マネー:経済学からのアプローチ私が世間で暮らしていくのに、重要なキーワードがいくつかある。そのひとつがマネーである。お金にはいろんなアプローチがあるが、今回は経済学の観点から考えてみる。 まずはじめに断っておきたいことは、私は経済のことはよく分からないということだ。しかし、テレビによく出てくる経済評論家がいいかげんなことを言っていることくらいはわかる。それに私の知っている範囲では、経済学は学問として成立していないように思う。また経済政策に使えない経済理論は、理論とはいえないだろう。たとえば『複雑系経済学入門』ではアメリカの経済政策を取り上げ、大統領の経済学が常に間違ってきたと述べている。 いろんなものを切り捨てて実現した経済成長の結果、多くの日本人は豊かではあるが幸せではないと感じているのではないか。その表れが高齢化社会に対する不安感と少子化傾向である。そして人間には、欲望はつきものである。過剰な欲望がバブルを呼び、欲望こそが消費行動と投機の源泉である。これらをきちっと体系に含めない限り、やはり経済理論としては落第だ。 そんな経済学不信の中で、まともな本を見つけた。高橋洋児『市場システムを超えて』の序章から小見出しをいくつか拾ってみよう。著者の立場、関心のあり方が一目瞭然。 生きることの意味:暮らしの視点からそして経済に対するとらえ方は、私と同じである。 経済という営みは生きるということのいちばん土台になる部分を受け持っている。それゆえ哲学や文学に先立って真っ先に、生きることの意味を問い得る立場にある。「エゴイズムは超えられるか」の章では、マクロ理性の役割を強調している。マクロ理性とは、行政や一定の権限を与えられた第三者機関が発揮する理性のことである。また「職分社会の構築へ」の章では、生産者サイドで過剰設備を削減することで、消費者サイドでの過剰な欲望の発生を防止しようと呼びかけている。さらに私的権利の制限も提案している。
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