養老孟司のルーツをたどる



 『バカの壁』がベストセラーになり、森毅などとも対談している養老孟司の新著『運のつき』は、養老ファンにとって見逃せない本である。

 これまでいろんな本の中で語ってきた叙述に対して、どうしてそう考えたかという根拠を示している。だから、ほとんどがどこかで聞いた話であり、1つ1つのテーマについては簡潔でものたりないかもしれない。

 養老孟司は、方法の人である。
いまの人は対象を選ぶことこそが、自分の選択だと思い込みすぎてるんじゃないんですか。それを「方法」だと考えてみると、対象に関する「うるささ」が減ります。仕事もそうでしょう。問題は仕事という対象そのものじゃありません。「仕事をどうやるか」、つまり仕事から自分がなにを得てくるかでしょ。「給料に決まってるじゃないか」。すぐにそう思っちゃう。(中略)仕事は自分の人生の方法であって、仕事自体が目的ではないんですよ。(p118)
 結婚相手も対象(収入、身長、学歴…)で選ぶと、こんなはずではなかった、と相手のせいにしやすい。自分をよく知っている友だちの紹介のほうが、いい相手にめぐり会えるかもしれない。

 養老孟司は、原理主義を嫌う。
どんなに「正しい」目的で行われていることであっても、ある種の「うしろめたさ」を欠いた社会運動を私は疑います。疑うことが、いわばクセになったんです。ここでいう原理主義とは、なにかを絶対的とみなすということです。(p125)
 戦争と大学紛争がこのように考えるきっかけとなっている。ごくフツーの人を極端な行動に導いていくものを警戒している。ただし、
考えることに、タブーはありません。それを思想の自由というんです。(中略)でもこの国は、「そんなことは考えないほうがいい」という国です。「考えた」だけで叱られる。だから思い切った思考実験ができないんです。「そういうことは考えないほうがいい」。日本の世間では、これが自主規制になっています。(p181)
 とんでもないことをネットに書いたからといって、おとがめを受けるようでは、ミステリー作家はみな殺人罪に問われてしまう。

 養老孟司は、極論を支持する。
 じゃあ理論の極端さがなぜ有益かというと、両極で成り立つことはそれより内側ではかならず成り立つからです。理論のよさはそこだと、私は思ってます。両極を考えて、はじめて中庸が成り立つんです。両極をちゃんと見れば、中央はわかります。
 ふつうはそれを考えないで、いきなり真ん中に落とそうとする。それを中庸だと思ってる。それをやると、周囲に引きずられます。(p82)
 戦争中も、紛争中も、多くの人が「いまの時代」の意見に引きずられた。引きずられない人は、非国民だと非難された。現代なら、協調性ゼロと査定されるのだろう。

 「単純で明快な回答は、たいていウソ」であり、考えるには努力・辛抱・根性が必要だと語る養老孟司は、やはり変わり者かもしれない。
  • 運のつき 養老孟司 マガジンハウス 2004 NDC914.6 \1000+tax
     著書一覧あり
(2004-08-01)
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