ALWAYS 三丁目の夕日



「ALWAYS 三丁目の夕日」は、都心の横丁を舞台にしたお話。ときは昭和33年、春にはじまり大晦日におわる。ほのぼのドラマみたいな映画なので、テレビで見るのにちょうどいい。

ネーミングがおかしい。主役が茶川竜之介と古行淳之介という縁もゆかりもない即席の親子、やっと見つけた淳之介の母親が古行和子で、淳之介の実父が川渕康成。映画監督みたいな名前の鈴木則文が怒るとゴジラになる。作りかけの東京タワーが壊れるのではないかと心配になった。観客に笑いを強いているよう。

クリスマスのプレゼントにサンタがやって来るところでは、「大草原の小さな家」を思い出した。ブリキのコップをもらって喜ぶローラの笑顔がだぶる。私が子どものころは、プレゼントよりもクリスマスケーキの方がうれしかったけど。

擬似家族が引き裂かれてのお涙頂戴シーンでは、茶川がこけた歩道の四角い石ばかり見ていた。あの上を石蹴りの要領で歩いたなあ。でも、当時はアスファルトじゃなかったか。冬には氷が張り、夏にはべたべたと溶けてしまうやつ。

父親の借金のかたに劇場に売り飛ばされるヒロミ(小雪)は、おそらくストリッパーになったのだろう。だが、そんな暗さを感じさせるカットは皆無。

集団就職で上京した六子を見ていると、同世代のねえやたちの姿がだぶる。それは床屋で髪を切ってくれた人であったり、出前に飛び歩く人であったり。

暮れに青森へ帰る六子を見ていると、「上野発の夜行列車降りたときから〜」とか「窓は夜露にぬれて〜」とか、歌謡曲が頭の中で鳴り響く。

昭和33年は、高度成長の入り口。それから東京オリンピックまで、猪突猛進の日本だった。「明日という字は明るい日と書くのね〜」。

15年後のオイルショックで高度成長は終わる。気がついてみると、都心部はドーナツ現象で、過疎化が進行していた。淳之介の通った小学校も、児童数の減少に悩んでいたことだろう。

そして30年後には、地上げの嵐がやってきた。自転車を乗り回していたタバコ屋のばあちゃんも、立ち退きを強いられたかもしれない。大金を積まれても、生まれ育った土地を離れたくはない。

それからまた15年、2003年の日本は長い不況の中にいた。

いくら希望にあふれた時代を描いた映画でも、その後の日本とだぶってしまう。作り物の世界で遊べない。その点、「男はつらいよ」の方が上手かもしれない。時代性を取り込んでいる割には、作り物の世界に浸りきれる。

(2006-12-06)

2度目もテレビで見た。ちょっと緊張感は落ちるが、小さな発見もある。

「力王たび」という看板が2回、違う場所に出てきた。使い古されたようなエピソードが多いとは思っていたけど、時代劇によくある人情話の焼き直しだな。映画の中にも「江戸時代じゃあるまいし」というセリフがあった。

東宝の制作なのに、松竹映画みたい。駄菓子屋の店先を野菜を担いだおばさんが通る。とらやと同じだ。監督は、山田洋次をなぞってる。続編の予告も放送された。いかに明日からロードショーとはいえ、見せすぎだ。予告編は、短い方がいい。

(2007-11-03)