はじめてわかる国語



斎藤美奈子『文章読本さん江』を読んだ清水義範は、
私はこの本を読んで、自分がこれまでにたわむれでも『文章読本』を書いていなくてよかった、と胸をなでおろしたくらいだ。絶対に『文章読本』を書かないぞ、と決心した。(p248)
 清水義範『はじめてわかる国語』(講談社)
その清水にしても、高校生のときに谷崎潤一郎の『文章読本』を読んで感動した。それは書かれている内容ではなく、文章のわかりやすさに感動したのだ。
他人に自分の思考を伝えようと思うのなら、このように意味がよくわかり、濁りなく伝わる文章を書きたいものだ、と感じたのである。文章の目的は、ひとに正確に伝達することである。その意味で、気取った文章や、もってまわった文章や、説明不足の文章はよくないんだ、と私は思った。(p262)
たしかに、それは言える。私は書きたいように書いているけど。

『はじめてわかる国語』には、斎藤と清水の対談も載っている。
斎藤:作家の書く文章っていうのは、特殊じゃないですか。特に小説の文章というのは、舞台衣装かコスプレのようなもんだと思うんですね。
清水:はい。
斎藤:文学? それだけは真似しちゃいけませんと言うべきじゃないかと。(p274)
対談は引用しにくいので、清水の主張をまとめると、
日本の作文教育はなってない。値打ちがあるのは、文章じゃなくて、書いてある思想でしょ。それなのに文章のうまさを神格化している。書き方の指導が「名文を読め」では、いかんでしょ。それでも『文章読本』がはやるのは、しっかりした技術論がないからですよ。
西原理恵子のえぐい絵もついていて楽しい本だった。ちなみにサイバラのマンガは文章だらけなので、もうマンガ家ではなくて「手書き文字言論人」だそうです。

そういえば、群ようこと西原理恵子の合作『鳥頭対談』には、ご両人のコスプレ写真が何枚もあった。文庫版にも載ってるのかな。

(2005-04-12)