクトチームが組まれた。
 ダンはジャケットとイラストを描き、アリソンは弁護士として助言してくれた。大学の後輩、字尾史子、村松夏子女史は一年間翻訳を手伝ってくれ、名翻訳家ジェリー・ハーコート女史は隅々まで読んで誤訳を訂正してくれた。仕上げには友人の湯浅とんぼ(ソングライター)とさやかさん(日本語専攻)親子のチェックが入った。児童書翻訳クラブのメンバーもエールを送ってくれた。メンバーの一人、池上小湖さんには友の会を立ち上げていただいたばかりか、短期間に驚くほどのすばらしい翻訳のアイデアをいただいたし、同じくメンバー柳田利枝さんには激務の合間に背景資料の作成など、全面的にご協力をいただいた。原作の手触りを失わず、いかに読みやすい翻訳にするか、翻訳者のこの永遠の課題を、もし少しでもクリアする事ができたとすれば、支えてくれた皆様のおかげであり、原作の面白さが十分に伝わっていないとすれば、ひとえに私の力量不足だ。
 ローリングの作品の魅力は、壮大なスケールの構想の中にちりばめられた繊細なディテールである。二十五歳のとき、ローリングが遅れた列車を待っていると、フッとハリーのイメージが湧いてきたそうだ。それからはそのイメージの肉付けのために文献を調べ、カードで整理し、執筆を始めるまで五年を費やしたという。1997年、ハリー・ポッターシリーズの第一巻がイギリスで出版されたが、実は最初に書き終えたのが第七巻の最終章だった。全七巻が2003年に完成するまで、最後の章は秘密の金庫にしっかりと隠してあるらしい。
 「児童書を書いたという意識はない、自分が楽しめる本を書いた」と言う三十四歳のローリングは、いまや子供たちの英雄であるばかりでなく、大人をも夢中にさせる作家だ。第一巻の『ハリー・ポッターと賢者の石』を書いているときは、生活保護を受けるシングルマザーで、エディンバラのコーヒー店の片隅でコーヒー一杯を飲むお金しかなく、幼い子供が眠っている間書きつづけたという。その彼女が、いまや世界140カ国、800万人の読者を持ち、ワーナーブラザーズで2001年夏の映画化も決まり、億万長者になった。しかし、彼女が一番うれしいのは、読者の、特に子供たちの反応だと、彼女自身が語っている。コンピュータ・ゲームに夢中だった子供たちが、書店や図書館の前に行列を作って彼女の本を読みたがる。十二回も読んだという女の子、五ページ以上も暗記している男の子。目の前にホグワーツの世界が見え、ダンプルドア校長や仲良し三人組のハリー、ロン、ハーマイオニーの声が聞こえてくる…、そういう読書体験を子供に与える事ができたのが何よりもうれしいという。
 子供を侮ってはいけない、と彼女は言う。子供の想像力は豊かだ。挿絵の一枚もない223ページ(第一巻の原書)の細かい活字の本を、子供たちはむさぼるように読む。二十数カ国語に訳され、異なる言語、異なる文化の中に置かれても、この現象は変わらない。まだ字を読めない子供も、親が読み聞かせるとシーンとなって聞きほれる。そして、大人も、その心の中に眠っている柔らかい空想の羽が、ハリー・ポッターの魔法に触れ、力強く羽ばたき始める。かつて少年、少女だったすべての大人に、ハリーの物語は「生命の水」を注いでくれる。

 ハリーとの出会いから一年が過ぎた。私のハリー・ポッター熱は冷めるどころかますます激しく燃え上がっている。さあ、ハリーの世界へ、皆さんと一緒に紅の汽車に乗って出発!!
 最後に、ご助言下さった出版界の先輩の皆様、激励してくださった書店やマスコミの皆様に心から感謝したい。新米出版人の私に業界のいろはを教えてくださった木田恒、武藤浩平、豊田哲の諸氏には足を向けては寝られない。身内ではあるが、「少数精鋭」の小出版社を支えてくれた秘書の木村康子女史、アートの太田理英子女史、そして、くじけそうになる私を、私の心の中で励ましつづけた亡き夫の松岡幸雄に感謝する。

                                                1999年 10月吉日      松岡佑子

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2. 目 次
第1章 生き残った男の子・・・・・5
第2章 消えたガラス・・・・・31
第3章 知らない人からの手紙・・・・・49
第4章 鍵の番人・・・・・71
第5章 タイアゴン横丁・・・・・93
第6章 9と3/4番線からの旅・・・・・133
第7章 組分け帽子・・・・・・169
第8章 魔法薬の先生・・・・・195
第9章 真夜中の決闘・・・・・211
第10章 ハロウィーン・・・・・239
第11章 クイデイツチ・・・・・263
第12章 みぞの鏡・・・・・283
第13章 ニコラス・フラメル・・・・・313
第14章 ノルウェー・ドラゴンのノーパー卜・・・・・333
第15章 禁じられた森・・・・・355
第16章 仕掛けられた罠・・・・・383
第17章 二つの顔をもつ男・・・・423

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3.訳者紹介

松岡佑子(まつおか ゆうこ)
 同時通訳者。翻訳家。国際基督教大学(ICU)卒、モントレー国際大学院大学(MIIS)国際政治学修士。allc(国際会議通訳者協会)会員。
ICU卒業後、海外技術者研修協会(AOTS)常勤通訳。上智大学講師、MIIS客員教授、日米会話学院同時通訳科講師として通訳教育の経験も深い。国際労働機構(ILO)では1981年以来年次総会の通訳を続けている。
 現在、(株)静山社社長として、ALS(筋萎縮性側索硬化症)関連の本を出版するとともに、語学力を生かして海外の優れた出阪物の翻訳・出版に力を注いでいる。

4 魔法が名著呼ぶ(松岡祐子)
 四年前、小さな出版社を経営していた夫が亡くなり、その後を引き継いだ私の力になってくれたのがロンドンに住むダン・シュレシンジャー氏である。英国で評判だったファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズを私が日本に紹介できたのは、実は彼が翻訳を勧めてくれたからなのだ。
 出会ったのはもう25年も前。英国から日本へ向かう飛行機で隣に座ったのが彼だった。米イエール大の学生で、日本に半年ほど滞在した経験もあり、話が弾んだのだが、私が貸したボールペンを次々となくす、うっかりぶりがすっかり気にいってしまった。
 そのわずか数日後、私の家に泊めて欲しいと突然の電話。日本の友人を約束なしに訪ねたら留守だったらしい。慌てふためく彼の様子があまりにおかしくて、つい了解。その後私の夫も巻き込んでの付き合いが始まった。
 ダンはいつもまじめなのに、どこかおかしい。弁護士になり、結婚して二児の父親になったのに、いきなり「画家になる」と方向転換。驚いて久々に会いに行くと、彼が家族ぐるみで楽しんでいると言って私に手渡してくれた本が「ハリー・ポツター」だった。
 熱心な彼に促され、なんとか二カ月の交渉の末版権を手に入れた。もちろん、挿絵担当は彼。「一緒に仕事ができるなんて」と大喜びで作品を仕上げてくれた。彼の描くパステル画は色彩が美しく、優しい人柄そのままだ。
二十五年前の偶然がなければ、私は璧に突き当たったままだったかもしれない。魔法のような出会いに心から感謝している。(まつおか・ゆうこ=翻訳家)      (出典 日経新聞2001.3.20 交遊抄)

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[Last updated 5/31/2001]