公と私



 まえから公ということが気になっていた。教育における公共性、経済におけるマクロ理性などのことだ。気にはなっても、自分のことのようには真剣に考えられなかった。でもこれに真っ向から立ち向かった人がいる。それは『日本の無思想』を書いた加藤典洋だ。

 まず政治家の失言問題を取り上げ、タテマエとホンネの考え方に迫る。つぎに内と外との分断について述べる。3つ目は、公的世界と私的なものの違いについて歴史をふりかえる。これら3つの考え方が、日本の思想風土を形成している。これが加藤の主張だ。

 経済で欲望を無視しては、経済理論が成り立たない。そして経済政策においては、私権を制限すべき、というのが私の考えだ。加藤の主要な関心は、「私利私欲の上にどのような公共性を築くか」にある。
もしいま、公共性というものを現代にほんとうに根づかせようとしたら、けっして私利私欲に敵対してはいけない、というのがそれ(結論)です。1960年の丸山真男のように一般庶民のマイホーム主義を否定的に語ってはいけないし、1998年の小林よしのりのように若者の「ミーイズム」を虫酸が走るものと罵倒してはいけないのです。
 そしてこの本の中で、私利私欲を否定する公共性が、なぜ私利私欲に打倒されてしまうか、について論じている。

 最後に、戦後の思想風土を更新するための手がかりとして、カントの公共性、福沢諭吉の私情、マルクスの利己性の3つを挙げている。それが適切であるかどうかは、この本を読んだ人が決める。
  • 日本の無思想 加藤典洋 平凡社 1999 平凡社新書003 NDC104 \740+tax
(2001-03-23)