禁じられた遊び



映画の全盛期は過ぎていたので、10代の半ばまで映画はほとんどテレビで見た。

「禁じられた遊び」をはじめて見たのは小学生のときだ。ラストシーンがわからなくて、イライラ感が残った。もう一度見たときもわからなかった。ミッシェルみたいな子がいたわけでもないのに、なぜ「ミッシェル!」と叫んで追いかけていくのか。

これからポーレットはどうなるのだろう。まるで自分の妹を心配するかのような気持ちだった。テレビなので、吹き替えだし、おそらくカットだらけだったろう。それなのに、この作品がのちに映画をよく観るようになったきっかけになっている。私にとって映画の原体験だ。

きれいに修復された作品を見直して、いくつか気づいたことがある。

ドイツの進撃からパリを逃れて、街道は避難民の列がつづく。ポーレット一家の車がエンストすると、道をふさぐからと無理やりどかされてしまう。もたもたしていると命が危ないのでしかたのないのかなあ。

戦闘機に撃たれたお母さんとポーレットのワンピースが同じ柄でおそろい。愛犬を抱き上げると、足がけいれんしている。一人でとぼとぼ歩いていると、老夫婦の馬車にひろわれる。そのおばあさんは、子犬はもう死んでいるからと、ごみを捨てるように川へ放り込む。まるでぬいぐるみのよう。

はじめてミッシェルと会ったときに、代わりの犬をあげるからと言われ、その子犬を地面の上に置いていく。このときはまだ首がたれていた。

翌日、犬を埋葬するために水車小屋の中で穴を掘る。このとき、犬はもうカチンコチンに硬くなっている。自分の体験とだぶる。

5歳の女の子では、死というものがピンとくるわけがない。両親の遺体のありかもわからない。自分の飼っていた犬を埋葬し、十字架を立て、祈りをささげる。ミッシェルは、ポーレットにせがまれ、墓場にある十字架だけでなく、教会の十字架まで盗もうとする。そんな禁じられた遊びが、ポーレットにとっては父母への無意識の弔いだった。

ミッシェルの家は、街道から少し離れただけの農村なのに、そこには平和な暮らしがあった。たとえ不潔でも、けがした息子を医者にみせることができないほど貧乏でも。まあ、貧乏ゆえにポーレットは孤児院に引き取られてしまうのだが。

今は、ラストシーンがわかる。なぜ、ポーレットが泣いたのかも。しかし、そんなことはどうでもいい。はじめて見たときのように、胸元の芯をぎゅっとつかまれるように感じた。もう、それでいい。

それにしても「第三の男」のツィターといい、「禁じられた遊び」のイエペスのギターといい、むかしの映画音楽はなんていいんだろう。

(2007-02-18)