子どもを社会で育てられるか



 「朝まで生テレビ」で教育問題を取り上げていた。現役の先生が現実をふまえて話すのに対して、いじめ問題で活躍している保坂展人は観念論ばかり。議員になると頭が悪くなるのだろうか。とくにひどかったのが評論家の大谷氏で、先生に「あなたの意見は、教師とか、生徒とか、親とか、どれも個人ばかりで、公がないんだよ」と批判されていた。このひとことでこの先生の問題意識のあり方がやっと分かった。

 『居場所なき時代を生きる子どもたち』の中で、心理カウンセラーの三沢直子は、母親になることの難しさを語っている。
子どもが赤ちゃんの間は、母親は下女の世界ですよ。子どもが泣けば「ははーっ」と言って、「御意のままに」やらなくてはならない。その切り替えは大変です。たとえば相談に見えるお母さんたちの前歴を聞きますと、「社長秘書」「スチュワーデス」「精神科医」と、すごい経歴の持ち主です。さっそうと仕事をやっていた人が、赤ちゃんが生まれたとたんに、突然おむつを取りかえるわけですから、「この私が、何でこんなことをやらなければいけないの」となっても、それは人間の心理としてやむをえないのではないかと思うのです。
 さらに、母親だけでなく父親にも絶望している。
今のお父さんたちには、父親モデルがないのです。残業でお父さんがほとんど家にいなかった中で育った人々は、母親の姿しか見ていないわけです。ですから、男性も女性も、親をしようとすると「お母さん」になってしまいます。それから、隣近所との親密なつきあいが苦手な人が多くなっていますので、下手に夫が協力的ですと、自己完結的な家庭になって、ますます閉じた家庭を作ってしまう。(中略)私はもやは「夫婦で育児」とは言えなくなり、「社会で育児」と言うように切り替えています。
 宮台真司は、2つのプログラムを提案している。ひとつは、学校ストレスを減らすための満員電車状況解除プログラムで、個人カリキュラム化と、校内に子ども居場所を作るホームベース制で実現をめざす。もうひとつは、学校化状況解除プログラムで、専業主婦廃止論と、文部省による上からの改革が大きな柱となる。
親がしっかりしなくなったから説教が有効にならなくなったのではなくて、地域社会の中でみんなが肩を寄せ合いながら生きるような共同性、つまり世間の同一性が壊れたために説教が有効でなくなったわけです。いずれにしても、そのような大きな変化の中で、専業主婦が子どもを抱え込んでしまうシステムができあがり、それが奨励された結果、おかしなことが生じるようになってきた。そこから子供たちを奪還する必要がある。
 世間の同一性は、イニシエーションの問題ともつながっている。つい最近まで、宮台真司という人を知らなかったが、ずいぶんとまっとうなことを言う人だ。著者紹介の写真を見てふと思い出した。この人、テレビ朝日の「異議あり!」で、西部邁を怒らせて自主退場させてしまった、あの人ではなかろうか。

 一方、文部大臣になりたい保坂展人は、子どもの自己決定力、学校を選ぶ権利、チャイルドラインについて語っている。テレビで見る限り、この人にはあまり期待できそうもない。

 たしかに緊急避難として、子どもを親から引き離すのはいいだろう。しかし、お金を払えばいいでしょ、という態度を許してしまうと、自分で子どもを育てられない大人たちは増える一方になってしまう。これは何も子どもの教育だけでなく、老人福祉もまったく同じ問題を抱えている。どこまで自己責任で行うのか、どこから社会でめんどうを見るのか、この切り分けは一筋縄ではいかない。
  • 居場所なき時代を生きる子どもたち 三沢直子、宮台真司、保坂展人 子ども劇場全国センター出版局 学陽書房発売 1999 NDC367.6 \1300+tax
     子ども劇場全国大会で開催されたシンポジウム(1999年7月)をもとに作成
(2000-09-08)